表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

嫌い。大嫌い。大好き。

作者: Rewrite

「あんたなんか大嫌い!!」


 それは年が明けて最初の登校日のことだった。

 同じ学年、同じクラス、さらに隣の席の相原円(あいはら まどか)が俺こと坂口丸さかぐち まるにこんな暴言を浴びせてきたのは。


「……は?」


 あまりにも突然な暴言に意味がわからず間抜けな声を漏らすと、相原はさらに続ける。


「だから! あんたなんか大嫌い!!」


 うん。二回言われてもやっぱりわからねえ。

 なんで年明け早々、しかもこの寒い中体を震わせながら学校までやってきたのにこんなことを言われないといけないんだよ。

 てか、相原に俺なんかしたっけ?

 そんなことを頭の中で考えていると、相原は何も言わずに自分の席に着いた。まるで何もなかったように。

 周りのクラスメイト達はいきなり何があったのかと奇異の視線を俺たちに向けてきてたけど、いや俺の方が聞きてえよって感じだ。


「な、なあ相原。俺なんか相原にしたっけ?」


 このまま罵倒されて終わりというのも納得がいかないので、コートやマフラーの防寒具を脱いでまとめつつ相原に話しかける。


「別に。ただはっきり言っておこうと思っただけ」

「いや、だからさ、俺がなにか悪いことをしたのかって聞いてんだけど……。気分悪くしたなら謝るしさ」


 別に俺だってこちらが悪いことをしたから罵倒されたのであれば文句はない。

 そりゃあ傷つきはするけどそれはこっちも同じだし、喧嘩両成敗みたいな感じだと俺は思っている。

 だけど意味のない罵倒や、相手の勝手な都合での罵倒なら話は別だ。それなら俺は納得できない。したくない。


「なあ」


 なかなか答えてくれない相原に催促するように話しかけると、タイミング悪く朝礼のチャイムが鳴り担任の先生が教室に入ってくる。


「先生来たから」

「あ、ああ……」


 結局なにも教えてもらえずにモヤモヤしながら俺の一日が始まることになった。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 それからも相原から罵倒される日々は続いた。

 まず朝教室に来て席に着けば大嫌い。ふとした瞬間に目があったら大嫌い。とにかく顔を合わせるたびに大嫌いを言われている気がする。

 しかもその大嫌いの理由がわからないし、教えてもらえないのが本当にどうしようもない。


「年明けてから坂口と相原の仲悪いけど何かあったん?」

「それが俺もわかんないんだよ。俺が悪いなら謝ろうとも思ってるんだけど理由もわかんなくてさ」

「ふーん。俺が聞いてこよっか?」

「まじ? 頼める?」

「おっけー。ちと待っててな」


 そう言うとクラスの男子は俺の隣の席に座っている相原に話しかけた。


「相原さん。なんでいきなり坂口のこと嫌いになったの?」


 すげー、確かに聞いてとは言ったけどあんな直球投げるんだ。


「別に。嫌いだから嫌いって言ってるだけ」

「でもさ、坂口別に悪い奴じゃないし、ちゃんとわけを話せば謝ってくれると思うよ?」

「いいの。これは私の問題だから」

「そ、そっか……。なんかごめんな」


 短いやり取りを終えたクラスの男子が俺の方へしょぼしょぼ戻ってくる。


「ダメだったわ……」

「見てたから知ってる」


 こういう風に俺じゃなく第三者を挟んでも相原は何も話してくれない。

 そうこうしているうちに一カ月も時間が過ぎ去っていた。


「嫌い」

「そう」


「大嫌い」

「悪い」


「本当に大嫌い」

「どうしろと……」


 一カ月が過ぎても相原の俺に対する態度は変わらない。むしろ悪化してさえいる気もする。

 さすがに先生に相談でもして席を離してもらうとかするべきかと悩むのが俺の学校での日課となっていた。


「うーん……マジで積んでる……」


 理由のわからない罵倒に全くイラつかないといえば嘘になる。

 けれどそれ以上に相原の心の内がわからない方が俺からすれば気になった。


「はあ~~~~っ……」


 次の移動教室の影響で誰もいなくなった教室で俺は大きなため息をこぼす。

 するとそこに忘れ物でもしたのか相原とクラスの女子が一緒に戻ってきた。


「……嫌い」

「……わかってるよ」


 こんなときでさえ相原は俺への罵倒を忘れない。

 もはやここまでくると尊敬の念さえある。いや、やっぱり尊敬はしたくねえわ。


「あった。ごめんね、早くいこっ!」

「うん」


 俺への罵倒を済ませた相原は自分の机から忘れ物を素早く取り出し、一緒に来ていた女子に早く行こうと催促をして去っていった。

 そこまで俺と一緒の空間にいたくないですかそうですか。


「まったく、なんだってんだよほんと……」


 さすがにここまで悪意をぶつけられると俺だってつらいものがある。

 それも理由も何もわからない一方的な悪意だ。ほんとにどうしようもない。


「相原君。ちょっといいかな?」

「ん? あれ? 今度はそっちが忘れ物?」


 俺がまたまた大きなため息をこぼし、さすがにそろそろ動かないと次の授業に遅れるから動くかと立ち上がったところで、さっき相原と一緒に戻ってきていた女子に話しかけられた。


「あのさ、相原さんのことなんだけど、悪い子じゃないの。言葉は悪いけどほんとは悪くないの」

「え? なに? 哲学の話?」

「ううん。哲学の話じゃないよ。哲学と同じくらい難しい話だけど」

「ますます謎が深まったんだが……」

「そうだなー。じゃあヒント! 相原さんってさ、坂口君のこと嫌いって言ってるけど無視したり、話しかけないとか、距離を置くとかしないよね?」

「ん? そういえばそうだな」


 今言われて気が付いたけど、確かにそうだ。

 普通嫌いな相手とは話したくないし、距離を置きたいものだろう。

 でも相原は俺と全く会話をしないわけじゃない。会ってすぐには罵倒が飛んでくるけど、授業中とか、罵倒が終わった後には普通に何事もなかったように話してくることもある。

 今思えばおかしな話だ。


「じゃあそれだけはわかっててね!」

「え? ちょ!? もう少し話を!」

「もう授業始まっちゃうから!」


 そう言うと女子は走って行ってしまった。

 謎は深まるばかりだ。


 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「やべっ。消しゴム忘れた」


 二月の中旬、あの日言われたことの意味がわからずにもんもんとしながらも日々を過ごしていたある日のこと、俺は家に消しゴムを忘れて困っていた。


「仕方ねえ、男子の誰かに借りるか」


 そう思って立ち上がると隣から手が伸びてきた。相原だ。


「え?」

「んっ」


 嫌いなはずの相手に消しゴムを差し出している意味が分からずに問いかけると、相原はぐっとさらに消しゴムを押し付けてくる。


「いや、気持ちはうれしいけど相原の分の消しゴムがなくなるだろ? それに嫌いな奴にわざわざ消しゴム貸さなくてもいいと思うぞ」

「いいから。もう一つ予備で持ってるし」

「でも……」

「私の消しゴムが使えないっていうの?」

「そんなことはないけど……」

「ならいいじゃん。使いなよ」

「あ、ありがとう……」


 やっぱり相原の考えはよくわからない。

 クラスの女子に言われてから罵倒はされるもののこうやって普通の会話をしてくることもあることに違和感を覚えるようになったけど、さらに謎が深まるばかりだ。


 ここで普通?の会話の例をいくつか挙げていく。


「坂口、ちょっとゴミ捨て手伝って」

「えっ? 別にいいけど……俺でいいの?」

「何言ってるの? 私は坂口に頼んでるんだけど」

「いや、それはわかってるんだけど……まあいいや」


 そのままほとんど無言のままゴミ捨てを手伝った。


「坂口、昨日のテレビ見た? あのクイズ番組」

「ああ、見たよ。高校生向けの問題のはずなのにわかんない問題多かったや」

「そう? 私は結構わかったけど」

「すごいな相原。難しい問題多かったのに」

「べ、別に坂口に褒められてもうれしくないし」

「だ、だよな……」


 そのあとも休み時間が終わるまで話は続いた。


 そしてこれがここ最近で一番驚いたこと。


「坂口。おはよう。嫌い」

「相坂。おはよう。ごめん」

「これあげる」

「え!? もしかして……チョコ?」

「そうだけど、なに?」

「いつも親からしかもらえないから義理でもうれしいぞ! ありがとう! 大事に食べる!」

「す、好きにしたらいいんじゃない」


 家に帰って早速とばかりに開けてみるとハート型の小さなチョコがいくつか入っていた。

 一瞬ドキッとしたけど、たぶん家にハート型の型しかなかったとか、友達にあげる分の余りとかそういったところだろう。

 ……少しショック。

 だからと言ってうれしくないわけじゃない。むしろうれしい。家族以外からのチョコなんていつぶりだろうか。

 もちろんホワイトデーには丁寧なお礼をするつもりだ。


 これが俺と相原の少し変わった普通の会話だ。

 こうやって思い返してみると、罵倒される以外はちょっと塩対応かな? くらいの関係に思える。

 ただ相原がああいった対応をするのは俺だけで、クラスで男子に話しかけられた時には普通に対応していた。

 俺以外が塩対応されてるのを見たのは、俺が相原とのことを悩んでいるときに事情を聞きに行ってくれたあいつくらいだ。

 その男子ともその後は普通に会話している。


 ……あれ? 思った以上に俺嫌われてね?


「……はあ~~~~~~~~っ!!!」


 大きなため息をこぼしつつベッドに倒れこむ。

 ぼふっ、とベッドに体をはねつけながら寝返りを打って仰向けになる。


「これは望み薄かな~……」


 あまりにも絶望的な状況を前に弱気な発言が口からこぼれる。


「もう少しだけ……あと少しだけ頑張ってみよう。どうせ……あと少しなんだ」


 今は2月の後半。

 あと少しで俺たちは進級する。そしてそれはクラス替えという重要な分岐点でもある。

 仲の良い奴とクラスが離れたり。嫌いな奴とクラスが離れたり、逆に今までロクに話してなかっただけで気が合うやつと出会ったりと、良いことも悪いことも起こるクラス替え。

 となれば相原とも自然とクラスが分かれる可能性は十分にある。

 それが良いことか悪いことかは別として。


「……はあ~」


 本日何度目かのため息が部屋の中へと溶けていった。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 三月の上旬。

 俺は今までと打って変わってこちらから攻めてみることにした。


「おはよう相原! 今日もいい天気だな!」

「おはよう坂口。確かにいい天気ね。あと嫌い」

「そういえばホワイトデーもう少しだな! 期待しててくれよ!!」

「べ、別にお返しなんて期待してなかったし……。ただの余りをあげただけだからそこまでしなくてもいいし……」

「そういうわけにはいかない。俺はうれしかったからな! 俺はやってもらったことはちゃんと返す主義だ!!」

「そ、そう……好きにすれば」

「おう! 好きにさせてもらうぜ!!」


 自分でも気持ち悪いくらいに積極的に責めてみると、相原は罵倒こそ忘れなかったものの驚いた顔をしていた。

 そのあとの会話もどこか歯切れが悪く、なぜか顔を背けられたりしていた。

 これは失敗か? と思ったけれど、どうせ今まで失敗しかしていないのだから失うものはなにもない。ただちょっとクラスメイトから奇異の目を向けられるだけだ。


「坂口。嫌い」

「よう、相原。俺はお前のこと結構好きだぞ。俺なんかにもチョコくれたりするからな。いいやつだな!」

「ん~っ!!」

「どうした相原? 少し顔が赤いぞ? 保健室行くか?」

「すう~……はあ~……いい、行かない」

「そっか! でも無理はするなよ。何かあったら頼ってくれていいからな!」


 そう言って笑顔を向けると相原は顔を真っ赤にしたまま走り去ってしまった。

 ……失敗だな。でもまだ折れるつもりはない。

 押してダメなら引いてみる。でも俺は逆だから引いてダメなら押してみる。そう決めたんだ。


「相原、一人で何やってんだ?」

「……花壇の水やり。見てわからない?」

「わかるけどなんで相原がやってるのかなって。美化委員だっけ?」

「違う。友達に頼まれただけ」

「じゃあ手伝うよ。ほら結構花壇も広いしさ」

「別にいい。一人でできる」

「一人でできるかもしれないけど、二人ならもっとできるじゃん? 早いじゃん? だから手伝う」

「す、好きにして……」


 それから俺はこのまま強引に相原の手伝いをした。

 無駄に積極的に話しかけ、何度も顔を真っ赤にするほど怒らせたり、そっぽを向かれながらも相原と二人きりの放課後を過ごした。




 そして三月中旬。

 待ちに待ったホワイトデー。

 俺は何日もいろんなお店を見て回って決めたお返しを持って学校へ向かった。


「相原、おはよう」

「坂口、おはよう」

「挨拶も済んだところで、これ受け取ってくれよ」


 そういって俺はバレンタインデーのお返しを相原に渡した。というより受け取りを拒否しようとした相原に強引に押し付けた。

 こういうのは勢いだ。変にタイミングとかを考えると俺の場合恥ずかしさが全面で出てきて渡せなくなる。だからこういうのは勢いだ。勢いに限る。


「これはあくまで俺の気持ちだから。いらないならいらないで捨ててくれていいよ。俺の勝手な気持ちの押し付けだし」

「……わかった。とりあえず受け取っておく」

「おお! そうしてくれ!」


 なんとか相原にバレンタインデーのお返しを渡せた俺はほっと一安心。

 ちなみに中身はお菓子の詰め合わせ。ホワイトデーにはお返しのお菓子で意味が変わるというのは知っていたけれど、変に考えると気恥ずかしいし、相原に嫌な思いをさせるのも悪いので詰め合わせを選んだ。

 これなら変な意味を含むこともないだろう。


「……ふふっ」


 気のせいだろうか。

 今一瞬、相原が小さくだけど笑ったような気がした。

 それに俺の渡した袋を大事そうに抱えているように見えなくもない。


「あ、そうだ」

「な、なに?」


 変なことを考えている最中に話しかけられてびっくりしながらも、どうにか返事をする。

 すると相原はこう言った。


「きらい」


 ……。

 うん、やっぱりさっきのは気のせいだったみたい。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 そしてとうとう三月最後の登校日。

 今日を乗り切れば明日からは約二週間の春休みだ。

 ただ俺はあまりテンションが上がっていなかった。


「……結局相原が俺を嫌ってる理由がわからなかった」


 そう、三月に入ってからあれやこれやと手を打ってはみたんだけど、成果はなし。

 むしろ怒らせてばかりだった気がする。思い出せる表情のほとんどが顔を真っ赤にして怒っている顔だった。


「まあ、ここらが引き時だよな……」


 今日が終われば次の登校日にはクラスが分かれているかもしれない。

 そうじゃなくてもこれ以上相原に嫌な思いはさせたくない。

 だって、俺は―――。


「よう、坂口! なに暗い顔してんだよ!」

「うおっ! なんだよ急に」

「お前さ、相原とのことどうすんの?」

「どうすんのって……どうしようもないだろ?」


 むしろどうすればいいのかと問いたい。


「俺が思うにさ、別に相原はお前のこと嫌いじゃないと思うんだよ」

「はっ? お前何言ってんの? 精神科か眼科行った方がいいぞ?」

「行く必要がねえな」


 そんな会話をしながら教室に入ると、やっぱり相原は先に登校していて席についていた。


「まあ頑張れや」

「頑張れって何を……」


 意味の分からない声援を受けながらも席に着く。

 今までは変なテンションで自分から話かけてたけど、もうしない。その必要はなくなった。


「……おはよう、坂口」

「おはよう、相原」


 自分から話かけはしないけれど、話しかけられれば返事くらいはする。相手に失礼だし。


「きらい」

「うん。知ってる。……痛いくらい」


 もう十分に思い知った。

 相原が俺のことがどんなに嫌いで、どんなに嫌悪していて、どこまでも悪意を向けてきていることを。


「そ、そう……」

「うん」


 そんな短いやり取りを最後に朝礼のチャイムが鳴る。

 今日は終業式だからいつもの学校に比べてやることが少ない。

 朝礼をして、終業式をして、帰りのホームルームをして帰り。そしたらめでたく春休みだ。

 みんなが明日からの休みに胸を躍らせながら楽しそうに会話を弾ませ体育館に移動する中、俺は何とはなしに窓から見える嫌なほど青い空にため息をこぼした。


「それではホームルームはこれで終わりです。みなさん、楽しい春休みを過ごしてくださいね」


 担任のその言葉を皮切りにクラスメイト達が一斉に席を立つ。

 今日の帰りの寄り道について話す奴。明日からの予定を合わせている奴。一人そそくさと教室を去るやつ。

 みんながみんな思い思いに明日からの春休みに胸を躍らせる中、俺は最後にやっておくべきことをすることにする。


「相原。ちょっといいか?」


 クラスの女子と楽しそうに明日からの予定を立てている相原に悪いと思いつつも話しかける。


「な、なに?」


 少し驚いたようにしながらもいつもの塩対応を返してくれる相原。

 やっぱり優しい人だ。嫌い嫌いだと言いながらもその嫌いな相手と話してくれる。けして無視をしたりはしない。

 俺は相原の優しさに甘えていたのだろう。

 でも、それも今日で終わりだ。


「相原、今までごめんな。散々嫌な思いさせちゃって」

「……え?」

「俺みたいな嫌いな奴の隣で、俺みたいな嫌いな奴に話しかけられて、それなのに優しいから俺なんかの相手をしてくれて」


 本当はこんなことを言うつもりじゃなかった。

 もっとほかのことを言うつもりだった。

 けれど、もうその言葉を言うことはできないから。

 そんな資格は俺にないから。

 だから、俺が言うべき言葉は―――。


「本当にごめんな。……それと、ありがとう」


 きっとこれで正解だ。

 少なくとも俺にはこれくらいしか思いつかなかった。


「次はクラス分かれるといいな。そしたら相原に嫌な思いをさせなくても済むし。それじゃあ」


 最後の挨拶を済ませてそそくさと教室の外へと向かう。

 なにか俺を呼ぶような声が聞こえたような気もするけど、それはきっと気のせいだ。

 諦めきれない、未練がましい俺の幻聴だ。

 もう優しさに甘えることはしない。そう決めただろ。

 そう自分に言い聞かせて俺は教室を後にした。

 そして俺の楽しくもない春休みが始まった。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 それから一週間と少しが経過し、4月になった。

 あの落ち込んだ気持ちも少しずつだけど整理をして、今ではあの日よりはマシな心持になった。はずだ。


「丸ー。ちょっと買い物行ってきてー」

「えー、自分で行ってきてよ」

「母さんは忙しいの。それにあんた春休みになってからずっと家にこもりっきりでしょ。たまには外に出て太陽の光でも浴びてきなさい」


 俺にだってそれなりの理由があったんだけど、とは言えず、俺は仕方はなしにと寝転がっていたベッドから体を起こした。


「それじゃあ頼むわね。おつりはお小遣いにしていいから」

「マジ? ラッキー!」


 面倒なことではあるけれどちょっとした臨時収入が入りそうなので、少し心を躍らせる単純な俺。


「じゃあいってくるー」

「はいはい。気を付けてねー」


 母さんの気持ちの籠ってるようには思えない言葉を背に家を出た。

 久々に浴びる太陽の光に若干の嫌気を感じながらもとぼとぼと歩く。

 歩きなれた道のりをだらだらと歩いていくと、ある人に出会った。というか、出会ってしまった。


「あ、相原……」

「さ、坂口……」


 曲がり角から出てきた相原と目があう。

 少し距離があってまだ相原がこちらに気が付いてなかったら逃げることもできた。

 けれどこうもばっちりと出会ってしまった以上、逃げたりしたら最悪だ。印象が悪すぎる……って、もう下がるような印象もないか。

 そう思った俺は今からでも遅くないと何事もなかったように立ち去ろうとした。

 が、服の裾がいきなり捕まれ、逃げるのを阻止された。

 そんなことができるのは一人しかない。だって今ここには俺ともう一人しかいないんだから。


「……相原?」


 どうしたんだ? という意図を込めて困惑の目を相原に向ける。

 すると相原は下を向いたまま言った。


「嫌い」


 ぐさっ。

 そんな音が聞こえてきそうなほど、俺の心臓に何かが刺さった。


「大嫌い」


 追加で言葉のナイフが俺の心臓を突き刺した。


「わ、わかってるよ……」


 今まではどうにか我慢してきたけれど、もう限界だった。

 ()()()女の子から"嫌い"と言われるのは。


 俺は高校に上がって同じクラスになってから相原円に惚れていた。

 普段の表情からは想像もできない柔らかい笑顔や、誰にでも優しいところや、人が気付かないことをやってるとことか、他にもふとした瞬間に見せる素の相原円に俺は惚れていた。

 だから今まで罵倒されても好かれようと頑張ってこれた。

 けれど、もう俺が限界だし、相原の方も限界だと思った。

 好きな人を自分が苦しめるのも嫌だった。

 その結果が終業式の日のあの言葉だったのに。なんで。


「じゃあ……俺行くから」


 これ以上傷つくのが怖くて、俺はなるべく相原の顔を見ないように立ち去ろうとした。

 けれどなぜか相原は俺の服の裾を離してくれない。


「きらい……大嫌い……」

「だから……わかってるって……」


 そう、わかってる。

 心臓が止まってしまうんじゃないかってくらい苦しく、全身をナイフで刺されているように痛い。

 そして、もう生きるのやめたいな……。なんて考えたりすることもあったくらい、悲しい。

 痛くて、辛くて、苦しくて、悲しい。

 もう、わかってるんだよ……。俺の望みが叶わないことくらい……。


「なんで、なんでわかってくれないの……?」

「わかってくれないのって……わかってるって言ってるじゃん」

「わかってない!!」


 いつも大人しい相原にしては珍しく声を荒げた。

 それに俺は呆気をを取られたものの、やっぱり相原の言葉の意味が分からない。


「俺がなにをわかってないって言うんだよ」

「坂口はわかってない……私がどんなに坂口のことを思ってるか、わかってない……」

「だから俺のことが嫌いなんでしょ? ちゃんとわかってるよ。年明けからずっと言われてるもん」

「違う……ちがうの!」

「違うって何が……」


 そう言うと相原は泣き出してしまった。


「えっ? えっ!? なんで!?」


 突然泣き出した意味が分からず困惑するしかない俺に相原は続ける。


「なんで! なんでわかってくれないの!」


 俺になにをわかれっていうんだろうか。

 相原が俺のことが嫌いなことはもう十分にわかってる。それ以上のなにをわかれっていうんだ。


「私……ずっと今日を待ってた」

「待ってた? 今日を?」


 相原の言葉の意味を考える。

 今日は四月の始め。四月一日。

 そこで俺はある一つの結論にたどり着いた。


「エイプリルフール」


 四月一日。エイプリルフール。

 一年に一回ある嘘を言ってもいいという風習がある日。

 それを踏まえて相原のさっきの言葉を聞いてみると―――。


「嫌い……。大嫌い……」


 嫌いの反対は好き。大嫌いの反対は大好き。

 ……ああ、そうだったんだ。


「相原。俺も相原のことが嫌いだよ。大嫌いだ。ずっと前から」


 相原の顔が絶望の一色に染まる。

 自分は今日を待ってたなんて言ってたのに、自分が言われたらその発想にはならないのか。と、少し笑いそうになったけれどこらえた。

 そして、言葉を重ねる。


「だから、俺は相原のことが大好きだよ」


 言えた。

 やっと言えた。

 終業式の日、もう言えるはずがないと心の底にしまい込み、春休みの今までを使って必死にカギをかけていた思いが、言えた。


「ほ、ほんと……?」

「ほんとだよ。嘘なんかつかない。好きじゃなかったら嫌いなんて言われたら怒ってる」


 俺が今まで相原の罵倒に対して怒らなかったのは相原に惚れていたからだ。

 惚れた弱みとはよく言ったものだと思う。


「よ、よかったぁ~~~~~~~っ!!」


 本当に安心したような顔をした相原が膝から崩れ落ちる。

 俺は急いでそのまま横になりそうな相原の体を支えた。


「ねえ、一つ聞いていい?」

「な、なに?」

「なんで年明けからずっと俺に嫌いだって言ってきたの?」


 そこだけは相原の想いを知った今でもわからない。

 だから聞いてみた。


「私、坂口のことがずっと好きだったの。でも、素直に好きっていうのは恥ずかしくて無理だった。だからエイプリルフールを利用して好きだって伝えようとしたの。だけどやっぱり好きな人に嫌いなんて簡単には言えないから、今まで練習してた」


 それが相原の話すすべての真相だった。

 それを聞いて俺は大声で笑った。


「あははははははははははっ!」

「な、なんで笑うのよ!」

「だって、相原があまりにもおかしなことを考えるから」

「し、仕方ないじゃない……。どっちも言えなかったんだもの」

「まあ、俺も相原の気持ちはわかるよ」


 俺にだって相原の気持ちはわかる。

 好きな人に好きだと言うのは怖い。

 今の関係が壊れてしまうかもしれないし、嫌いだななんて言われた日には簡単には立ち直れない。

 だから俺も自分の気持ちを伝えられずにいた。

 でも、もう言える。


「相原。改めて言うよ。好きだよ。大好きだ」


 そう言うと相原は今までにないくらいの笑顔で答えてくれた。


「私も坂口のことが好き」


 そしてさらに顔を破顔させて言う。


「嫌い。大嫌い。大好き」


 こうしてめでたく俺らは付き合うことになった。

 四月一日。一年に一度の嘘をついてもいい日。エイプリルフール。

 けれど俺のこの思いと、相原の想いと、俺たち二人が付き合い始めたということだけは、いつまでも嘘にはならない。

 絶対に嘘にはさせない。

 だってこの気持ちは嘘なんかじゃないんだから。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ