46話 黒い仔犬
「……バカ弟子が」
ヴィクトルを中心とした荒れ狂う突風の中、降り立つように隣に立った師匠が、嗜めた。
「……ぐっ」
まるでカードを投げるように、ヴィクトルの方へ手を払う仕草をする。
ヒラリとリボンとも紐ともつかない半透明の帯がヴィクトルの視界を遮るように両目に絡みついた。
師匠は、ぐっとその帯の端を引っ張る。まるで犬のリードのように。
「やぁ。不出来な弟子で申し訳ないね。ちょっと目を離すと、すぐ粗相するんだ」
軽口を叩くその目は全く笑わず、ティールの隣の男を見た。
「構いませんよ。その姿はまるで、駄犬のようでお似合いです」
男が指したそれは、ヴィクトルが苦しげに帯に両手を掛け堪えている姿。
その濡れたような漆黒の髪に、ピンと伸びる三角の耳が生えていた。食い縛る口には、牙が見えている。
ーーまるで黒い大型犬のように。
「あ、それやめてくれる?弟子を駄犬呼ばわりして良いのは、上司の特権なの」
「それは失礼しました。ですが、いつまでもお喋りに興じては、躾の邪魔でしょう?
私達は失礼させていただきますので、ごゆっくりどうぞ」
「ああ、君には用はないよ。僕が用があるのはティール、君だ」
「貴方もですか?」
男は師匠にわざとうんざりとした様子を見せた。演技なのは丸分かりだ。余裕が見てとれる。
師匠は今、ヴィクトルの手綱を握っており動けないからだ。
「いや、ティールが行きたいなら行けば良い。止めはしないさ」
公爵家には本当に苦労させられる。今度、特別手当てでも願い出よう。
自分は生身のただの人間なのに、この扱いだ。まぁ多少、……ドーピングはしているが。
それでも、周りは全て規格外ばかりとは理不尽だ。
帯を握る手の力は一切緩めず、師匠は言葉に情を込めた。
自分の目は、全てを見透かす絶対の自信がある。公爵のお墨付きで。
「……ティール、ティール。ほら、ちゃんと見なさい。
……君が拾った、"黒い仔犬"だ。覚えているかい?大きくなったろう?不出来だけど、頑張ったんだよ。君のために。
本当にもう……要らないかい?」
幼子に言い聞かせるように、師匠は語りかけた。
繋がりは、切れてないとバカ弟子は言ったのだ。
"黒い仔犬"、そこでピクリとティールが反応した。
「ティール。……そう。"黒い仔犬"だよ」
ティールがヴィクトルを視界にとめた。
色の無かった瞳に、僅かに熱が宿る。
「ヴィーー」
「貴方、公爵の部下でしたね。食えない人だ」
口を開いたティールの耳に、そこへ優しく手を当てて男が口を開いた。
その声に初めて、苛立ちが混じる。
「おや、褒め言葉をありがとう。君も案外、爪が甘いのではないかい?」
「いいえ。……抑えるのが大変でしょう?私たちは本当に、お暇いたしましょう」
そう言って男は、小さなハンドベルを鳴らす。
「水晶姫。《私は君が欲しい》一緒に行こう。約束だ」
「……はい。リークリ様」
促されるまま、ティールはヴィクトルから背を向けた。先ほどの情は無かったように。
「ああ、そこに全て置いていきます。水晶姫との"約束"なのです。
アジトの中には、大勢の帝国の民がおやすみ中です。そして貴方方の周りには、たくさんの魔物寄せと魔物興奮剤を置いてます。
私の自信作でしてね。そこの犬にも、よく効いてるでしょう?アジトの中には集めた魔物もいます。置き土産、楽しんでくださいね。では」
男はそう言うと、ティールをエスコートする。
そして、用済みだと、振り返ることなく馬車に乗り込んだ。
「ティール!もう探さなくて良いんだよー。今度、会いに行かせるから、健やかに待っているだけでいい。引っ張ってでも連れてきますー」
離れていく馬車に師匠は声をかける。聞こえなくても届いているだろう。
「……さぁ。再教育の時間だ。
ああ、他の者は手分けして救助と討伐に当たれ。
死傷者は許さん。指揮はいつものように任せる!」
一つ深呼吸をして、師匠は目の前のヴィクトルを確認した後、連れていた私兵に指示を出す。
「何が、『人間には効きすぎる』ですか。こんなになるのはもう、多少種類が違うとしても。効きすぎるどころではないですってー。しかも強化の魔道具付きですよ?まぁ早く楽にしてあげましょうね」
師匠は、剣を抜くと、打たれ強い弟子に対し大義名分を得たと笑った。




