43話 価値ある選択
「お気遣いありがとうございました」
「お口に合いましたか、水晶姫?」
「……ええ。とても美味しかったですわ」
まだ顔は火照っている気がするが、小腹が満たされて、ティールは少し平静を取り戻した。
今のところ不調は無い。速効性の毒で無いのは確かだった。
ーー遅効性も捨てきれないなぁ。
「失礼、口元にクッキーが」
思考が横にずれていたティールの口元に、リークリが指を伸ばしてクッキーのカスを拭い取った。
ハンカチで指先を拭いながら、リークリは反応を楽しむように微笑む。
「なっ!」
「良かった。水晶姫の笑顔が見れて、私も嬉しくなります」
リークリは何事も無かったように、静かに紅茶を飲んでいる。
けれどその口元は僅かに笑みを浮かべていた。
ティールはやっと落ち着いた朱の頬が、再び熱を持ち始めた。
赤面した顔を隠すように、ティールは思わず目を反らす。
ーー心が乱されるのは、ヴィクトルに似てるからだわ。
話し方や仕草、紳士然たるリークリの姿は、かつてヴィクトルがティールに向けていたものと、あまりにもよく似ていた。
錯覚してしまうほどに。
テーブルの下、ギュッと両手を握りしめて、ティールは意思を新たに話題を切り出した。
「……リークリ様は、私の価値を正しく見いだしてくださったのよね?どうなさるつもりなのか、お聞きしても?」
僅かに上ずった声。羞恥を通り越し、ティールは逆に冷静になれた。
「ああ。彼らに何を吹き込まれたのかは存じませんが、私は貴女に危害を加えるつもりはありませんよ。
彼らは少し野蛮で。私も手を焼いているのです。
貴女とは公的な場で出逢えていれば、是非お近づきにと、私は常々思っていたのですから」
ーー公爵令嬢が出席する場に出られる立場?いいえ、むしろ出られなかったと見るべきね。
「冷遇されていた貴女に、心を痛めておりました。長い間、貴女は孤独を耐え抜いた。
亡命もさぞ大変だったことでしょう」
そう痛ましい顔をするリークリに、ティールは警戒心をあげる。
ーーあの男から、私のことをちゃんと聞いてるのね。
「冒険者ギルドでは、よくしていただきましてよ?ご心配ならさずとも、とても有意義に過ごしていたわ」
にっこりと笑ってティールは線引きをした。
短い時間ではあったけれど、あの日々は自分にとってかけがえの無い宝物だ。
貶されてたまるか。
「そうですか……。では、先ほどの質問ですが。私は貴女が欲しい。
貴女にはその価値に見合う安全で快適な暮らしを、お約束しますよ」
リークリはテーブルの上で手を組み、こちらを伺うように見つめてきた。
その視線に、ティールの鼓動がドキリとはね、スッと視線をそらしてしまう。
ーー似てるだけなのに、どうしてこんなにドキドキするの……。
邪念を払いティールは、意を決して口にする。
「私だけ安全では意味がございませんわ。私、見ましたもの。
たくさんの人達を拐ってきたでしょう?彼らを解放してくださる?」
ーーストレート!駆け引きしてない……。私、すごく動揺してるじゃない。もう!
心の中で、涙を流したい気分のティールである。
「……ああ。彼らが連れてきた人達ですか?ええ。それで貴女が、私の元に来てくれるなら喜んで家へ帰しましょう」
「……」
ーーえ?良いの?
「おや?お気に召しませんか?では、今後一切の人身売買事業からの撤退をお約束します。人攫いを含め、いたしません。
貴女が私の元に来てくれるのであれば」
無言を否定と受け取ったリークリは、ティールの予想以上に、かなりの好条件を出してきた。
裏を感じさせない、人当たりの良い笑みを浮かべるリークリ。
ーー私に、そこまでの価値が?何を求めているの?
リークリに見つめられると、ティールはドキドキして、思考がまとまらない。
どうしたらいい?と悩んでいると、リークリがうちポケットからメモ用紙を取り出し、サラサラと書き綴った。
「読んでいただいて構いません。貴女が私の元に来てくれるなら、この紙を彼らに渡して即お約束を果たして見せましょう」
その紙には、彼らに連れ去られた人々の即解放と、人攫いを含めた人身売買事業の即時撤退がリークリの名で指示されていた。
「ああ、それと。水晶姫に恥じぬよう、貴女が見た部屋の魔物達、あれらも適切に処理して、今後手を引きましょう。
望むなら王国と帝国から手を引くのも良いですね。貴女と2人、他国に行くのも悪くないでしょう」
それはあまりにも誠実で、疑う余地もない、彼の言動の現れだった。
面と向かって、そこまで求められたのは初めてで、ティールは一瞬言葉を失った。
息を吸い込み、視線を上げる。
リークリの瞳が静かに、しかし確かに自分を捉え微笑んでいた。
その瞬間、胸の奥で何かがゆっくりほどけていく。
抗おうとすればするほど、理性がリークリの誠実さに溶かされていくような、不可抗力の感覚。
ーー私の選択。……これで、良いんだよね。
そう思わせている時点で、もう彼の掌の上だと、ティールは気づかないまま。
『私は貴女が欲しい』
ずっと誰かにそう言って欲しかったのかもしれない。
心の奥では、自分が徐々に引き込まれていく感覚があった。いつかは全て、呑まれてしまうのかもしれない。
心に空いた穴が長い不安と疑念ごと、温かく異質な黒に満たされ、いつの間にか抗えないものに変わっていた。
そこに一筋の光を残して……。
こくりと頷いたティールに、リークリは手を伸ばして頬に触れる。
すり、とティールはそこに頬擦りをした。
ティールを見つめる目を細めて笑うリークリには、微かに計算と執着の影が混ざり、温かさの裏に冷たさを潜ませていた。




