第27話 この手に唯一残ったもの
チリン。
ベルの音に、内で燻っていた衝動が静まるのを、闇の中でティールは感じた。
ーー私は、今なにヲ。
そして辺りは静寂に包まれ、子どもの声も聞こえなくなる。
「今からでも、私と一緒に生きましょう?」
耳許で、ねっとりと甘く低い声が囁いた。
「迎えが遅くなりましたね。即物的なものを私は好まない。
けれど、それも仕方ありませんよね。貴女が選んだのですから。優しい貴女は、壊れるしかない」
ーーこれハ、誰。
「ああ、壊れた貴女も愛おしかった。
けれど、あそこからこんなに立派に立ち上がるとは、貴方は歪んでなお、なんて美しいのでしょう」
耳許で囁く声。触れた体温は温かった。
「貴女が私を選ぶなら、子どもたちも無実の大人も助けましょう。貴女がそれを望むなら」
ーー子どもタチ。
泣いていた子どもたち。
ティールを見て、泣いた子どもたち。
ーー助けられルノ?
「さぁ、どうしますか?選ぶのは貴女ですよ。
たくさん浴びたその血は、誰のものですか?
それは、貴女の空虚を満たしてくれましたか?
選ばなければ、また壊れてしまいますよ」
チリン。
抱いた腕を緩め向き合うと、血濡れのティールの頬に手を触れリークリは言葉を紡ぐ。
「選ばなければ、貴女も、子どもたちも儚く壊れてしまいますよ」
チリン。
色眼鏡越しではない、リークリのエメラルドの瞳がじっとティールを見つめていた。
そこに映るのは、血と涙で汚れたティール。
「私と一緒に生きましょう?」
チリン。
ベルの音が、リークリの言葉と重なった。
ーー私、ハ。
ピクリと動いたティールの左手、そっとリークリの頬へと伸びーーそこに触れる前、微かに当たった金属プレートの冷たさ。
それを目で追った先に見たのは、《ミルティ》と書かれたかつて自分の冒険者証のネームタグ。
『聞くな!行くな!そこにいろ!』
夢で聞いた、愛しい番の声が耳に。
夢なのに、そこにあった温もりが。
ティールの中に甦った。
「っ!!」
「はははっ!」
力の限り左手で引きちぎったネームタグ、そのチェーンがリークリの首に傷をつける。
乾いた笑いがリークリの口から漏れた。
力一杯噛み締めたティールの口からは、血が溢れた。
「いい!良い!貴女はとても、人生を楽しませてくれる!」
「……私ハ、貴方ヲ選バない!」
荒く肩で息を吐いて、冒険者証のネームタグを左手に握りしめたままティールは思いのまま叫んだ。
そのまま、数歩後ずさり距離を取った。
首から流れる血を手のひらで確かめ、その血をゆっくりと味わうようにリークリは舐めた。
その視線はねっとりと、ティールを見つめている。
「楽になりたいと願った貴女の代わりに、彼が自分の氷刃で傷ついた。
なんて無様で愚かだったのでしょう?
それで生き残った貴女は、これほどまでに美しく狂っている」
ーーっ!
ティールはビクリと身体を竦ませて、足をふらつかせた。
きゅっと握りしめたネームタグが、手のひらの熱を冷たく奪う。
ポタリと白い床に滴った赤に、ティールの視界が歪んだ。それはまるで雪の積もるあの日のようで。
「良いですよ、選ばなくても。貴女はきっともっと壊れてしまいます。
それを拾うのも、また一興です。だってそれでも使い道はあるのですから」
リークリはそういって、子どもたちの居る部屋へと足を進めた。
そこは、ティールが拒絶された空間。
「……ぁ」
「ここを出るまでに、どれだけ傷ついて、貴女は壊れるのでしょう。
次に会う時、貴女はどんな顔をしているのでしょうね」
部屋の入口、にっこりと微笑むリークリはどこまでも甘い言葉を投げかける。
「いつまでもお待ちしていますよ。
貴女が私の手を取ることを。
だって私は貴女が必要で、大切で、愛してますから」
そういって、部屋の奥へと消えていった。
「お兄ちゃん!」
「怖かったよぉ」
「えぇぇぇえん!」
部屋の中から子どもたちの声が口々に、聞こえる。
廊下で立ち尽くした背が、ドンと壁にぶつかった。
震える足。体重を壁に預けなければ立っていられず、ティールはしばらくそこから動けなかった……。




