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兄貴のバイクには足が生えている

作者: 渋谷楽

週刊短編シリーズ第一話

お題:「バイク系ユーチューバー」


 実を言うと、兄貴のバイクには足が生えている。

 僕が言っているのは国語の授業で習うような比喩じゃない。本当に足が生えているんだ。しかもすね毛ボーボーの。僕はそのバイクを初めて見たときとてつもない衝撃を受けた。

「お兄ちゃん。今日もあいつとユーチューブ撮るの?」

 まだ肌寒い冬の朝、玄関に座って靴を履いている兄貴に声をかける。

「おう、やっぱ有名になりたいからな」

「あのおっさんバイクと?」

 僕がそう言うと、兄貴は嫌そうな顔をして振り返る。

「お前、あいつのことまだ嫌いなん?」

「嫌いって言うか、何か変じゃん」

「何が?」

「だって、足生えてるし」

 しかもすね毛ボーボーの。

「あのなあ、バイクなんだから足が生えることくらいあるだろ。原付だし」

「そういうもんかなあ」

「そうだ!」

 兄貴は急に叫んだかと思うと、立ち上がって僕の肩を掴む。

「今日俺と一緒にユーチューブ撮ろうぜ!」

「えー、恥ずかしいし、やだよー」

「良いじゃん良いじゃん。小学生が出てたら見る人もいると思うし!」

 どうやら兄貴にバイク系ユーチューバーとしての誇りは無いらしい。

「でも、今日母ちゃんいないから、僕が朝飯作らないとだし……」

「大丈夫! 今日はカップラーメンにしようぜ!」

「えっ」

 朝からカップラーメン。その言葉に、僕の心は揺らぐ。

「母ちゃんには黙っといてやるから」

 兄貴のキラキラした目に見つめられる。

 それに兄貴とは最近全然遊べてなかったから、これはチャンスだ。

「……わかった」

「よっしゃ!」

 兄貴からダウンジャケットとマフラーを受け取り、凍えるような寒さの外に出る。

 兄貴は高校生ながら売れっ子ユーチューバーを目指すおませさんだ。勉強もろくに長続きしないのにユーチューブなんて続くのかと不安だったけど、今のところぼちぼち続いているようだ。

 無駄に行動力がある兄貴に関する謎は多いが、その中でも一番の謎はあのバイクだ。

 僕たち三人家族が住むアパートから出て駐輪場に行くと、無駄に筋肉質の足を生やしているバイクがそこにいる。

「おうガキども。おはようさん」

「おはようございます!」

「おはよう、ございます」

 チラッと「そいつ」を見ると、真っ白でコンパクトな車体の横に企業のロゴが目に入る。正直言って、そのデザイン自体は凄く好きだ。

「どした? 今日は小っちゃいガキも一緒か?」

 だけど、学校の教頭先生にみたいな声で全部台無し。はーあ。

「シゲさん。今日は弟も一緒にお願いします」

 兄貴にシゲさん、と呼ばれたそいつは、機嫌良さそうにエンジンをぶるると鳴らす。

「おっ、そうなんか! 小っちゃいガキが出とる動画は伸びるでぇ! 特に女! 女に人気が出るからなぁ! がっはっはっ!」

「そうっすねー! これをきっかけに伸びてほしいっすよねー」

 何で足が生えてるバイクが出てて伸びないんだよ。そう言いかけるのをグッとこらえる。

「それじゃ、ちょっと座布団失礼しますね」

「あいよ! おい、チビガキ!」

「えっ、僕のことですか?」

「お前以外にチビがどこにおんねん。お前、バイク好きか?」

「えっ、えっと」

 あなた以外のバイクは、

「す、好きです」

「そっかそっか! 可愛いのぉ! ほれ、どかっと乗ってくれ!」

「しっかり掴まっとけよ」

「うんっ」

 兄貴のおっきい背中に顔をくっつけて、お腹の方にそっと腕を回した。

 あったかい……。

「ほなイッックでぇ!」

 不快感という名のエンジンを全開にしたそいつは、毛むくじゃらの足をフル回転させて走り出す。

 一見無茶苦茶な走り方に見えるが、これでしっかり二十キロや三十キロ出るのだから驚きだ。

「隣失礼するでぇ!」

「はーい」

 しかし一番の驚きは、こんなバイクに追い越されても全然驚かない街の人たちだ。

 それは、母ちゃんや学校の友達も同じことで、こいつのおかしさを力説する僕はいつも変な目で見られるんだ。こんなにおかしいことがあるか。

「……実は今日、小学生の弟も乗ってるんですよー。な?」

 山道を少し入ったところになると、動画を撮っている兄貴がそう言って振り返る。

「ちょっと喋るか?」

「……いやっ、いい」

 声入っちゃったかな? ちょっとだけ声が掠れちゃったから恥ずかしい。

「はは、おっけ」

「最近のガキは無駄に恥ずかしがり屋だからなあ。もっとガーッと行け! ガーッと!」

 こいつ、好き勝手言いやがって。

「えいっ」

 とうとう頭にきた僕は、そいつの太もも辺りを思いっきり蹴り飛ばす。

「いったぁ! おいっチビガキ! 何すんじゃわれぇ!」

「何もしてません」

「まあまあシゲさん。子供だからしょうがないっすよ」

「いくらガキっつってもなぁ、やって良いことと悪いことがあるんじゃ!」

 ギャーギャーと騒ぎ続けるそいつを無視して、僕は兄貴の背中の匂いを嗅ぐことに専念する。やがて兄貴の匂いが無臭に感じられるようになった頃、やっとお地蔵さんのいる展望台に辿り着いた。

「何回見ても、良い景色だなあ」

 展望台から見えるのは、顔を出したばかりの太陽に照らされている僕らの街だ。

「うん」

「今日、来て良かっただろ?」

「……うん」

「荒んだ心が洗われるわぁ」

 こいつがいなかったら、もっと良かったんだろうけど。

「よいしょっと」

「ん?」

 兄貴はポケットの中から飴玉やクッキーを取り出すと、急にお地蔵さんの前に膝をついた。

「何やってるの?」

「お供えしてんの」

「何で?」

「安全祈願。つまり、事故らないようにお願いすんの」

「ふーん」

「ほら、お前もしゃがんで、手合わせて」

 正直、僕はそういうオカルトチックなものが苦手だ。神様なんてこの世界にはいないんだ。いたら、毎日大変な僕たちを助けてくれるはずだから。

「……よし、帰るか」

「うん」

 そう言って立ち上がった兄貴を見上げる。

 心なしかそのときの兄貴の顔は、寂しそうに見えた。


    ×    ×    ×


「はぁ~あ」

 お家に着く前、僕は深いため息をつく。

 いつも通りあのバイクの話をして、考えすぎだと皆に茶化されてしまった。

 世界から孤立してしまうこと。それがこんなにもどかしいことだとは思わなかった。小学生も楽じゃない。

「おい、チビ。今帰りか?」

「……」

 無視しよう。早く帰って宿題を終わらせよう。

「ちょっとこっち来い。話あるから」

「……何ですか。話って」

 そいつからちょっと離れたところに体育座りをする。心なしか臭い匂いがして嫌な気分だ。

「今日、走ってるときわしの脚蹴ったろ? あんなん絶対やっちゃアカンよ」

「……知ってるもん」

「知ってたのにやったんか?」

「……」

「あのな、お前ら兄弟の父親が何で死んだか知ってるか?」

「知らない。知りたくない」

「何で?」

 父親なんて、仏壇の中から大変そうな母ちゃんを見てるだけなんだから。

「お前らの父ちゃんな、交通事故で死んだんよ」

「えっ?」

「しかも、俺に乗ってな」

「そんな……いつ? 何で?」

 僕がそう聞くと、そいつは悲しそうにぶるる……とエンジンを鳴らした。

「兄貴が今のお前くらいのときだったかなぁ。珍しく雪が降ってな。車輪を取られて、そのとき運悪くトラックがな……」

 雪で滑ってそのままトラックに……それが兄貴だったらと思うと凄く怖い。

「……どんな人だったの?」

「そりゃあもう、大胆で大雑把で、男の中の男って感じの奴だった。嫁が大好きで、子供想いで、死ぬ寸前までお前らのことを心配してたぞ」

「父さんのこと、知ってるんだ」

「ああ、何でだろうな」

 冷たい風がぴゅうと吹く。空を見上げると、いつもより雲が近くにあるように見えた。

「あいつの愛車だった俺は、いつの間にかあいつのことを全部知ってた。不思議なもんだ」

「ふーん」

 僕は立ち上がると、そいつを見下ろす。

「寒くない?」

「ん? まあ、寒いっちゃ寒いが」

「靴下持ってきてあげる」

「おー、マジか! ありがとなぁ!」

 そいつは、気が利くでぇ、とか言いながら楽しそうに笑っている。

「あっ、そうだ。チビ!」

「ん?」

 そいつに呼ばれて、振り返る。

「お前の父ちゃん、お前らのことずっと見守ってるから。それだけは忘れないでくれな」

「……うん」

 僕は頷いて、また振り返る。

 そのとき。

「あっ!」

 空から何か降ってきたかと思うと、それはコンクリートに溶けて消えていった。

 雪だ。

 雪だ!

「凄い! 雪だ!」

「チビ! 足元気を付けろよ!」

「わかってる!」

 そのときの僕は、久しぶりに見た雪にいたく興奮して、鼻歌でも歌いながら靴下を取りに行ったと思う。

 兄貴の部屋に無断で侵入し、穴の開いた靴下を握り締めて部屋から出た時に、仏壇に飾られている色黒の父親の写真が目に止まって……。

「ただいま。行ってきます」

 今までの分を取り返すように、そう言った。

 結論を言ってしまうと、僕が戻る頃には兄貴のバイクから生えていた足は消えていた。そして、そいつは一言も喋らなくなっていた。

 ひどく慌てた僕は帰ってきた兄貴にそのことを話したが、兄貴は何故かバイクに足が生えていたことすら忘れているようだった。

 あのときの僕は夢でも見ていたのだろうか。

 五年経った今でも、あの日のことを思い出す。

「おい、外ばっか見てないで、こたつ入ろうぜ」

 ぱらぱらと降る雪を眺めていると、兄貴に声をかけられる。

「あっ、うん」

 そそくさとこたつに入ると、兄貴に不思議そうな目を向けられる。

「お前、ほんと雪好きだよなぁ」

「いやぁ、好きってわけじゃないけど、何か良いじゃん。雪」

「そうか? 俺は嫌いだなあ、雪」

「えっ、何で?」

 俺がそう聞くと、兄貴は僕に悪戯っぽい笑みを向ける。

「だって、この時期になるとお前が変なこと言い出すからさぁ」

「は、はあ? 変なことなんて言ってないよ!」

「だって急に、バイクに生えてた足が消えた! とか言い出すんだもん。あのときはビビったなー。な? 母ちゃん」

「そうねー、びっくりしたねー」

 キッチンから母ちゃんの声が聞こえてくると、顔が赤くなっていくのを感じる。

「だ、だってそれは! あの……夢でも見てたんだよ。たぶん」

「何だよたぶんって、変なの」

「兄ちゃんだって昔、ユーチューバーになる! とか変なこと言ってたくせに」

「あ、あれは人生経験の一つだから変なことじゃねえし!」

「二人とも喧嘩してないでそば持って行ってちょうだいー」

『はーい!』

 立ち上がり、キッチンに置いてあるそばを持ち上げる。

「でっか! うまそー!」

 兄貴がでかいリアクションを取ると、母ちゃんは嬉しそうに笑う。

「あんたらよく食うからねえ」

「……母ちゃん」

「ん?」

「僕、父ちゃんの所に持ってくよ」

 すると、母ちゃんは優しく微笑んだ。

「うん、お願いね」

 暇があれば掃除してた仏壇。父ちゃんの写真の横にそばを置くと、目をつぶって手を合わせた。

「来年も見守っててな。父ちゃん」

「おーい、伸びちまうぞー」

「あ、はーい!」

 皆でこたつに入りながら熱々のそばを啜る大晦日。

 あのバイクの耳に残る笑い声が、どこからともなく聞こえてきた気がしたのだった。


〈完〉


 週刊短編シリーズの第一話。読んでいただきありがとうございました。一発目からかなり悩ましいお題で、今の僕にはこれが限界です。第二話お楽しみに。

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