クロノグラスと灰色の街(上)
今日もまた、街に灰色の雪が音もなく降り注ぐ。
街にある建物も、人も、残らず全てを灰色に塗り潰そうとするように。
いや、もしかしたら…
形あるもの全てを覆い隠そうと、この雪が降り止むことはないのかもしれない。
なんて美しい光景だろう。
なんて恐ろしい景色だろう。
街一つが灰色に染められてしまったなんて。
これが、夢ではなくて現実だなんて。
寒くも冷たくもないのに、何かで全身を覆っていないと、灰色の雪は肌に触れた所から体温を奪っていく。
いや、違うか。
服の上からでも、建物の中にいようが、灰色の雪からは逃れられない。
体温どころか命までも、あれは奪って行く。
細かくて重さはないのに、いつの間にか踏み締められたように固くて、溶けない灰色の雪。
手のひらの上で溶けることもなく、けれど指先でこするとさらさらと解けるように消える不思議な結晶。
灰色の雪が降り始めたのはほんの数日前。
たった一晩で街を塗り潰した灰色の雪は、街で生活する全ての命をも覆い隠してしまった。
灰色の街の中で、唯一動けるのは私だけだった。
パン屋のおばさんも、果物屋のおじさんも、見知った街の人たちが、全員動かなくなって。
大人も子供も関係なく、灰色に染まった。
みんなは、街と一緒に眠りについてしまった。
私以外の誰か、誰でもいいから、動ける人はいないか。
足が棒になるまで探し回っても、誰一人として動ける人はいなかった。
家の中にいたはずの人ですら、ベッドの上で灰色に染まっていたのだから、逃げ場なんてない。
降り止まない灰色の雪を除けば、この街で動くのは、私だけ。
私、一人だけだった。
ポンチョを振るわせて、灰色の雪を払い落とす。
歩くのをやめたら、きっと体はあっという間に覆われて、灰色に染められてしまう。
それはひどく恐ろしくて、でもきっと同時に、心安らぐことだろうと思う。
思ってしまう。
行き先のない歩みの強制は、心を摩耗させる。
けれど、寝る間も惜しんで動き続けなければ、歩き続けなければ、私もあっという間に染められてしまっただろう。
無事な人を探すためにと、僅かな可能性でもすがるものがなければ、その日のうちに私は諦めていたに違いない。
終わりをもたらす灰でできた雪は、きっと暖かく包み込んでくれる。
疲れ切った精神に、それはあまりにも甘美な誘いだった。
でも、立ち止まるわけにはいかない。
故郷の危機を知らせる為にも、私は街を出る決意をする。
これはきっと、私にしかできない事だから。
首からかけたクロノグラスを服の上から触れる。
それだけで、前へと進む気持ちが蘇る。
失うわけにはいかない。
私が生まれ育った街の記憶を。