ドミノ
兄弟を見た時に、似ているという感想と、似ていないという感想のどちらにも常に頷けるのは、何故だろう。
容姿は似ているけれど性格は似ていない。背丈は違うけれど骨格が似ている。頭脳は同じだけど考え方は違う。
いくつもの性質を並べてベン図にして、重なり合った部分に兄弟という理由づけをする。至ってシンプルで、された方は極めて迷惑な分類だ。
兄弟というものは、常に比較対象だ。誰もかれもが優劣をつけようとしている、とまでは言わずとも、良くも悪くも似た性質を求められ、必要とされている気がする。
だから兄貴が優秀過ぎるのは、問題だ。
無論、上下関係の明確な関係性ゆえに、弟への劣等感など、比にならないのだろうけれど。
「あんまり似てないよね、朔也君と」
誠実で真面目な、大人受け満点をたたき出せる青年への彰葉の感想は、今更とはいえ、いたって素直なものだった。
年下であからさまにお育ちのいい好青年な修介を、しかし彰葉は敬遠している。苦手意識、得意ではない関係性、本能的なすれ違いを、一方的に、敏感に感じ取ってしまっていた。
それとは別個に、彰葉と朔也の関係性は良好そのものなので、必要以上の距離を置くことなく、無難に過ごそうとしている色が窺えた。
それは、彰葉らしい割り切った人間関係の象徴のように思う。慣れ合うこと、分かり合うことに重きを置かない。傍に寄り掛かれそうな人を求めていながら、それが誰であろうと構わない。愛した人が遠い人になろうが昔の人になろうが、それさえも気に留めない。自分を起点に流動する人間に対して一抹の執着もせずに、そのくせ、常に手ごろな存在をきちんとキープしておく勘の良さも持っていた。
「よく言われます」
修介のほうは、目の前にいる小柄で童顔な青年を、兄の友人として丁重に扱っているのが目に見える。 八方美人に、誰に対しても聡明さを振り撒いて笑顔を絶やさずにいることで人に愛されてきた青年の、経験に基づいた自尊心は、削られてきた自己肯定感を尻目に質量を増す。
そのすれ違いも、俯瞰している利玖の方が苦しいくらいだった。
「ファッションのせいだとは思うんですけどね。制服着ていた時はよく似ているって言われていましたから」
着ているコットンシャツの裾を引っ張りながらにっこりと受け応えてはいるが、おそらく似ていると言われるほうが心地いいだろう修介の言葉に、やはり利玖は苦しさに苛まれる。
自分の家であるはずなのに、すこぶる居心地が悪い。思いがけずに揃った歪な関係性の三人にとって共通の話題と言えば、やはり朔也しかいなくて、しかし地雷だらけのあの男は、俎上に載せればすぐに軋轢が生じる。
「修君のくれたマドレーヌと、コーヒーです」
一見穏やかだが雲行きがいつ変わってもおかしくない空気に耐えきれず、利玖は殊更に明るい声で、畳の部屋にいる二人の前にデミタスカップを置いた。
「良い香り」
彰葉がカップに顔を近づけた。
「利玖さんって、丁寧ですよね」
しみじみと修介が言う。夏休みに実家に帰ったからと言ってご丁寧にお土産を持ってくる自身の丁寧さに、彼は気付いているのだろうか。
「このマドレーヌ、凄くおいしい」
修介にすすめられるままに袋の封を破った彰葉は目を丸くして声をあげた。
「でしょう。これ、地元のお菓子屋さんのもので、結構有名なんです」
嬉しそうに話す修介の、満ち足りた表情。彰葉の中に蟠る気後れは、おそらく仕方のない物なのだろう。
「朔兄の大好物なんです」
ほら、ね。
頭もいい。性格も穏やか。優しさや育ちの良さも申し分ない。
でも、その濁りの無さは、人の心を透かしすぎてしまう。
「じゃぁ、朔也君も帰ったの?」
何気ない口調で彰葉が言った。
「まさか」
今度は修介が肩をすくめ、目線を下げて笑う番だった。
「大学進学してから、ほとんど実家になんて帰ってきて無いですよ」
尖った声に、利玖は不意に自分の記憶が重なり、心臓に痛みが誘発される。待ち人来ずなんて、おみくじの常套句だと思っていた。
「一緒に連れて帰ろうとは思わなかったの?」
朔也が実家には寄り付かないでいることは無論わかっていたが、それはわざわざ足を運ぶことに、実家にもかかわらず敷居が高く感じているせいだろう。何だかんだ修介には何も言えない性格の朔也は、誘われれば流されたのではないかと思った。
修介は、朔也と似た華奢な手でデミタスカップを揺らし、定まらない目線で黒い液体を追っていた。
「そんなことしたら、どうせ喧嘩ばっかり起こりますから」
突っぱねる口調に、利玖は何も言えずに息を飲んだ。
「誰が?」
察せない彰葉は、不思議そうに首を傾げた。
「朔兄と父親。朔兄と妹。知ってます?喧嘩って、喧嘩を惹起するんですよ。ここに、朔兄を庇おうとする母親も参戦する。地獄絵図ですよ」
利玖は聞いているだけで気疲れしてしまい、コーヒーをすする。苦めにいれたつもりは勿論あったのだが、それでも苦さで舌先が一瞬、自分のものではない感覚になった。
「朔兄が悪いわけじゃないんだけど、何かとトラブルを引き起こす人なんですよね」
「朔也君を庇うんだ」
朔也は悪くないときっぱり言い切る修介を、利玖は優しいと思う。人に優しく出来るだけの余裕に恵まれた人だ。
「庇うというか。責めたところで、現状が良くなるわけでもないのに」
朔也本人からは聞きようもない家族の不和を知ってしまったことへの罪悪感と、朔也に対しての身の振り方が少しわかった安堵とで、利玖は感情が複雑になった。
知らせようとはしなかった、話してはくれなかった朔也の本心は掴み切れないままに、それでも朔也の自尊心と気遣いと優しさとを思えば、このことは胸に仕舞っておこうと思う。
「今は少し難しいかもしれないけれど、いつかもう少し円滑な関係を取り戻せたらいいなとは思っています。朔兄も最近は落ち着いているようだし、杏香も受験が終われば朔兄にあんなに突っかかることもなくなるだろうし」
寂しげに笑う口許とは裏腹に、未来にやさしい想定を描ける、公明正大な性質。
「優しいんだね」
彰葉の言葉はおそらく本心であったが、修介には引っ掛かりがあっただろう。当て擦りをされたと思っても、仕方がない。利玖の耳にも、彰葉の感想は酷く他人事の色があった。
修介は一瞬眉をひそめた。
「家族仲が悪くていいなんて人、いないでしょう」
修介が負った苦労は、修介だけのものだ。優しいなんて言葉で、潤滑油として自身の神経を擦り減らした日々を片付けられるのは気に障ったのだろう。
「そりゃ、良いに越したことはないだろうけどさ。無理して人と繋がっている必要なんて無いんじゃないかな」
彰葉は相手が年下だから穏やかに話すことに努めている。しかし、口調や言葉の端々から、彼の強固な人生観は現れていた。
「人間関係ってさ、輪っかにならべたドミノみたいなものでしょ。長くてもたくさんあっても、崩れる時は一瞬。崩れた後は、どこから倒したかなんて問題なんじゃなくて、結果として全部倒れているよねって話になる」
どこから綻びたかではなく、破綻したという事実だけが残る。
彰葉の言っていることは手厳しいが、正しい。
彼は割と結果主義者だ。
諦めることに慣れ、望むことに消極的な性格。どうすることもできない事実を目の前に、可能な限り心を揺さぶられずに事を流そうとする彰葉の強さは知っているけれど、目の前で足掻いている人に向ける言葉としては、あまりに冷たい。
ぴりついた空気に戸惑い言葉を探していると、修介が口を開いた。
「始めからぎっしりと隙間なく並べなきゃいい。ドミノ同士に間隔があれば、すべてが倒れるわけじゃないですから」
意外な言葉に驚くと同時に、この子もなんだかんだ気の強さを持っているのだなと、感心をする。そして、兄貴と似ていない柔らかな目元を見つめながら、メンタルの強さに比例した気の強さは持っていて然るべき代物だと悟った。兄貴のそれとは明らかに、土台が違う。
「視野が広いんだね」
彰葉はデミタスカップの中身を飲み干し、勢いをつけて立ち上がる。細身のデニムが足を包んで猶、だいぶ余裕がある。だぶついた隙間を見ながら、どれ程の細さをしているのか、女性的なその骨格を身をもって知りたくはないと思う。
自分の周りは不健康ばっかりだ。
自分の身体にも精神にも無頓着で、傷ついても傷つけられても攻撃的な一面を見せても猶、自分という存在に執着はしない。
「二人ともご馳走様。俺、仕事行くね。もしうちにきたら、お礼に一杯驕るよ」
手を時計の方に向けて目線を誘導させたのは、時間が本当に迫っていることのアピールに過ぎない。
自分にとって都合が悪くなると逃げ出すのも、常套手段だ。
「マスターによろしくね」
利玖の声を背中で流し、彰葉は速足に去っていった。
嵐のような足音を見送って、利玖はため息を零す。
太陽の眩しさに、音はない。鮮やかで眩い真夏の一角は、酷く静かだった。
「修君。その、気を悪くしたらごめんね」
修介は信頼には値する男だ、と、兄貴によく似た怜悧な瞳を見つめる。
「本当は言うべきじゃないと思うんだけど、あの子も、それなりに背負ったものがあってさ」
濁しながら、濁った水を目の前に晒すだけ晒されてしまう心細さにも気が散って、利玖は覚悟を決めた。
「彰ちゃんね、家族いないの。生きてはいるよ。ただ、もう完全に、絶縁状態。俺も、それ以上のことはわからないんだけど、とにかく、家族とかって話題は彰ちゃんにとってセンシティブなんだよね」
修介の眉間にしわが寄り、彼は言い様のない戸惑った表情で目線を泳がせていた。その表情を、出来れば彰葉に見て欲しかった、と思う。
同情なんて一切欲してなどいないだろうけれど、誰しもが敵で自分を傷つける存在ではないのだと、彰葉の心臓に根付いた警戒心と抵抗感に、一握の優しい世界を教えてあげたい。
なにも蓮だけが、あなたの世界の平和ではないのだと。
言葉少なになった修介の、あからさまに落ち込んだ姿を見ていると、もしかしたら彼の平穏の為には隠しておいた方がいいことを告げてしまったのかもしれないと一抹の不安が拭えなかった。
やがて修介もバイトを理由に帰っていった。帰り際にカップをシンクに置いて行ったのはさすがだと思う。
嵐の去ったリビングでテーブルに寝そべり、利玖は目を閉じる。
自分が淹れたコーヒーの香りが、まだ微かに残っている。
ドミノ同士に間隔があれば、と修介は言った。それを、視野が広いと称した彰葉の感想は的確だったように思う。
ドミノを並べる道筋、完成までの工程を理解したうえで、崩れたとしても被害を最小限に抑えるための手まで打ってある。完璧な人生設計だ。
自分に出来てしまうから、無意識に誰もができる前提で話を進めていなければいいけれどと、憂鬱な気持ちになる。
間隔を開ければいいなんて簡単な口調で、朔也には言ってくれるなと思う。手元に必死になりながらじゃなければドミノを立てられない不器用さに、等間隔でドミノを立てないと気が済まない几帳面な性格が仇になる。緻密に、丁寧に、稚拙な真面目さでドミノを立てて、全然進まない道のりに途方に暮れている間に、二年遅く生まれた弟が鮮やかに完成の道筋をつくっていった。
絶望的な気分になって作り上げた牌を蹴り倒して、彼は二度とそれを手に取らなくなった。
それぞれの人生観に、何故かうんざりする自分がいる。いろいろな人生があると、人の交錯する場所で他人を待ちながら、しかし蓋を開ければ、面白いじゃ済まない。それぞれ、満足そうな笑顔の裏に壮絶さを隠し、暗鬱の表情に利己的な自尊心を隠している。
この世界に蔓延る、誰かを傷つけたいという衝動のすべてが、防衛本能であればいい。捨て身になって周りに並んだ牌を巻き添えに全て倒れてしまえといういい加減な自暴自棄と、世界平和を同じ世界線に置けるような理想論が、常に脳内を飛び交っていた。




