第26話 壊れてしまえ
左手に滴る返り血が、廊下の白に赤い点を落としていく。
ひたひたと裸足で、ティールは廊下を歩く。
ティールの髪は、ほとんどが薄桃に変わっていた。僅かに残った蒼も、返り血で赤く染まっている。
ーー壊れてしまえ。
大怪我に加えて残り魔力も少ない。
こういう時は決まって、本能が囁いた。
生存本能か、失った番を求めて狂ってか、あるいはどちらもか。
いつもは見ないふりして蓋をする、その囁き。
「ええ。壊しましょう」
ティールは肯定の意を、口にした。
どうせなら、ハルドゥルが気づくように大きな竜巻を起こそう。
探知機能を阻害する何かが、この施設にはあるらしい。
どれくらいここにいるのか分からないが、助けが来ないのはそういうことだろうから。
自分には壊すことしかできないから、その先は出来るものがやればいい。
ーー壊れてしまえ。
本能が囁く。
今まで抑圧されていた分、解放を喜ぶように。
寝かされていた部屋は、通路の突き当たりだった。
適当なところで後ろを振り返り、ティールは左手を前に出した。
ーーこんな施設、あってはいけないものだ。
人を意のままにするなど、あってはいけない。
「壊すことで救いに繋がるなら全部、壊してしまいましょう?」
ーー壊れてしまえ。
「《ワールウインド》」
ティールの詠唱と共に、鋭い風が円を描いて立ち上がった。
轟音が壁を震わせ、床は振動で軋む。
それは天井を突き破り、粉塵と瓦礫を巻き上げながら、遥か空まで突き抜けた。
落ちてきた瓦礫や砂は、纏った風が払いのけ、ティールに降りかかることはない。
穴から射し込んだ陽の光が、とても眩しい。
「おい!こっちだ!」
「検体が動いてるぞ!」
バタバタと騒ぎを聞きつけて、人が集まってくる。
ーー誰が洗脳されていて、誰がまともなのかしら?
チラリと考えて、その考え自体を今は些事かと思考の外へティールは放り投げた。
ーー壊れてしまえ。
ドクンと胸の奥がざわついた。
さっきみたいに一人なら話を聞こうかとも思ったけれど、こうも多いと面倒だ。
「ごきげんよう。そして、さようなら。《ピアッシング》」
左手で服の裾の端をつまみ、片手でカーテシーをする。
口にした詠唱で、進行方向を塞いでいた男たちの、足の腱を正確に貫いた。
どさどさと倒れ、呻き声をあげる男たちを背景に、ティールはただ先へと進む。
その背に、誰かが言葉を投げた。
「化け物」
ーー壊れてしまえ。
ティールはくるりと振り返り、左手を上から下へと静かに払った。
断末魔すら聞こえず、そこには赤い血の海が出来ている。
ギルドが欲しがると思ったから、足だけを狙った。
運が良ければ生き残ってるだろうと、けれど、居なければいないで仕方ない。
ーー餌だもん。好きにして良いわよね。
うんうん、と頷いてティールは濡れた足音を残しながら廊下を歩く。
周りをキョロキョロと見渡しながら、時には右へ、時には左へ、気の向くままに歩いた。
やはり、造りは広いようだった。
通りかかった部屋の扉を開けると、中は薄暗かった。
目をこらせば、そこには身を寄せあって、うずくまって眠る子どもたち。
港で出会った子どもたちは、スカフトへと薬物を納品していたのだと今なら分かる。
兵士たちが子どもたちに意識を向けないのは、薬でそう仕向けていたからだろう。
「……だあれ?」
子どもの一人が起き上がり、目を擦りながら呟く。
港町でティールが会った小さい子ども。
その子どもの目が、ティールを映して大きく開いて歪む。
「うわぁぁぁぁぁあん」
その瞳に映るのは、逆光によって不鮮明になった片腕の無い血塗れの、誰かのシルエット。
つられて起きた子どもたちにも、同様に恐怖が伝播していく。
その目に映るのは、誰?
「怖いよぉ」
「あぁぁぁぁあん」
「ママァ」
「パパァ」
「……あ」
かすれた声、ティールは足を一歩、後ろへと動かした。
ーー壊れてしまエ。
ドクンと疼き、本能が囁く。
「……ダ、メ」
ーー壊れてシマエ。
ざわりと、何かが脈打った。
「やッーー」
その声が音になることはなくーー。
チリン。
「貴女は本当に……。私のそばを離れるから、そんなふうに傷つく。今からでも私と共に行きませんか?」
ベルの音とともに目の前が真っ暗になる。
後ろから抱きしめられたと思った時には、いつか聞いた台詞が、そのまま耳許で囁かれたーー。




