2話 この胸を満たす香り
「思ったより時間がかかりましたね」
冒険者ギルドから出てきた扉を閉め、人混みに紛れながら青年は指にリングを嵌める。
月に照らされた王城の方を見やってから、スンと息を吸う。
邸へ向けていた足を止める。
「お嬢様が、王城に居ない…?」
おかしい。この時間はまだ夜会のはず。
それなのに王城と離れた場所から、お嬢様の匂いがする。
しかもお嬢様の匂いの他、近くに嗅ぎ慣れない臭いが複数。移動しているようだ。
「……郊外、ですか?」
足を動かしながら、さっきつけたばかりのリングを外し、チェーンに通すと首にかける。
漆黒から、本来の銀髪へと瞬く間に髪色が変わった。
身体に抑えていた魔力が巡るのを確認しながら、続けて身体強化をかけた。
首もとでネームタグとリングが擦れ、音を鳴らす。
王都から離れた、うっそうとした森の方へと迷わず駆けた。
近づくにつれ、鼻につく異臭に眉をひそめる。
ーーお嬢様に醜聞など…。
断じて許さない。その金の瞳に殺気が宿った。
「ーー、中にいるのか?」
「手筈…に、報酬はー…」
月明かりも届かない暗がりの中、男たちの声が聞こえ始めた。
馬車を囲むように四人。
酒場で金貨にでもつられたか、ごろつきと呼んで遜色無い風体の男たち。
武器もなく、辺りを警戒する様子もない。
ーー間に合った。
その事に人知れず安堵する。だが、なぜだろう嫌な予感が消えない。
お嬢様に危害を加えようなどと、殺してしまいたいが、情報を吐かせなければいけない。
ズボンの裾から、ナイフを数本取り出した、その瞬間ーー。
ゾクッ。
大気が震え、強烈で濃い魔力が森を満たす。
「ーーっ!!」
馬車を中心に暴風が吹き荒れる。視線を走らせると、男たちは木に叩きつけられ、気絶していた。
続いて馬車が内側から爆発、破片が散り、濃密な魔力が光となり夜空を裂いた。
「お嬢様っ!!」
魔力暴走ーー。
だが、お嬢様は平凡な魔力量のはず。
この規模など本来あり得ない。
凝らした視線の先、光の中に涙をこぼす少女の姿。
「くっ!」
お嬢様の姿を捉えた瞬間、内包する魔力が暴発しかけーー歯を食いしばって抑え込む。
ぶつけてしまえば、彼女がどうなるか分からない。
そうでなくとも、魔力暴走は命を削ると言われていた。
光柱に近づくと衣服の先、皮膚も刻むが、さらに濃い魔力を纏わせることでやり過ごす。
お嬢様の涙に比べれば、大したことはない。
「泣かないで、もう…」
あなたに泣かれるのは、耐えられない。
彼女の手を取り、首にかけていた魔力制御のリングを引きちぎって指にはめる。
リングが強く光り、彼女の魔力が抑えられていく。
光柱が消え、月明かりに照らされた静かな森に戻る。とはいえ地面はえぐれ木々は薙ぎ倒されているが。
少女をしっかりと抱え直し息をつく。
青白い肌には大小の傷。
長く綺麗だった髪は、無惨に散り、揺れている。
けれども僅かに胸が上下しており、かすかな呼吸が、確かに生を示していた。
ーー良かった。生きてる。
「……ヴィー?」
「はい、お嬢様。あなたのヴィクトルです」
◇◆◇◆◇◆◇
「ーー…っ?」
ふと指先に僅かな熱を感じた。
同時に、冷えた身体が砂糖菓子のような甘いラベンダーの香りに包まれる。
小さな熱は指先から四肢へと広がり、じんわりと胸のうちに灯りを落とす。
ーーこの香りを、知っている。
安堵とともに温かな熱をしっかりと感じ、目を閉じる。
「ヴィー…?」
ヴィクトル。いつも側にいる、私の執事。
掠れた声は、うまく音を紡がない。
けれどーー
「はい。お嬢様、あなたのヴィーです」
低く柔らかい声が、耳に心地よく届いた。
お母様が居なくなって、ずっと寂しくて、悲しくて、泣いてばかりだった私。
お父様はいつも、眉を下げて優しく抱き締めてくれた。
それでも心は満たされなくて、空虚で。
そんな時、あなたに出会った。
あなたが居れば、もう寒くない。
この温もりが、私の胸を満たすから……。




