第十二羽 「地獄の道連れ」
私が樋川高校へ行った翌日、玉置が家を訪ねてきた。中川さんから(珠緒のことだ)、私が自在に話せるようになったことを聞き及んだらしい。
「外で話さないか」と誘われ、断る理由も無かったので玉置と共に外に出た。ただ、鎮静剤の時間には家に戻っていなければいけないと彼に伝えた。
「急な質問で悪いけど、僕のことを覚えてる?」
「私は私がここに戻ってきてからのあなたしか知らない」と答える。今更どうしたのだというのだろう。私の記憶が戻っていないことは、玉置も知っているはずだ。
「これは今言うべきことじゃないかもしれないけど」と言って玉置は続ける。「君は僕の彼女だったんだ」
「初耳」
「……だろうね」玉置は一瞬顔を曇らせたように見えた。「僕たちは、誰にもそれを喋っていないから。僕たちは秘密のカップルだったんだ」
秘密のカップル、という言い回しに、どこか古くささを感じる。
「浮気」
躊躇するより早く、私の口を突いてその言葉が飛び出していた。「浮気?」と玉置。
「私と槙という人は付き合っていたと聞いた」
「あぁ、彼か。彼は君に―――勝手に勘違いして舞い上がって、付きまとっていただけだよ」
少し玉置が首を傾けた。「君は僕の彼女だったんだ」とまた玉置はくりかえした。
玉置の言うことが本当なら、槙と私は恋人関係になかったということだ。だけど昨日思い出した私の記憶からすると、少なくとも友達以上の関係ではあった気がする。
「たまは元気?」
その話題に興味があるふうではなさそうに玉置が言った。
「元気」
「ここだけの話」と玉置は切り出した。「たまっていうのは、僕の名字の玉置のたまなんだ。たまには似つかわしくない名前だけどね」
私は無言で玉置を見つめる。たまの名前を即座に言い当てたような男だ、本当にそうなのかもしれない。
「真美自身がそう言ってたからね。ほらこの字」
玉置は家の表札を指差した。「この“たま”っていうのは、僕が書いたんだ」
得意気に玉置は笑った。あまり聞いていて心地よい笑い声ではなかった。
その時頭が痛み、記憶が映し出された。家の前で揉み合う二人の制服姿の男女。
『やめてっ、放して』
女は私だった。羽の生えていない、まだ人間だったころの腕を、何者かに掴まれている。
『どうしてなんだ! あんなに好きあっていただろ!!』
『馬鹿じゃないの!? あんたが勝手に付きまとってるだけじゃない』私は金切り声を上げた。『放してよっ』
『真美! 真美、真美、真美っ! 放してたまるか、君はあの男と会うつもりなんだろう!?』
『あんたには関係ないでしょっ』私は男が掴んでいない方の手に持っていたカバンで男を殴り付ける。男はううっと呻く。
『どうしてなんだ』と男が呻いた。これが槙なのか、と思った。
『君がどう思っていたとしても、二人は今日までずっと好きあっていた、それだけは変わらない!』
『退いてよっ』
私は槙の頭を殴った。槙は手を離して、痛そうにフードを押さえ、私は家に逃げ込んだ。
『真美っ、真美!!』
槙は必死に扉を叩き続ける。『君は騙されているんだ!! あの男は君の思うような人間じゃない!! あの男は、君を地獄の道連れに選んだんだ!! 君は殺される、早く逃げないと、君は――――』
槙の声はそこで掻き消された。大空を唸らせるような重い銃声が鳴ったと同時に、一発の銃弾が槙の頭を掠めた。
『失せろ』
声がした方向を見上げると、蒼白い煙を吐く火縄銃を構えた白い髭の父が、槙を見下ろしていた。
『立ち去れ』
槙はガクガクと足を震わせながら、一目散に逃げていった。
気づくと玉置が私の顔を覗き込んでいた。「どうしたの」と心配そうに呼び掛ける。「何でもない」と答えた。先程の記憶が瞼にこびりついている。私は玉置を見る。果たして、槙の言葉は全て嘘だったのだろうか、と思う。地獄の道連れという言葉が耳に残った。
「川原だったよね」と玉置は切り出した。「何って、たまだよ。川原で歩いてるときに、段ボール箱に入ってるたまを見つけて、拾ってあげて。僕がアレルギー持ちだから、君が飼うことになったんだったよね」
共通の記憶を持ち合わせていない私は、ただ曖昧に頷くしかなかった。
「私が、見つけた、時も………たまは、捨てられてた」
「あ、そうだったのか」と玉置は言う。「つくづく、捨て犬っていうのはそういう運命に在るのかもしれない。だけど、たまは、二年も前に居なくなった主人を覚えていたんだから、すごいよね。猫みたいな名前だけど、猫は一週間もすれば主人を忘れるっていうのとは、正反対だ。忠犬たま、だね」
私はたまが尻尾を嬉しそうに振っている姿を思い起こした。玉置の言う、猫のような名前、というのはいまいち分からないけれど、犬にたまという名前は、成程確かに似合わないものであるような気がした。それを厭わないほど、私と玉置は好きあっていたのだろう。たまにとってみれば、はた迷惑な話だ。『本当にな』と、たまが呟く声が聞こえた気がした。