第14話 傷
バチッ。
『社交ダンスで、そのような顔は相応しくありません。
もっと微笑みを添え、お相手の殿方に礼を尽くすーー令嬢として身につけて然るべき当然の嗜みでございます』
鞭でティールの手首を叩いたのは、教師として遣わされた女性だった。
『あら、お義姉様には少々難しいのではなくて?
だって、お人形さんみたいに表情がお動きにならないのですもの』
にこりと口角を上げ、社交用の微笑みをそのまま向けてきたのは義妹。
『笑顔の練習をわざわざしなければいけないなんて、お義姉様は大変ね?』
『何度申し上げれば、ご理解いただけるのでしょうか』
繰り返されるマナーレッスンでの暴力と嘲笑。
『……失礼いたします。
お嬢様のお手首に赤みが見受けられます。
本日の稽古は、ここまでにしていただけますでしょうか』
手首が痛み、握力がなくなる頃には決まって彼が間に入った。
スッと射るような視線を教師に送った彼は、ティールの腫れた手首を教師に見せつけると、そのまま手を引いて退室していた。
部屋の隅で、邪魔にならないよう専属執事として控えていることが多い彼。
止めに入らない場合でも、赤くなった手首をいつも冷やして手当てしてくれるのだ。
『お止めできず、申し訳ございません』
告げる彼の手首には、爪が食い込んだ跡があった。
そうして気付けばいつの間にか、義妹と一緒に受けていたダンスレッスンはなくなった。
代わりに彼が、ダンスパートナーとして練習に付き合ってくれていた。
「……」
目が覚めて、思わず眺めた自分の手首。
もちろんそこに鞭の傷などはなく、今は魚に食われた傷とハルドゥルに付けられた腕輪が光っているだけ。
『私のそばを離れるから、そんなふうに傷つく』
「……違う」
今も昔も、傷つくことは多かったのだ。
違うのは、昔は自分の痛みのように感じ、沈痛な顔をして手当てしてくれた彼の存在があったこと。
『ああ、私と離れて、貴女はこんなに傷ついて、何をしているのでしょう?
貴女はあの日望んだように、楽になれたのですか?』
ーー私は、選ぶことを先延ばしているだけ。
耳に残ったリークリの言葉をうやむやにして、ティールはベッドから起き上がる。
身体のダルさはなく、毒による熱は下がったようだ。
辺りを見渡せば、簡素な部屋だった。カーテンも無い窓の外は真っ暗だった。
どこかの宿屋といったところか。
「……目が覚めたか、暁の」
「……出待ち」
扉を開ければ、壁に持たれたハルドゥルと目が合った。
「たまたまだ。夕食時だからな。
様子見がてら、立ち寄っただけのこと」
「……ついていくから、手を離してくれるかしら?」
手首を掴み、廊下を歩き出したハルドゥルに、ティールは抗議の声をあげた。
「冒険者は身体が資本。今度は食べてもらうぞ」
「もう、子どもじゃないわ」
「若人の育成も副ギルド長としての責務だ」
ティールは嘆息して歩きながら、掴まれた手首、その近くの痛む傷をそっと治癒した。
手を引かれながら歩いていては、さすがに傷がひきつって煩わしい。
「ぶっ」
「ーーおい」
ハルドゥルがいきなり立ち止まって振り返り、ティールは文字通りぶつかった。
「今のはなんだっ!」
「……治癒魔法」
ハルドゥルの怒鳴り声に、反射的にティールは身を竦ませた。
「違う。魔力の巡りも消費魔力も再生速度も全てにおいて、俺の知る治癒魔法とは異なる……お前は何に、手を出した?」
握った手、その先にあったはずの傷をハルドゥルは確認している。
焦りと怒りが混じった声、最後はハルドゥルにしては音量をかなり抑えたもの。
ーー本気で怒ってる。
手を掴まれたまま行使したせいか、本来なら気取られずに済んだはずのことまで、勘ぐられたらしい。
その顔は、聖域の入り口に佇むエインと同じ、心配して怒っているもの。
もっともエインの場合は、一言。
『ティール、あまり多用してはいけないよ』
そう言っただけだった。
そして時間加速の治癒から、時間を切り取る治癒の方法へ変えてからは、なにも言わなかった。
その目は常に光を帯びて、ティール髪に宿る魔力残量を確認していたが。
目の前のハルドゥルはおそらく、経験だけで察知したようだった。
ハルドゥルは深く息を吸う、そしてーー。
「それは人が手を出して良いものではない。
……断じて治癒魔法ではない。」
押し黙るティールに、ハルドゥルは故意だと判断し断言した。
「私にとってはただの治癒魔法よ。対象者も私だけ、オリジナルなら何も問題はないわ」
対するティールも冷たく返した。掴まれた手首を振り払い、ハルドゥルの横を通りすぎる。
ーー痛みは全て、そこには無かったのだから。




