26話 執務の手伝い
カリカリカリカリ。
黙々と何かを書きつける音が続く、かと思えば、パタパタパタパタと部屋を行き来する音が響く。
「いや、ほんと助かるわー。救世主じゃねぇ?」
「お酒ばかり呑んで、仕事しないからですよぉ。仕事、してくださいねぇ?」
書類を書くための必要な資料を取りに、本棚へ行ったり来たり動き回るティールを見て、ギルド長は感心していた。
それに苦言を呈したのはドリィ。酒棚から減りのスピードが早いと、事あるごとに注意をしている姿は、もはや日常だった。
ギルドの雑務を手伝うようになって数日、ティールは公爵令嬢時代の技能を買われ、ギルド長の執務室に通うようになった。
「読み書き計算、知識と言い、丁寧で分かりやすい……文句がねぇ。嬢ちゃん、マジで職員にならないか?」
「昔、習っただけだから」
「身につけて活かせるのは、本人の努力の成果ですよ。……ギルド長になっても、ずーと事務が嫌で、先延ばしにている方もいますから」
ツンと返すドリィの長い耳が、ギルド長をピシッと指していた。
最初のうちは、安全のため宿舎に居るようにと言われた。
けれど、何かしていた方が安心するのだ。
何でも良いから手伝いたいと言ったところ、ドリィが書類を持ってきた。
ーー副ギルド長が長く不在で書類が溜まってきているらしい。
『ドリィが副ギルド長だと思ってた……』
『そうね。ギルド職員の服も着てるから、間違えても仕方ないわ』
聞いた時、ティールはそれはもう驚いた。
ドリィの立場は正確には、ギルド長の護衛兼補佐らしい。
そのドリィがティールのために書類を持って、宿舎と執務室を行き来するのが申し訳ないと、思うのは仕方ないだろう。
執務室なら安全だからと、ティールが押しきったのが執務室に3人が揃うことになった始まりだ。
ギルドの仕事をし始めて、ティールは自身に足りない知識を増やしていった。
ーー分からないことを知るのは、とても楽しい。
ヴィクトルが教えてくれたのは、ここはダザル帝国と言うことだけだった。
今いる場所は、オルド王国から馬車で2日。国境から一番大きな街だった。名はグレディ。
ティールが滞在している冒険者ギルド、グレディ支部は、周辺の依頼も取り扱っていて、取り扱い分野は多岐にわたっていた。
ティールの中で冒険者ギルドは、冒険のイメージが強かった。
けれど実際のところ、暮らしの便利屋の側面も多い。商人の護衛から掃除に店番、子守り、農作、酪農など生活に密着した依頼もあった。
1年を通して温暖な気候から、動植物がとても活発なのも窺えた。
チャリと微かな音が耳に届いて胸元を見る。
そこには、冒険者プレートと父からのネックレス、ーーヴィクトルのリングが下がっていた。
目覚めた朝、彼は何処にも居なかった。それ自体は良くあることではあった。
けれど、数日経つのに帰ってこない。
「預かったの」と渡されたリングは、いつでも返せるように、ティールの首に下がったまま。
ドリィもギルド長も、その事には触れない。
ティールも、聞くに聞けなくて時間だけが過ぎていった。
執務室と宿舎の閉じられた世界。
ティールがギルドから出たのは、薬草採取の1度だけ。それ自体は、令嬢時代と比べても苦ではない。
ただふとした時に、時間の流れを自覚するのだ。
手伝い始めた執務に、やりがいを感じたのもあって、それはあっという間にも感じる。
新しい知見が得られる日々は、人々の営みに触れるからか、不思議と閉塞感も無かった。
「……あ」
気づけば紙にインクの染みが出来ていた。書き直さなければ。
新しい紙を取り出して、字を綴っていく。
ーーまた、やっちゃった。
日に日に小さなミスが増えていることを自覚して、ティールは内心ため息を吐く。
以前の人生より、色のある生活をしているのに、何かが足りないと感じる。
じっとティールが見つめた先ーーティールの作業場と化したテーブル、その隅には木彫りの子犬がいる。
慣れ親しんだ香りが飛んでしまった子犬はただ、ヒノキの香りを僅かに残しているだけ。
その事に気づくたび、インクの染みが広がるようにティールの心に影が広がった。




