20話 帰路の途中で
「あ、そうだ。森で歌った子守唄。気に入ったのなら、また歌うね」
「……、ありがとうございます」
薬草採取の帰り、ふと思い出してティールが言うと、ヴィクトルはこちらを見ずに返事を返してきた。
ーー今の間、なに?
実は、そんなに好きじゃないのだろうか?
けれど森で歌った時、彼は笑顔だった。様子が変わったのはそう、"番"の言葉について聞いた時。
「……」
ドリィに聞けば良いかしら。と結論付けだ。
ティールの中では、すっかり頼れるお姉さん的な存在だ。姉がいたらこんなだろうかと思っていた。
ガサリ。
音と共に腕に抱いた紙袋から、いい匂いが鼻先をくすぐる。
街へ戻ってきた時、出発時にはなかった露店が幾つも開いていたのだ。
活気のある街並みに目を輝かせるティールに、ヴィクトルは街のオススメと、近くの店から焼き菓子を買ってきてくれた。
本日のデザートの予定である。
歩いた先、トンと前を行くヴィクトルの背にぶつかり、あれ?と視線をあげるとーー。
ヴィクトルが冒険者ギルドの入り口で止まっている。その表情がいささか固い。
「どうかした?」
「……中が少々騒がしいようです。念のため、気をつけて下さい。フードは絶対に取らないよう、お願い申し上げます」
ティールに向き直って声をかけるヴィクトルの笑顔は、いつもの柔らかなもの。そのまま彼は、扉に手を掛ける。
言われたティールも、フードを深く被り直した。
ピタリと後ろについて、ギルドに入ると、ロビーは出発時の閑散とした様子から一転、そこそこの人で賑わっていた。
受付をする人、依頼の掲示板を見る人、奥の食堂へ向かうもの、これから出掛ける人とすれ違ったりもする。
これくらいなら街中と、そう変わらないのではないだろうか。騒がしいというより人が活き活きとしている、と階段に向かいながらティールは思う。
そして、それは突然だった。
「ーー!」
ドゴッ。
耳を裂くような声が、フロアに響き渡る。誰の声だろう。
ヴィクトルが自分の1歩前に出たかと思ったら、ティールを庇うように手を伸ばし、反対の手にあった荷物を手離しーーその手で、男の頭を勢いのまま床に押さえつけた。
地面が僅かに揺れたのを、ティールは感じ取った。
何が起こったのか、分からなかった。
男は人混みの中、急に現れなかっただろうか?
押さえつけているヴィクトルの手の先ーー男の頭は、木の床に叩きつけられていた。
床には穴が開いたのか、そこへめり込んでいるようにも見える。
「ーーくれ、よぉ」
ぞわり。
周囲の音が消え、男の声がやけに大きく聞こえる。
そのねっとりとした男の声が、ティールの身体に絡みつき、動きを封じた。
どさり。持っていた紙袋が手元から滑り落ちた。焼き菓子と氷の子犬が足元に散らばる。
早鐘を打ったように、鼓動が跳ねた。ーー怖い。
ヴィクトルが低く、舌打ちをする。
さらに力を込めたのだろう。ゴンと床に押さえつける音がする。
それと同じくして、男が動く。手を地面につけ起き上がろうとしているのだろう。
めり込んだ床から頭が動き、男と目が合った。
ギョロりとした目は見開いていて、普通ではない。
床の木片が刺さったのか、顔は血だらけだ。鉄の臭いが、鼻を突いた。
ヴィクトルの背中と男を凝視したまま、ティールは、動けずにいた。
「……っあ」
カラカラに乾いた喉からティールの声が、出た。
ボキンと、何かが折れる音がした。
押さえつけられてるにも関わらず、男がそれを気にした様子は全くない。
男はティールにまっすぐ手を伸ばして、よだれの滴る口が開いた。異常過ぎる。
メリメリと押さえつけられた男が、なお強引に動く音がする。ヴィクトルの指が、男の皮膚に食い込み赤く染まっていた。
ティールは滲む視界の先、小指の光と熱を確かに感じた。むしろ熱いくらい。
魔道具が発動している。
リングを掴むように伸ばした手、鉛のように重くまるで自分の身体ではないようだ。
落ち着かなければ。
そう思うのに恐怖で男から目が離せず、心臓の音は煩くなるばかり。
息を吸おうとしても、胸に何かつっかえたように上手く吸えない。息を吐こうとしても、思うように吐けない。
カチカチとした音は、自分の歯が噛み合う音か。
「なぁ……、あるんだろう?くれよぉ。俺にも分けて、……く"れよぉ」
血走った目が、ギラリと自分を捕らえて離さない。
ーー怖い。怖い。怖い。
これは誰だ。私は知らない。こんな人は知らないーーっ!
ぼやけた視界、その瞳から雫が落ちた。
フロアを、ひんやりとした空気が覆う。その中心であるヴィクトルは男に対して、何かを決めたようにスッと剣呑に目を細めた。
「わりぃ!助かった!!んで、殺すな!!!」
「もう大丈夫よぉ。ミルティちゃん」
「……遅い」
フロアの人混みをかき分けて出てきたのは、焦ったギルド長。
奥から跳躍し、ティールの後ろ、抱き抱えるように降り立ち現れたのはドリィだった。
近寄ったギルド長が何かしたらしい、男はぐったりと動かなくなった。
ヴィクトルは危険がないと判断してから、ようやく手を離した。
その気遣わしげな瞳が、こちらを見つめている。触れないのは、その身についた汚れを気にしてか。
ティールは背中に、ドリィの温かな体温を感じる。けれど、ドクドクとした嫌な鼓動が、煩いままだ。
フッと足に力が入らず、ティールはよろけた。そのまま、ドリィにもたれかかるとしっかりと抱き止められた。
ティールの目に、ドリィが優しく手をのせた。怖かった男も遮られ、辺りが真っ暗になる。届くのは、自分の心臓の音とドリィの声だけ。
「ゆーくりで良いわ。息を吸って。そう、吐いて、吸って。吐いて。……良い子ね」
ギュッと抱きしめてる腕に力を込めて、ドリィは優しく、優しくティールに話しかける。
プツと緊張の糸が切れ、ティールの意識は、そのまま闇の中に落ちていった。




