62.準男爵じぃじ
「早い内に、頑張って男爵位へと上がってきてくださいましね?」
辺境伯夫人のこの発言の意味を、後で思い知って”俺”は頭を抱えた。
この国の貴族としての世間一般的な価値観として。
辺境伯家へと嫁ぐ為には、子爵位で最低限。伯爵位以上の家からが望ましいとされている。
妾の範疇であればその限りではないが、第二婦人、もしくは愛人に類いする席を別に設けること自体、王族や公爵家でない限りはあまり良い顔もされないし、それに関して王国法でも、控えめの否定的文言で幾つかの条項が見受けられるのだとも聞く。
同じ血が流れているはずの兄弟ですら、地位のために骨肉の争いを繰り広げるというのに。
その上、”腹”まで違うとなれば、その先に待つのは恐らく地獄だろう。
無駄な諍いの火種を内部に抱えること自体、この国の上層部は忌避してるということであり、その戒めとして、夫婦間の”倫理観”という形で内外に示している訳だ。
逆を云えば、それだけエレオノールさまは、嫡子フィリップとヴィクトーリアの”縁談話”に、前のめり的なまでに”本気”なのだという、これは現れでもある。
養子縁組による”身分ロンダリング”が行えるのは、当然1回のみだ。
辺境伯家へ嫁ぐ最低限度のボーダーである子爵家の宛てが、今回の騒動で確実に潰えてしまう以上、それより上位の先が、今後必要になる訳だ。
”名目上”。という注釈が頭に来ることになるが、上級貴族カテゴリに分類される”伯爵”以上の家の養子になるためには、最低でも貴族家の出である必要がある。
つまりは、
『男爵家の者』
これで最低限だ。
公爵、侯爵、辺境伯位を持つ者の”特権”として、自身の認めた者を貴族位へと取り立てることができる権利を持つ。
だが、これは”騎士爵”及び”準男爵”位までが限度であり、国王が正式に認めた訳ではない以上、厳密には”貴族身分である”とまでは言い難い。
貴族身分である者の義務と権利の中に”社交の場への参内”があるが、騎士爵・準男爵位は、これが公的には認められていないのだ。
だが、準男爵位ともなれば、一度の陞爵によって正式に国から”恒久的な貴族身分”が確約される。
その陞爵のためには、王国に認められるほどの功績が必要になってくる訳だが、今回の”蒸留器の発明”やら”消毒の概念の発見”、及びこの国の何処にも定住していない”大地の人”職人集団の招聘等……幾つもの”功績”が、すでに辺境の村長にはあるのだ。
簡単に言ってしまえば、今回エレオノールさまは、
『縁談話を進めたいから、男爵位の拝命を受けて頂戴ね♡ ここまでお膳立てをしてあげたのだから、当然拒否なんかしないわよね?』
そうじぃじに貴族的脅しを込め笑顔で言ってのけてきたって訳。
夫人、どれだけこの”縁談話”に必死なんだよ。
なんて。
そんな話なのだが、考えてみたらこれは”ヴィクトーリア”にとっても、決して悪い話ではなかったりもする。
いや、貴族との縁談話自体避けたいし、そのお相手がフィリップ卿って時点でお断りだ。
ってのが”俺”の本音なのだから、正直それ以前の話でしかないのだけれど。
それでも、”身分ロンダリング”自体、行われたという公式記録には残るのだが、
『野心を持って平民から辺境伯夫人に成り上がった』
という”醜聞”ではなく、
『男爵家から望まれて辺境伯夫人へと登り詰めた』
と、何故か”美談”へと扱いがガラリと変わってしまうのだ。本当に不思議なことに。
つまりは、最初にこの提案を持ちかけられた際の”俺”が指摘した懸念事項に対し、完璧に近い形でケアがなされた案を、あちらは再度提示してきたって訳。
先方からここまで望まれてしまった以上、もう逃げ切れない──か。
しかも、今回の功績だけで、男爵位には充分おつりが来るだろうし、下手をしなくとも、開拓村とその周辺の集落を含め、新たな男爵領として国から正式に認められるだろう。領土を削り取られる形になる辺境伯家が”待った”をかけてきたりしない限りは。
さらに言えば、ゆくゆくは子爵位にも手が届き得るかも知れないレベルでの功で、だ。
じぃじには本当に申し訳無いのだけれど、これ全部じぃじの功績にしちゃうからね?
「ああ、そうそう。ヘンドリクさま。新たな男爵家の”家名”は、ちゃんと考えておいてくださいましね? 何も案が無いと仰るのでしたら、あの地方の名がそのまま銘になってしまいますので、ご留意あそばせ。その様な芸も華もない”銘”を王家よりご拝命なさっては、ヴィクトーリアさまもきっとお嘆きになりましてよ?」
うっへ。
ご忠告感謝。
だけれど、心底面倒くさぁい。
「はっ。辺境伯夫人のご厚意、まことに有り難く。でしたら、我が家の”銘”は<リート>にて。それで、お願い申し上げまする」
「帝国公用語で歌……ですか?」
デルラント王国の公用語は、この帝国公用語の古い形で、その”源流”だとも云われている北方海公語だ。
帝国人とも一応は、そのままで会話が成立するけれど。その代わり帝国人の方に言わせれば、相当に訛りきっている様で聴き取り難く酷く疲れるとかなり不評だ。
王都より西側の方はまた違った言語が主流になってくるが、陸続きで様々な国が交わっている現状、複数の言語を習得していてようやく一人前。
辺境の開拓村の住人でも、読み書きこそは皆かなりあやしいのだけれど、帝国公用語と北方海公語は最低限使えるのだ。あのロッティですら。
「少々手前味噌にはなりましょうが、我が孫ヴィクトーリアの歌声は、まさに天上のもの。是非とも辺境伯夫人にお聞かせしたいほどにございます」
うぉい、シド!
そんな”アドリブ”なんか、全然イラネーってのっ!!
「あら。リート準男爵がそう仰るのでしたら、是非に」
しゃーない。
ここはもう腹を括るしかないか、色々とさ。
「でしたら、エレオノールさま。そちらの小竪琴の使い方も含めまして、実演いたしたく存じますわ」
今回辺境伯への”お土産”として用意した各種弦楽器から、今の”ヴィクトーリア”でも扱えるだろう楽器を手に取る。
数え5つの、未だ小さき未成熟な身体。
ギターは指が第4弦にすら届かないし、竪琴は重く持ち上げられない上に、当然手が端まで届く訳もない。
────やっぱり、一緒に子供用も作って持ってくるべき、だったかな。
本来この場面、宣言した家名の語源から取った楽器”リュート”を選択するべきなのだろうけれど。
今のヴィクトーリアでは、当然手が届く訳も、持ち上げることも……だから、全然格好付かないけど、”わたし”にはこれしか無かったのだよ、うん。
……そういえば、繰り返し生きてきた人生の中で、”俺”はついぞ名字を持つことは一度も無かったな。
え? シング=ソングはって?
……あれは元から偽名なんだから、当然ノーカンだろう。
でもまぁ、ヴィクトーリアはこれからも、この世界の青空の下、ずっと歌い続けてくれるはずだろう。
何れ”俺”が”わたし”の精神の海に埋没し、その意識が消えてしまった後も、きっと。
だから、”歌”。
これから”わたし”の名は、ヴィクトーリア=リート。
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