第7話 暁の君
『ティール』
ああ、これは夢だ。そう確信する。
目を開けば、目の前に会えないはずの彼がいた。
『ティール』
彼が優しく手を差しのべる。
けれど、ティールは一歩後ろへ下がりその手を取らない。
『……笑って?』
掴めない手を、仕方がないとでも言うように悲しげに笑い、彼は言う。
「……」
ーーごめんなさい。私は、もう笑えないの。
ティールは目を瞑って、夢に、別れを告げた。
「……ぅ」
目を開けると、嗅ぎなれない匂いとともに胸に不快感が押し寄せる。
身体がふわふわとしていて、揺れているようだ。
ぼんやりとした意識で、ティールは記憶を辿り、思い出した。
ーー殴られたんだ。
むくりとティールが起き上がると、長椅子の上に寝かされていたことがわかる。
鳩尾が、未だに痛い。思いっきり殴りやがって。
腕輪はあるが、それ以外に拘束はなく、室内にはあの大男も含め誰もいなかった。
今なら、と腕輪を外そうとティールは手に力を込めた。
「……?」
が、魔力が身体を巡る感覚はあるのに、イメージが形になることはなかった。
「起きてさっそくとは、考えが読みやすいなぁ」
声がして見れば、部屋の入り口にあの大男が立っていた。
「元は犯罪者用だと言っただろう。自害、自傷が出来ぬように再設定してやったぞ!」
ニヤリと笑うその顔は、見上げるティールからすれば、なんとも悪どい。
「さて。自己紹介をしておこう。先は長いでな。
冒険者ギルドグレディ支部副ギルド長のハルドゥルだ!」
そして豪快な声は、耳を塞ぎたくなるほどに痛い。
ーーギルド長より嫌なヤツ。
「ほら、貴殿の名前は?」
ズカズカと踏み込んでくるその無遠慮さが、とても腹立たしい。
「名前なんかない」
「そうか、無いか。では暁の君と呼ぼう」
「……っ!」
「巷で呼ばれている黒は、そのマントであろう?脱げば、貴殿を表すものではないからな」
全部知っていてハルドゥルはわざと聞いてきた、そのことに気づきティールはまた苛立ちが募った。
『暁の色ですね』
耳の奥で聞こえた穏やかな声に、ギリと歯噛みした。
かつて、青から薄桃へと変わる髪の色を、そう例えた彼がいた。
ーー思い出したくない。あんな夢を、見たせいだ。
「懐かない猫でもあるまい。これしきで毛を逆撫でていては、港についてからが大変ぞ?」
そう笑うハルドゥルと居るのが嫌で、ティールは部屋を飛び出した。
「……」
外に出たと思ったら、辺りは一面水に囲まれていた。乗っているのは、大きくも小さくもない船。
嗅ぎなれない匂いの元も、ここだと、強くなった匂いに理解する。
しゃがみこんで水面を覗けば、ピタリと身体が動かなくなる。
魔道具が転落の危険を察知して、発動したのだろう。
「……なんだ。海は初めてかっ!」
「海?」
「そうだ。池や湖、川とは違うぞ。かなり広いし、水深は深い。あとは塩辛いな!」
思わず素で問い返したティールに、ハルドゥルは頭をガシガシと、無遠慮に撫で回して答えた。
「今は夜だ。星明かりだけでは、暗くてよく分からんだろうが。
なに、明日になればその広大さに驚くだろうて」
ティールは、その撫で回す手を無言で払った。キッと睨んでみるが、ハルドゥルは気にしていない。
「明日にはスカフトの港に着く。暁の君は、自由にするが良い……ただの餌だからな」
「……」
何が自由か。腕輪の範囲内での自由など、とティールは真っ黒な水面をただ見つめていた。




