第25話 《風》
「……ヴィクトル」
小さな呟きは、音になって消えた。
胸の奥、ほんのりと温かく感じる。
それは、夢だったのか。
ただの願望、だったのか。
ーーどっちでもいい。
おぼろげだった思考は、靄が晴れたようにハッキリしている。
『壊れていい、それでも俺は、ティールを選ぶ。どうしようもなく、愛してる!』
その声は、夢の続き。
ティールは口許を綻ばせて、魔力を練って声に出した。
「《風》よ」
霧散することなく形となった風は、身体を縛っていた布を切り裂いた。
ティールは、ゆっくりと起き上がる。
やや身体が重く怠い。それでも一部軽い場所があった。
「……腕」
右手にあった腕輪は無く、右肘から先が失なわれており包帯が巻かれていた。
不思議と、痛みは感じなかった。
ーー後回しでいい。
片手がなくても、これからやることに支障はない。
元々、腕輪が邪魔で自分もそうしようと思っていたのだから。
今、回復に回せる魔力は、自分には残っていない。
長い髪を手に取れば、見える範囲に魔力の蓄えである証の蒼が見当たらなかった。
「……前にも」
そういえば前にも、似たようなことがあった。
あの時は足が負傷していて動けず、初めて回復魔法を使ったのだ。
あの時よりも状況は危機感はあるが、ティールはもう、あの頃のまま非力でも、無力でもなかった。それにーー。
「……な!お前なぜ!」
「ごきげんよう。色々と聞きたいのだけど、答えてくれるかしら?」
部屋に入ってきた男の首へとティールは左手をつきだし、そのまま壁へ押し付けた。
ティールはもうあの頃のように、使命感も正義感も抱いてはいなかった。
「ここはどこ?スカフトの近くかしら?」
「……言うわけがないだろう!なぜ動けるんだ!?」
首を抑えているティールの左手、そこを起点に風を走らせ、男の薄皮を裂く。
「あら、今聞いているのは、私よ?」
驚愕に目を見開く男へ、ティールはゆっくりと語りかける。
「考えて返事をなさって?片手がないのは不便ねぇ。
勝手が違うから、魔法の加減を間違えても……責任取れないわ」
「……ス、カフトから船ですぐの、離島だ」
「本国はどこにあるの?」
「それは、私も知らん。場所は……秘匿されている!」
絞り出すように男は言う、嘘ではなさそうだ。
「……」
けれど、念のためとティールは表情を変えずに、さらに一ミリ、男の首を裂いた。
「本当に知らんっ!」
「そう。じゃあ、ここは何をしているの?私、最初はもっと土にまみれてたと思うのだけど?」
ハッキリと意識が残っている場所、それは土をくり貫いて作ったとおぼしき、土壁の洞窟だった。
けれど、今いるここは、白い天井に白い壁。明らかに空気も違っていた。
そしてティールの着ていた服は、いつの間にか術衣のような一枚布の服に変わっていた。
普段着の衣服は、魚に食われて破けていたから良いが、あのマントはどんなに無茶を重ねても破けることもなく、雨も弾く高性能な一品でお気に入りだった。
贈り物だったから、二度と手に入らないかもしれない。
ーーそれに、本当に二度と手に入らないのは……。
「入り口は万が一見つかっても、洞窟としてやり過ごせるようになっている。施設の本体はこちら側だ」
思っているより、規模が広そうだ。
ーーマント、見つけられるかなぁ。
「……私が、飲まされたのは?」
マントは一旦置いておいて、話題を変えた。
「……市場に卸している原液だ。そのまま1本飲めば人の自我を奪い、操れる」
じっと目を見つめれば、男は目をそらし答えた。
「私の自我は、奪えなかったわね?」
「お前がおかしい!普通はあれだけ飲んだら動けるわけがない。
お前と一緒にいた女はもう現場には出せなくなったんだぞ。
裏方へ回したが……都合の良い現場の駒は、貴重なのに」
未練がましく、男はぶつぶつとなにかを言っている。
女とは義妹のことだろう。現場とは船の要員か。では、裏方は?
「裏方って?」
「ここで作っている原液の製造員だ。意思の無いやつが、ただひたすらに薬を作り続けている、休息も必要としないからちょうどいいんだ」
ーークズね。
「ねえ。原料はなに?私みたいな人は他にもいたの?」
人に使えば意のままに操れるとして、とティールは考えた。ティールは三回飲んでいる。
少量なら不快感と共に魔力を乱し、一度暴走した。
二度目は魔力を空にする勢いで減らし、異物を切り離すことで暴走を防いだ。
三度目、短時間に大量に飲めば、魔力を乱すこと無く、人同様にティールも呑まれかけた。
そんな劇薬、どう考えてもおかしいだろう。
ーー私、半分は龍だもん。
父曰く、歴代の龍と人の番の実子より、魔力暴走を繰り返したせいで、潜在能力は桁違いらしい。
考えごとに意識を傾けたら、左手に思わず力が入ってしまう。男の呻き声が聞こえた。
「原料は獣か何かの血だ!……私は、お前みたいなのを他に知らん!化け物め!」
「何かってなによ、失礼ね……あっ」
苛立ちとともに声を発すれば、男の首をはねてしまった。
ごとりと、それが落ちて転がった。
手がないせいか、それとも薬のせいか加減が難しい。
持つ価値もなくなったそれを、左手から放す。どさりと重い音を立てて落ちた。
『化け物め!』
男の最後の言葉が耳に残った。
ーー些事ね。
ティールは床に転がったものを、冷えた目で見る。
その辺のものを掛け合わせたとして、それが上位種族の毒になるものか。




