第3話 ひとり
向かってくるものには、風の刃を。
逃げるものには、慈悲を。
奥深い森の中、その身に風を纏い、向かってくる獣をただ風の刃で切り捨てた。
その血がティールに付くこともない。
全ては風が、優しくその身を包んで離さない。
目が覚めたあの日から、灰色の世界が続いていた。
辺りは一面氷の世界。透き通る氷が鏡のように自分たちの姿を映していた。
泣いて、泣いて。
いつしか涙が枯れた頃。
ただ静かに眠る横顔、その手にそっと、初めて触れた。
温かさも冷たさも無く、そこにただあるだけしか存在を許されていないような……。
起きない彼に、本当は起きたくないのでは、と邪推した。
ティールが静かに目を閉じた先、本能がーー否と言う。
彼は最後、自分を突き放して笑っていた。
彼はもう、自分と一緒にはいたくないのでは。
ーー否。
愛想を尽かしたのでは。
ーー否。
彼をもう、解放するべきでは。
ーー否。
龍としての本能が、番としての本能が、離別を拒否する。
『半端な眷属化は、あくまでも応急措置だ。
お前はいつか、選ばなくてはいけない。それは変わらん』
いつかとは、いつだろうか。そのいつかに私は、選べるのだろうか。
ーー否。
『生きて地獄を共にいくのか。共にここで終わるのか、選べばいい』
ーー。
答えの無い自問自答を繰り返し、ティールは静かに立ち上がった。
氷に覆われた洞窟の外へ一歩、足を踏み出せば、それまでと一変、雑多な世界に触れた。
温度が、音が、光が、溢れていた。
さっきまでの場所は、侵されざる領域ーー聖域だと気付かされる。
『おはよう。よく眠れたかい?』
声に振り向けば、エインが静かに壁に持たれ、佇んでいた。
かつて、お父様と一緒によくいた、エイン兄様と呼んでいた。いつも自分を抱き上げてくれた、その人。
『……』
もう、自分にはそう呼ぶ資格はないだろう。
優しくされる理由も、甘えられる理由も、もうないのだからーー。
過去をなぞった思考を、頭を振って散らした。
ただ何も考えなくて良いように、この二年、ひたすら討伐依頼を繰り返していた。
光も届かない人気のない奥深い森の深部で、あるのはただ、自分の呼吸と獣の声。
ズシッとひときわ大きな獣が、自分を見据えた。
ティールはそれに臆すること無く、迫る前足の攻撃を身を反らして躱し、獣の首を風で切り落とした。
討伐部位を回収し、それ以外を炎で燃やした。
「……っ」
火に当てられて、獣の前足で掠めた頬の傷がひきつった。
ティールは無言で指で拭うと、傷口を消した。
戦闘センスはない。誰かに教えを乞いたこともない。
結果として身を削る戦い方で、最初の一年はかなりの負傷をした。
痛みだけでも自分を罰してくれると思えば、煩わしさはなく、むしろ心地よささえ感じるほどだったけれど。
とはいえ怪我で動きが鈍るのは困りもので、そうなると独自の治癒魔法をかけた。
身体に時間加速魔法をかけ、身体の老化までも加速し、再生を促すという荒業。
痛みと魔力の大量消費で効率が悪く、さらに鈍った動きの中、魔物に狙われることとなった。
幾度の傷を負い、治癒を延々と繰り返した末、その逆を思いついた。
傷を受けた時間を切り取って、消すという方法へ。
足りないイメージは全て、魔力で補った。
そうしているうちに自分の中で最適化を施し、今は任意の範囲だけに行使できる。
父ローグル公爵は氷を操っていた。魔道具も作るらしい。
ティールは全属性を扱えたが、その中でも風は特に意のままに操れた。
親子でも得意な部分、似ない部分があるらしいと、色々と試すうちに分かってきた。
そしてもう一人の氷使いを思い出し、ティールはそっと目を伏せた。
脳裏に甦るのは、氷の仔犬。
自分の力業では到底出来ない、造形溢れる儚い記憶の仔犬。
「ーー」
無意識に呟いた音は、風に拐われて消えていった。




