58話 氷壁の邂逅
ヴィクトルが声をかけても、ティールはこちらを見なかった。
地面に突き立てた剣の柄から手を離し、ヴィクトルはティールの元へ近寄る。
手が届く距離まで、後一歩というところでーー。
「ーーっ」
ビクリとティールの身体が強張ったのが、ヴィクトルにも分かった。
ーーあの男には隣を許し、自分にはこの距離なのか。
「これ以上は近づかないから、ティール。話をしよう?」
突き付けられた距離の差に、怒りはどこかへ溶けていき、代わりに目頭が熱くなる。
『ティールに会うと決めたのなら、話しておかないといけないことがある』
師匠の言葉を思い出す。
ティールを連れていった男。身なりからして、かなりの実力者だろう、と。
師匠の固有魔法ーー鑑定眼で見ても、ティールに洗脳の状態異常魔法、薬物が使われた痕跡が、無かったそうだ。
そして師匠が、ティールに話を一方的にした、と。
その中で、あの男が"遮った"のは一度だけ。
"仔犬"に反応したティールに対しての、一度のみだったと、その後逃げるように、二人は立ち去ったらしい。
だからほかは全て、ティールの意志による行動だと。
あの男も師匠にはっきりと、ティールと約束を交わしたと言ったそうだ。
アジトの放棄を皮切りに、人身売買の撤退。
そして今いる闇闘技場の閉幕。
何ヵ月も前から、いや、それよりももっと前から長期的に行われていただろう悪行の数々が、急に風向きを変えたという。
オルド王国とダザル帝国からの一連の撤退。おそらくティールは自分の身を交渉材料にしたというのが、師匠の考えだった。
ーー彼女はそんなに、強かったのか。
『アジトで君と対峙したティールは、一応正気だよ。闇闘技場で再会しても、"約束"に縛られたティールは自分からは動かず、君を再び拒絶するだろう……それでも君は会えるかい?』
話されたことは衝撃的過ぎて、すぐに返事は出来なかった。
ーーだって、自分は彼女の言葉だけで……。
あの男もまた、ティール自身に価値を見出だし固執してる。
口先だけで騙すのではなく、忠実に約束を守ろうとしているのは、その現れだと師匠は言っていた。
薬物や魔法による即物的な手段に頼らず、もっと狡猾に、確実にあの男は、ティールの全てを手中に納めたがっていると。
『ティールの言葉は本人のものだ。けれど、言葉以外もよく見なさい。彼女の真意はどこにあるのか探りなさい』
アジトに居た時なら、無理矢理連れ戻せただろう。
けれど、今の彼女の状態によっては、無理矢理連れ戻せたとして無事とは限らない。
『彼女は強くて弱い、ただの女の子ですよ』
そう言った師匠は、昔をなぞるように遠い目をしていた。
そして内緒話を始めるように、人差し指を口元にあてる。
『あの人が絶対に話さないことを教えましょう。君が彼女と出会う前。公爵が公爵位と宰相になる前のお話です』
ヴィクトルが予想した通り、幼かったティールは、母親の死に耐えられず、度々泣いては魔力の暴発や暴走を起こしていたそうだ。
ただ、予想と違ったのはその後の対応。
魔道具に頼らず、死に向き合えるようにと父は心を砕いたらしい。
父にとっての最愛は、娘だけになったから。失うわけにはいかず、常にそばにいたと。
『周りがね。見るに耐えかねたんですよ。それくらい当時の父子の状態は酷かった。止めに止めて……』
師匠は、一度言葉を止めて乾いた笑みを浮かべる。
『不器用な人ですから。自分で魔道具を作り始めましたよ。娘の為だけに、彼女の身につけるものだからと、必死でしたね。
暴発や暴走を抑えるために、娘の感情と魔力を封印する高度な魔道具を試行錯誤して。
完成した魔道具を娘に着けたら……距離をとり始めたのは、そこからです』
最初からなんでも、出来たわけではなかった。あの精巧な魔道具は、ただ娘のために。
『娘が自分を見たら、その度に思い出してしまう。魔道具をつけた意味がなくなるからと。
公爵位と宰相に就いて、彼女が大きくなった時に、困らないようにと外堀を埋め始めましてね……』
そこでため息を吐き、師匠は心底嫌そうな顔をした。
『不器用で、ひねくれてて、気が短いかと思えば変に長い。
目的のためならと、誤解を招く数々をし始めまして……。あぁ、今はそこではないですね』
咳払い一つ。師匠は話を切り替えた。
『彼女の記憶は封じていません。幼少期の経験で痛みや苦痛に大変強くなってしまった。魔道具をつけていた長い年月、彼女は隙の無い公爵令嬢としてあり続けた』
そこは、自分も知る彼女と重なる部分。
『魔道具をつけた十数年の中で、彼女が欲したのは、後にも先にも君だけです。
番の本能に導かれたのでしょう。君を教育する為に離したら、実は、ティールもすごく荒れましてね……。
黒い仔犬と、魔力を隠蔽して執事として出会った貴方とは本人は結びついてなかったようですけど。
君がそばにいると、とても心身が安定していましたね』
それは、自分の気づかなかった彼女。
『そういうところ公爵によく似ていますよ。
後妻や義妹の悪事の数々は、彼女にとってきっと些事だった。
君が隣にさえいれば。貴方も共感出来るところがあるのでは?』
そう、師匠はにっこりと笑っていた。
ーーそうですね。師匠。
目の前の彼女は、自分に返事はくれない。
けれどよく見れば、痩せこけた頬に細い首、顔色を隠すためか、いつもより濃い化粧。
体格も記憶にあるより、ほっそりとしている。
長く伸びた髪は、薄桃の色がくすんでいた。何か、魔力で無茶をしたのかもしれない。
彼女の本来の髪の色は、秋の青空に雲の白いヴェールがかかったような水色なのだと、師匠は教えてくれた。
『彼女の想い、その心を探しなさい』
彼女が真に望んでその位置にいるには、あまりにも痛々しく、満身創痍な姿をしていた。
3.5話
26.5話
Side視点をカクヨムにて加筆しています
また最終話、エピローグも公開中です
お嬢様、私に拾わせていただけませんか - カクヨム https://kakuyomu.jp/works/822139840765447449




