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【1章完結】お嬢様、私に拾わせていただけませんか  作者: 松平 ちこ
1章

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52話 ただ一つ残ったもの

リークリ登場回、心理操作重めなので作品はR15にさせていただきました。

「ほら、食べないと治らないよ?」


「……」


 ぺたんと垂れた三角の黒い耳、艶のない黒髪。

 身体は至るところに手当てが施されていた。

 くすんだ金色の瞳で、ヴィクトルは手元のスープを見ていた。


「ほら、食べさせてあげよう」


 師匠が左手でスプーンを持ち、スープをすくって口元に押し当てた。

 器を持つ右手には、包帯が巻かれている。


「……自分で、食べられる」


「なら、最初から自分で食べなさい」


 戻されたスプーン。それでも、ヴィクトルの手は進まない。


『ごめんなさい』


 寝ても起きても、耳に残って離れないティールの声。


『私。リークリ様と行くの』


 愛しい声が紡ぐのは、別の男の名前。


 ギリと力を込めれば、スプーンが折れた。


 師匠はそれを見て嘆息し、椅子から立ち上がる。

 新しいスプーンを持ってくるつもりなのだろう。


「三日だけ待つよ。こっちもやることがあるし。けど、それ以上は置いていくから」


 扉に手を掛け、師匠が声をかける。


「情報が入ってね。地下施設で"最後の催し"があるんだそうですよ。

帝国含め各地で起きていた行方不明と人身売買は、パタリと取引が止んだらしいです。

なんなら戻ってくる人もいるそうですよ。

拐われた先でティールがなんらかの取引をした証拠です」


 師匠はちらりとヴィクトルに向き直って、言葉を投げかけた。

 その耳に、心にちゃんと届くように、意識して。


「彼女は何を、差し出したんでしょうね?」


ーー分からない。彼女は、ごめんなさいとしか言わなかったから。


 あの時、助けてと言ってくれたら、自分は喜んで、あの身体をその腕に閉じ込めにいったのに。


「彼女は公爵の娘です。国における立場もそうですが……」


 そこで言葉を区切り、師匠は冷酷な国の人間の顔をする。その声は事務的で酷く冷たい。


「感情と魔力封印を施すほど、身体が耐えられない潜在能力を、父たる公爵から引き継ぎ過ぎています。

今回の件が終わり、国預かりになればもう、水晶姫としての生活どころか、今回の責任とその危険性から生涯幽閉となるでしょう」


 "幽閉"の言葉に、ピクリとヴィクトルの肩が揺れる。


「このまま、地下施設が閉鎖されて国外逃亡させるわけにはいかないのです。

なのでバカ弟子を待てるのは、催し予定の前日、今から三日後までです」


 彼女の潜在能力は、災害レベルだ。他国で兵器にさせるわけにはいかない。

 そこまで言って彼は、弟子をみる師匠の顔になる。


「君はどうしたいですか?」


「……俺は」


「彼女が欲しくはないのですか?」


 握った拳、スープの水面に映る自分の顔は苦渋にまみれていた。


ーーティールに拒絶されるのが、怖い。


「好きだと言ったことは?愛してると囁いたことは?一度でもありましたか?

優しいだけでは足りませんよ。察してほしいなんて、子供のすることです」


「……」


 そういえば、ティールの言葉が強烈過ぎたけれど。

 目の前の師匠も、何か説教をたくさん言っていた気がする。

 それはもうすごい笑顔で、何か言っていた気がする。

 今みたいに……。


「だいたい、拒絶されても良いじゃないですか。嫌われても良いではないですか。それがそんなに大事ですか?

君は彼女の番でしょうに。ただの人間より、よほど勝算もありますよ。

そばにいたいのなら、許してもらえるまで努力を惜しまないことです。

……君たちは、生きているのですから」


 言っていて、だんだんと師匠は腹が立ってきたのだろう。内容が愚痴に等しくなっている。


「公爵からの伝言です。執事ヴィクトルに暇を出すそうです。君はもう何者でもない」


 部屋を出るための一歩を踏み出し、師匠は告げる。その顔はもう自分を見なかった。


「ただの犬らしく、替えのスプーンは要らないでしょう。……三日です。あとは自分で決めなさい」


 その繋がりが切れてしまう前に。その風に溶ける最後の言葉は、しっかりとヴィクトルの耳に残った。


 一人残された部屋、スープはもう冷めきっていた。


「……」


ーー何者でもない、か。


 ティールに拾われて、すぐに気づいた。彼女が自分の唯一だと。

 母が自分を旅に出したのは、世界を知るのと同時に、番を見つけるためでもあったと理解した。


 ティールを守れるようにと、人としての教養と戦う術を師匠に叩き込まれた。

 再会した彼女は、人形のように無機質な心をしていた。


 鏡のようにも感じるそれに戸惑いながらも、拒絶されないよう、必要とされるように、ただ執事として必死に仕えた。

 そばにいられるだけで幸せだった。


 魔道具が壊れて、心の機微が豊かになったティールに、振り向いてほしくて、自分を見てほしくて優しくした。

 彼女の中で、ヴィクトルへの恋情が育つのを、ただ待った。

 彼女が望む距離で、居続けた。


 それは、全部自分への言い訳でーー甘えだった。


ーーそう。自分は何もしなかった。


 その結果、彼女の中から、自分の存在が消えた。


 ティールの肩を抱き寄せそばに立ったあの男は、ヴィクトルが立てなかった場所に立っていた。

 それはヴィクトルが詰めなかった距離だ。

 自分の甘さが招いた結果だ。


「……って」


 ポタリとスープに雫が吸い込まれた。


ーー待って。


「……ないで」


 掠れた声、漏れる嗚咽。ただ静かに部屋に響く。


ーー行かないで。


 初めて自分から求めた、彼女に宛てた言葉。彼女にだけ向ける言葉。嘘偽りない、本心。


 あの時と同じ言葉を、繰り返す。


 ああ、自分はティールのそばにいたい。


『ごめんなさい』


 耳にティール声がこだまする。

 彼女は自分を必要としない。隣に別の男を選んだ。


 もう番だと名乗る資格もない、彼女を迎えに行く資格も、ない。


 それでも、あの時彼女に向けた言葉に嘘偽りはない。


 拒絶されるのが、必要とされないのが、ずっと怖かった。

 臆病になった。受け身だった。


 けれど実際その場所に立たされて、自分は初めて、惨めに彼女を求めた、すがった。


 彼女の横にいるのは、自分でありたい。


 けれど。

 ティールを目の前にして、自分は耐えられるのか、あの自分が映らない瞳に向き合えるのか。


ーー怖い、弱い、情けない……。ああ、自分はこんなにも無力だ。


 希望も、誇りも、立場もない。

 自分に残っているのは、もう何もない。


ーー違う。ティールを想う気持ちは、ある。


 彼女への想いだけが。その胸に。

 彼女との細い繋がりが、その心に。


 自分の中、確かに残されていた。

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