第4話 失ったもの
「……ちょっと上に、良いかしら?」
いつものように依頼の報告と査定とをティールが頼むと、ドリィにそう声をかけられた。
「わかった」
上に呼ばれるのは昇給の時や個別依頼の時。
前に呼ばれたのはB級に上がったときだったか。
ソロで上がれるのはB級まで、以前昇給の際に言われていた。
そこから先、A、Sに上がるには、実力以外のものが必要だとも。その時、ティールは話を聞いて断っていた。
ランクを上げたいわけではない、ただ、今の生き方が良いからだった。
二年前、ドリィもギルド長も、ティールには何も聞いてこなかった。言ってくれなかった。
責めてくれれば、叱ってくれれば、何かが変わっただろうか。
自分に向けられる目を思い出し、心の奥深くにそっと感情を埋め立てた。
なぜあんな目を向けるのだろう、ティールに救いは必要ないと言うのに……。
「久しぶりだなー。元気だったか?」
「……」
「元気だったか?」
「……いつもと、変わらない」
「そうか。変わらないか」
ギルド長の声に、遠のいた意識がいつの間にか到着していた執務室の、目の前の現実へと引き戻される。
「たまには書類整理、手伝ってくれて良いんだぞー?」
「……」
「手伝ってくれてるか?」
「……しない」
ギルド長は返事をしないと、譲らない。話が先に進まないから、渋々応じるしかない。
人と話さなくなって久しいティールには、ギルド長とのやり取りは、ただ、ただ面倒だった。
ーー会話なんて無くても、生きていけるのに。
ギルドに来るのは、稼げるから。
稼ぎは全て、寄付に回していた。
そうすることで、少しでも償いが出来たらと思うのだ。
あの日、無力だった自分が出来なかった償いを。
「残念だなぁ。ハルドゥルが居ねぇから、また手伝ってくれたら助かるのに」
「……」
ーー私はそれを、売ろうとした。
話すつもりは元よりなかったが、ギルド長の補佐を交渉材料として、相手に出したのは他の誰でもない自分だ。
自分はもう、あちら側にふさわしくない。
「助かるんだけど、なぁ?」
「しない。帰る」
ーー帰るところなんて、ないけれど。
いつも魔物蔓延る森、山、危険とされる場所で身体を休めていた。
その方が、生を実感せざるおえなかったから、先延ばしの答えを忘れないために、ちょうど良かったのだ。
最奥に感じるもう一つの熱、繋がりを忘れないようにするために。
「嬢ちゃんがなくした、冒険者ギルドのネームタグ」
背を向けたティールにギルド長は言葉を投げた。
「……」
肩越しに、ティールはギルド長へ視線を投げた。
意図が分からない。見つかったとして、自分にはもう必要も無いものだ。
リークリと約束を交わした時点で、自分の中の冒険者としての役割は終えていた。
今必要なのは、ただの都合上の話でしかない。
ギルド長はネームタグと繰り返す。そしてーー。
「本当に"もう、要らないか?"」
『本当にもう、……要らないかい?』
ーーっ。
胸の奥がぎゅっと締め付けられ、耳の奥に響く声の残滓に、ティールは思わず手を震わせた。
確かに耳に届いたのはギルド長の声、けれど耳の奥、甦るのはエインの言葉。
あの日、自分はその言葉を受け取らなかった。
あの日から全てを、ティールは間違えた。
そして雪原が広がった日、ティールはもう彼との道を違えてしまった。
今の自分を縛るのは、なんなのか。目頭が、無性に熱かった。
震えた手を握りしめ、ティールは口を動かした。息がうまく吸えない。
「……要ら、ない」
鳴り止まない慟哭の中、ティールが絞り出した言葉は、悲鳴のようだった。
魔力制御の魔道具は、あの雪景色と共に壊れて消えた、今はもう何も身につけていない。
けれども、もう昔のように魔力の揺らぎは起きることはなかった。




