第16話 餌としての私
食事という名の行為を終え、ハルドゥルと別れ宿屋のあてがわれた部屋へと戻る。
窓の外を見れば、歩く人はまばらで、兵が夜の町を巡回していた。
ーー成れの果て。
リークリは惜しげもなく物資の支援をし、中毒者を介抱し、治安の回復にも買ったらしい。
兵との橋渡しもしているそうだ。
まさに町の救世主。
薬物は規制され、残った人々は前を向いて歩き始めているという。
けれど島国の港町の一つにしか過ぎないここでは、それも氷山の一角に過ぎず、各地で深刻な被害が上がっているらしい。
ハルドゥルは隠された拠点などを、潰したいそうだ。
ティールを餌として、リークリに接触すれば、何か掴めるかもしれないと考えているようでもあった。
「私は、そんな上等な餌かしら?」
町に着いたその日にリークリが接触してきたのは、確かだ。
けれど、その後はあっさりと去っていったではないか。
『この続きは、またの機会といたしましょう。どうか息災で』
リークリの別れの言葉を思い出し、不意に胸の奥、ドクンと何かが脈打った。
「……酔ったかしら」
久しぶりの度数の高い酒。そう考えてーーすぐ打ち消した。
酒に強い自分が、飲んだ後に酔ったと勘違いしたことが、過去にあったはずだ。あれはいつだ。
ーーあのシャンパンに似てる?
自分の中に確信が生まれた瞬間、迷わず窓から飛び降りた。
近くの木の影に隠れ、喉に手を突っ込み中身を吐き出した。
潮の匂い、波の音、人の行き交う足音。それらを遠く耳で感じる。
自分の周りは静まり返り、視界が狭まっていく。
身体の奥底がグラグラと揺れ、込み上げてくるものに、さらに吐いた。
ーー壊れてしまえ。
魔力が揺さぶられている不快感に、ティールはぐっと険を滲ませる。
沸き起こるのは、本能の破壊衝動だ。
それは三年半前、魔力暴走を引き起こした、あのシャンパンを口にした時と同じ感覚だった。
ーーなんで今さら。
少しでも魔力を消費しようと、身体に残っていた傷をティールは全て消し去る。
しかし、ざわつきは依然として治まらない。
無意識に掴んだ胸ぐらに爪が食い込み、赤い染みを作った。
「……気を、緩めすぎていたかしら」
兵があちこちに居て、ハルドゥルが選んだ宿だからと、警戒心が和らいでいたのか。
薬物で堕ちた町だと、見聞きして知っていたのに。
ハルドゥルと会話をしたくなくて、ラムを飲み干したのもいけなかったのだろう。
深く息を吐いて、握った手の力を抜いた。
そしてもう一度、胸に手をあてて、今度は不快感、その根本を取り除くイメージで魔力を練る。
グレディのギルド支部で見た資料には、毒物とは断定できない。と調査結果が書かれていた。
単なる毒消しなどでは、効果がないかもしれない。
ーーだったら、自分が感じる違和感全部、そのまま切り離してしまえばいい。
じわりと魔力が身体を巡り温める。そして同時にせり上がる、異質な何か。
「……げほっ」
不快感に身を任せて吐き出したのは、大量の血。それだけ短時間で汚染されていたのだろう。
だがそのおかげで不快感は和らぎ、身体が徐々に冷えていくのを感じる。
髪の暁色は、薄桃の割合がかなり増えていた。
予想以上に多くの魔力を使ったようだ。
違和感を切り離して、傷ついた内臓をこのまま治癒しては、今は別の危険を呼びそうだ。
口許の血を拭い、ふらつく足で汚れた地面を砂でならした。
息をついて、ティールは辺りを見渡す。
ーーリークリはいない、か。
なら、先に店主へ仕入れ先を聞くべきだろう。
ティールは、食堂へと足を向けた。
「ねぇ?どういうつもり?」
夕食のピークを過ぎたのだろう、ガランとしたそこで、ティールは厨房の店主へと歩きながら声をかけた。
「はぁ?」
やや間抜けな声は店主のもの。けれど、ティールを見ると驚いた様子だ。
その足が一歩、後ろへ下がるのをティールは見逃さない。
「アンタの要望通り、高い酒を出しただけだ!なんなんだよ!」
ーーあれ一本だけが、たまたま納品されるわけない。
そして、高い酒を買う人間は限られる。
「ラム酒、どういうつもり?」
厨房にあったナイフ、それを手に取り店主の首元へと沿わせた。ティールは、再び問いかけた。
その目は、一切の躊躇いがない狂気を滲ませていた。
あの日、父は言った。ティールの血には、世界の秩序を守る上位種の血が流れていると。
意思をもってその血を飲ませれば、自分より下位の生物を従え、眷属とすることが出来ると。
「……飲んだ客を、どうするつもりだったの?」
押しあてたナイフ、その先が皮膚を裂き、つぷと赤い玉を作り、滴った。
男は固まり、息を飲んで言葉を失っている。
ラム酒もあの時のシャンパンも、上位種であり下位種でもあるティールに、異物として作用した。
ーー下位である普通の人間が飲んだら、どうなる?
「暁!何をしているっ!」
食堂に残った人間が、呼びに行ったのだろう。慌てたハルドゥルが、ティールのナイフを奪った。
それをティールは冷めた目で見やり、軽く咳き込む。手と口に、それぞれ血が滲んだ。
ティールの手に付いた血を見て、ハルドゥルは口を噤む。
「どうもこうも。餌らしく、貴方のご希望の星の手がかりを釣り上げてあげただけでしてよ」




