38話 水晶姫の矜持
『水晶姫なんて呼ばれて、ちやほやされて!ムカつくったらないわ!!』
バシャッ。
花瓶の花ごと水をかけられて、ポタポタとティールの長い髪から雫が落ちる。
茎で切れたのか、頬から血が滲み、雫に朱が混じる。少し鉄臭い。
ふわりと舞う花びらが、地面に出来た水溜まりの中に沈んだ。
足元を無惨な姿になった花が散っている。
『……』
なにも言わず、ただ静かな瞳をティールは正面の人間へと向けた。
水をかかけた張本人の義妹はそれが気に入らず、さらに捲し立てた。
『こんな人形みたいに不気味な女の、どこがいいのよ!自惚れるんじゃないわよ!』
迷いなく花瓶を持ち上げて、投げた義妹。
ああ、当たるなと思ったら黒の背中が、自分を庇うのを見た。
『戯れが過ぎます』
そう、茶会から帰った、よくある光景のひとつだった。
「……」
静かに目を開けば、長く透き通った髪が視界に飛び込んできた。
ーーああ、だから昔のことを思い出したのかしら。
髪が長くなったのは、魔法の影響だろう。
足は?と思い出して、ティールが起き上がった。
視線の先、伸ばした手に足の確かな感触が伝わる。ほっと、胸を撫で下ろした。
辺りを見渡すと、倒れたままの人たち。
子供もいればティールと同じくらいの若者も居た。
そのうちの近い一人に近寄り、肩を揺するも起きる気配が全く無かった。
三人ほど、同じように試してみたけど、起きる者は一人もいなかった。
この人数を抱えて運ぶことも、一人一人起こして回ることも、時間がかかり難しそうだ。
ティールはそう、結論付ける。
窓の無い扉に近づき、そっと手をかける。
扉は動かず、鍵が閉まっていた。
ーー鍵って、扉と壁が繋がった箇所が、確かあるのよね。
造りを思い浮かべて、ひとつ頷くとティールは取っ手を握ったまま力を込める。
シュッと、風を切る音がした。
扉が僅かに動いたのを確認して、ティールの口元がほころんだ。
取っ手側の壁と扉の境目を、風魔法で切断したのだ。
「っ!」
くらりと立ちくらみを起こして、扉にもたれ掛かる。
そう言えば、夕食を食べてない。
そもそも、今が、いつなのかも分からないけれど。
それに、目に映る長い髪は全て薄桃。
魔力が満たされた証拠の薄青は、見当たらない。
ーー空腹と疲労、魔力残量。全部かな?
情けないステータスに、ティールは思わず苦笑いする。
あまり、魔法は使わない方が良さそうだ。
ワンピース姿で、武器もない。
体術だってもちろん出来ない。
でも髪が伸びたお陰で、一つ"武器"が出来た。
人をたくさん拐ったのだ、それはきっと"武器" として通用すると、ティールは確信する。
扉をわずかに開け、周囲を探る。
左右に人はおらず、土と石の壁が続いていた。
やはり石造りの建物というより、どこかの洞窟のようだ。
ーー右と左、どっちかなぁ。
少し迷ってから、どちらに行っても同じだと考えた。
運良く人に会わずに、外に出れたら助けを呼ぶ。
敵にあったら、大人しく"武器"を行使しよう。
相手が何人居るかも分からない状況だ。
何回使えるか分からない魔法を行使して、意識を無くしてしまったり、動けなくなった方が危険だ。
「よし。右ね」
そう言ってティールは歩きだした。
扉を見つけたら、先ず耳を近づける。音がしたら、通りすぎる。
音がしなかったら、扉を開ける。開けなかったら、通りすぎる。
そうやって思いつくままに、けれども慎重に、ティールは歩いていた。
ビクビクしない、おどおどもしない。
背筋は伸ばし、いつ誰に会ってもいいように堂々と歩く。
自分の持つ武器を、最大限に活かすために。
ーーっ!!
「おい!お前っ!なんで起きてるんだ!?」
「脱走してるぞ!鍵はどうしたぁ!?」
男二人に遭遇した。
内心、ティールはとても驚いた。
けれどもそれを表に出さず、ティールは微笑んだ。
一歩前に出て、長い髪を揺らして見せる。
伸びたばかりの髪は汚れひとつなく、僅かな明かりでも煌めいた。
久しくその生き方と離れていたが、それでも身体は覚えている。
ーー怯むな。凛としろ。
ワンピースの裾をつまみ、優雅にカーテシーをした。
今はまだ非力な自分。煌めく薄桃の髪は水晶と社交界で称された。私を表す大切な武器。
貴族令嬢としての価値を最大限に活かして、機会を待つ。
「まぁ。やっと人に会えましたわ。私、オルド王国シグラズル公爵が娘ですの。家に返してくださる?」
拐われた人たちを無事に返す。それで冒険者としての私が終わるのだとしても。




