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鳥人間  作者: 正坂夢太郎
鳥か人間か
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第十四羽 「帰る場所」

 第二章 鳥か人間か


 またそれから一ヶ月間、私は、ただひたすらに安穏とした日々を過ごした。珠緒は一日も欠かすことなく家に来た。それは私に、本当に何も一ヶ月前から変わっていないということを実感させた。


「真美の進路はどうする」

 夕飯の途中に父が呟いた。三ヶ月前のあの日以来、誰かが夕飯時に喋ったのは今日が初めてだった。

「……どうなの、真美」

 母は疲れ切った顔でそう言った。私が帰ってきてから四か月間、母は日増しにやつれていく。

「分からない」と私。弟の圭介は、何も言わずただ飯を食べている。

「その腕はいつかは治るのか」と父。

「分からない」と私。

 食卓に沈黙が訪れる。弟は無言で食器を片付け始めた。誰も止めるものはいない。


「いつまでなんだ」


 独り言のように、父は呟いた。それは、私の腕がいつになったら治るのか、という意味を持つ文章にも思えた。だけど私には、違う意味を持って伝わった。

 お前は、いつまでここにいるのか、と。


 ◇◆◇◆


『私はどっちなのかな』

『何の話だ』

 私は自室に上がって、たまと会話していた。もちろん爪信号で、だ。

『私は人間なのかな、それとも鳥なのかな』

 間髪入れずにたまは答えた。『そりゃあ、人間だろ』

『だけど、私には羽がある』『些細な事さ、そんなもの。世の中には腕がない人間だっているんだろ。それと比べれば、真美は恵まれてる方さ』

『だけど私は、空を飛べる』

 私は窓を見上げる。夕闇に一番星が瞬いている。美しく光るその星は、まるでその場所が宇宙の中心だとでも言うように、世界中にその光を届けているんだろう。

 たまは曇り顔で私を見上げた。

『それは、腕のない人にはできない』

『まあ、そうだろうな』たまは足で耳の裏を掻いた。

『だから私は人間じゃない』

 たまは黙っている。『でも、人間の言葉を話す、髪の毛が生えた鳥なんていない。だから私は、鳥でもない。私は、鳥人間だ』

 夜空に羽ばたくカラス達の群れが見えた。自分がこの世に生を受けたその時から羽を持っているあのカラスたちは、どれほど空が美しく思えるのだろう。きっとカラスたちは、私が飛ぶ空よりももっと澄みきった空を飛んでいるんだろう。

 夜道ではしゃぐ女子高校生の二人組が見えた。何があっても自分の腕に羽など生えず、空を飛ぶことのできない子にとって、大地はどれほど大事な存在なのだろう。きっと彼女たちは、私が駆ける大地よりももっと確かで、足を付けられる大地を走り続けているのだろう。

 私はそのどちらにもなれない。


 私は、鳥人間だ。


『だけど、真美には感情があるだろ』

『自分に感情がないって言いたいの、たま。たまも分かってるでしょ、人間じゃなくても感情はある。誰かが傷つけば悲しいし、変なやつがいれば気持ち悪いと思う。愛情だってちゃんと持ってる。鳥にも人間にも、感情はある。それは判断材料にはならないよ』

 私は鷹さんのことを思い出していた。今頃、どこで何をしているのだろうか。夜はどこで眠っているのだろうか。私のことを覚えてくれているのだろうか。

 結局、私の帰る場所はどこにあるのかと聞かれたら、私は答えられないだろう。私が二年間を過ごしたあの森だろうか。私が鳥の翼を得るきっかけを生んだであろう、この土地だろうか。

 答えはどちらもノーだ。要するに、私が帰る場所なんて―――

 この世のどこにもありはしない。


 ◇◆◇◆


「真美ー、おっはよー! 朝から元気出していこーっ!」

 明くる日、朝早くに珠緒がやって来た。午前中に珠緒がやってきたのは初めてだったため、私は驚いた。

「ちょっと真美借りて行きますねー!」

 珠緒はそう言って私を外に連れ出した。

 珠緒は私の手をとりずんずん歩く。珠緒はどこに向かおうとしているのか、私には分からない。ただ唯一分かることは、珠緒は確かな目的を持って歩いているらしいことだけだ。

「珠緒」と私は呼びかける。

「うん?」「どこに行くの」「樋川高校だよっ」

 無邪気な笑顔を向ける珠緒は、そういって、神妙な顔で、私の耳に顔を近づけた。

「ここだけの話……あの噂、知ってる?」「噂」「うん、例の『死霊しりょうの呪い』の噂」

 珠緒は、私に説明を始めた。「樋川高校が取り壊されることになったっていうのは、前言ったよね」

「うん」つい一週間ほど前に、私はその情報を、珠緒から聞いたのだった。何でも、学区再編で、ちょうど樋川高校が境界線上にあるとかそのような理由で、樋川高校の取り壊しが決まったらしかった。

「それで、もう取り壊し作業が始まってるらしいんだけど……変なんだよ」「変」「そう、変」

 どういう具合に、何が変なのだろうか。

「取り壊し作業にかかわってる人たちが、次々と謎の死を遂げてるらしいんだよね。これって、事件の香りがしない?」「うん」「それで誰かが名付けたのが、『死霊の呪い』なんだよ。ほら、まきってさ、第三校舎から飛び降り自殺したでしょ」

 それは初めての情報だった。というよりも、珠緒の口から槙のことを聞いたのは、これが初めてだ。


「槙が祟ってるっていうんだよ、みんな」


 みんな、というのは、珠緒の大学の友達のことらしい。「ここらへんでは、槙の一件って、結構有名だからさ。そのせいで樋川の入学者も減っちゃったらしいし。でもさ、冗談じゃないよね」

 珠緒はむすり顔をする。「幽霊なんているわけないよね!」

 どこか恐怖心を隠したがっているような物言いに、私はくすりと笑う。笑い声は、珠緒には聞こえなかったようだ。「中には、『この場所を壊すな』っていう声を聴いた人がいるっていう噂まで流れてるんだよ。うう……有り得ないよ」

 なかなか興味深い話だ。多分、誰が聞いてもそう思うだろうと思うほど、興味深い話だ。少々名称がありがちすぎる気がするけれど、それを除けば完璧だ。

「で」と珠緒は話を戻す。「今は取り壊し作業が中断されてて、樋川は今、半壊状態なの。だから、ね、一緒に、樋川に言って、『死霊の呪い』の謎を解き明かしてやろうよ!」

 珠緒はそういって笑う。いつものように。

 私に、断れるはずはなかった。というより、私もその事件に興味があった。

 もしかしたら、槙のことがわかるかもしれない。そうすれば、私の記憶の謎も解けるかもしれない。

 それに何より、私はこれまでと同じ日々を送るのはいやだった。辟易としていた。何か変化がほしかったのだ。日々を彩るスパイスのようなものが、ただひたすらに、今の私には必要だった。


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