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渡り鳥


「なにこれ?」


 雅が机の下から拾い上げたのは、小さなメモ用紙だった。ポップなデザインは幼い少女特有の明るさを象徴している。少女アニメの主人公によく似合う、華やかで愛情豊かなピンク。

 そこに、ひよこの絵が描いてあった。黄色い丸っとしたシルエットがいくつか並んで、親鳥について行く。ただのメモ帳に描かれた絵に躍動感を感じる。小さな足が親鳥に必死について行く物語を、利玖は自分の頭の中に作り上げているのだ。


 雅にも、よく似合っている。

 

「手紙だ」


 書いてある文字を音読しかけていた雅だが、手紙だと気づくと、思い留まるように口をつぐんだ。


「何て書いてある?」


 読みさしてやめて雅の心遣いもむなしく、彰葉が雅から手紙を受け取ると同時に、読み始めた。


「ママへ。お誕生日おめでとう。これからも大好きなママでいてね」


 シンプルな文章を読み切ると、彰葉はとてもつまらないことのように、バースデーカードかと漏らした。


「単純な文章だね」


 淡々とした声だった。


「これ、誰の?」


「最後に名前とか書いてない?」

 

 利玖が確認するも、彰葉は首を左右に振った。


「差出人不明。宛名も、まさかの役職というね。迷子のお手紙」


 彰葉は何気ない表情で手紙を一瞥し、そしてゴミ箱の方を見た。


「預かるよ。探しているかもしれないからね」


 利玖は背筋が冷える気持ちで彰葉から手紙を受け取ると、固定電話の近くに置いた。

 これは祖母のやり方だった。誰かからの言伝とか、大事な用事とか預かりものを、電話の近くに置いておく癖があった。

重要なものは全て電話近くに。

祖母が居なくなってからもその習慣を守り続けている。またいつか、共に暮らせる日が来ると信じている。

信じている自分を、信じている。


「そのくらいの手紙なら、探さなくてもまたかけそうだけど」


 彰葉はテーブルに頬杖をつく。


「まぁ、そうだね」


 利玖は曖昧に頷いた。

 彰葉の言葉はあまりに残酷で容赦のない言葉に思えたけれど、事の重大さを伝える気にはならない。そんなことをしたら、きっと、利玖が触れてはいけない大きな残忍さを、掘り起こしてしまうだろう予感があった。


「うわー」


 突如、雅が奇声に近い声で唸った。


「どうした?」


 頭を抱えるように突っ伏した雅の背中を、彰葉が撫でる。

 その手つきには優しさがあったように思う。


「羞恥心で死にそう」


「は?」


「今の手紙」


 雅は頭を抱えたまま、顔をあげた。


「ああいう手紙、書いた記憶がめっちゃある。死ぬほどはずい。忘れたい」


 まくしたてるように言うと、雅はまた机に顔を伏せた。

 耳がうっすらと赤くなっているのを見るに、本当に思い当たる節と、気恥ずかしくなる思い出でもあるのだろう。


「は?」


 彰葉は意味が分からないという表情で利玖を見上げる。


「女の子は手紙が好きだからね」


 フォローというか事実というか、言わないほうがいい黒歴史というか。

 利玖に姉妹は居ないけれど、知っている。なんで知っているのかは、知らない。


「そうなの?」


「うん。俺もたまに、貰う」


 ことあるごとに手紙をよこすのは、女の子の生態の一つだとすら思う。

 メモ帳のデザインにも、形にも、ペンの色にも、文字の大きさにも、それぞれとても個性が出ているのに、書いてある内容はほぼ同じだから面白い。

 大人になるとそれがメイクや髪型、ファッションという形で表出するのだろう。


「手紙そのものが恥ずかしいというより、そんなことをしていた自分が恥ずかしいのよ」


 雅は、いまいち理解されていない状況に苛立つ口調で、身振り手振りを交えて説明をする。


「昔は可愛かった、的なヤツがしんどいのよ」


 そう言って目を閉じた表情には、妙にしっかりとした拒絶の色が見えた。


これが、彰葉のいう、幸せな人なのだろうか。

過去の自分が鬱陶しくてしょうがない癖に、過去の自分を基準に物事を考えている。過去に学んだことに忠実に、過去の自分ありきで未来を創作していく。その類の人間を、彰葉は幸せそうな人と言うのだろうか。


 雅が帰った後、彰葉と一緒に夕食を作っているとき、電話が鳴った。固定電話の大きな電話は油跳ねと換気扇の煩いキッチンにも良く聞こえた。


「俺が出るよ」


 てんぷらの油から目が離せなかった利玖の代りに、彰葉が電話を取った。

 何やら話し声は聞こえてくるけれど、油のはじける音で内容までは聞き取れなかった。

 フライパンの取っ手を抑えながら振り向くと、彰葉は電話しているとは思えない上の空な様子で、さっきのバースデーカードを見ていた。指先でつまんで、薄暗い室内で透かすように、眺めている。汚れたぞうきんを持つ指先と、おおよそ同じ指使い。

 その横顔はあまり何も思っていなさそうだった。


 彰葉は直情的な人だと思う。感情に素直で、それは喜怒哀楽どれに対しても同じだ。いい意味で分かりやすく、素直と評することも出来る。雅のような頑固さもない。杓子定規な正義感や道徳心にも欠けている気がするし、時にそれが誰かの心の澱に静けさをもたらす。


いうなら、渡り鳥。

彼らが羽ばたいて向かうのは常に行き先であり、帰る場所などはもたない。大地を基に本能に従い、自然の摂理に抗わず、そして自由であることを忘れない。


 一分もしないうちに電話が切られ、何かの勧誘だったと大きな声で告げられた。


「いやー、断る間もなくたらたらと語りだすから、焦った」


 全く焦りのない表情は爽やかだった。


「なんて言って断ったの?」


「断ってないよ。めっちゃ説明されたから、わかりましたって言って、切った」


「おれがでなくてよかったよ」


「利っくん、優しすぎて全部付き合っちゃうもんね」

 

「押し売りされるような性格ではないつもりだよ」


「でも、断ると無碍にしたようで苦しくなるでしょ。向こうも仕事でこんなことを言っているだろうかだとか、ノルマがあって大変なのだろうかなんて、無意味なことを考えて、そのくせ、押し売りはされないくらいには理性的なんだから、むしろセールスマン泣かせだよ」


 ぐうの音もでない分析をされ、利玖は背中を見せて苦笑いをした。

 

 てんぷらの火のせいで、室内の温度が上がっている。額にうっすらと汗が浮かんできて、思わずシャツの袖で拭う。首元から、朔也が押し付けてきた香水のハーブの香りが微かに漂った。


「暑いね」


 彰葉は手を団扇にして顔を仰いでいる。


「冷房の温度下げてくれる?これから素麺茹でると、更に暑くなるからね」


 日が陰っても気温は下がらず、湿度も高いままだった。暑いから素麺にしようかと盛り上がったにもかかわらず、料理をしていると先ほどの比にならない暑さになった。


「この暑いのに、天ぷらをわざわざ家で作る人、利っくん以外に知らないよ」


 冷房の温度を下げてから戻ってきた彰葉は冷蔵庫からお茶を取り出した。グラスに注いで、一気に飲み干す。もう一杯注いで、差し出された。

 受け取って飲み干す。

 身体の内側から体温が調節されるみたいに、腕や額に汗が浮かんだ。そのつもりはなかったが、冷たい水分を取ったことで身体の力が抜けるように筋肉が弛緩するのが分かる。


「うちでは母親がよく料理をしていたから、俺としては普通なんだけどね」


 そこまで言ってから後悔したが、もう遅い。

 

 彰葉は目を眇め、似ているんだねと言った。

 利玖は何も言えずに、かき揚げをひっくり返す。玉ねぎの焦げた匂い。


 彰葉の声、雰囲気に、尖りが出ている。

 彰葉は天真爛漫な部分と冷徹無慈悲な部分の極端な性質を、コインの薄さで併せ持つ。

 さっきまでにこやかに明るく話をしていた青年の鋭利さは、何故か愚鈍さでは誤魔化せなかった。


「やっぱ、ちゃんとしたお母さんの元だと、利っ君みたいないい子が育つんだね」

 

 料理をするだけでいい母親だ、なんていうのは、拡大解釈も甚だしい。

 そんなことは訂正を入れずとも、彰葉だってわかっているだろう。

 でも、料理すらもしなかった母親が良い母親なわけはない、という意味合いが彼の言葉にあるとしたら、もうそこに利玖の言葉が入る隙間はないのだ。


 背後で音がする。キッチンの椅子を引いた音だ。そこに彰葉が腰かける。

 

「って、ごめんね。利っ君に八つ当たりしてもしょうがないのにね」


 また、彰葉の一面がひっくり返った。

 素直でにこにことした、好青年の顔。


 大きめの鍋に水を汲んで、火にかける。


「彰ちゃんのお母さんって、今どうしているの?」


 かき揚げの最後のひとつを油から引きあげる。キッチンペーパーの上に置くと、染み出た油で直ぐに色が変わり始めた。


「さあね」


 アメリカンジョークのようにわざとらしい口調だった。


「知りたい?」


 努めて自然な口調で尋ねる。

 興味本位ではない。

 彼と付き合ううえで知っておきたいと思った。


「知りたくないよ」


 きっぱりと言う。それは突っぱねるというよりも、意思の明らかな結論だった。


「どうでもいいんだ、もう」


 振り向いた利玖に対して、投げやりな意味ではないよと、彰葉は顔の前で手を振った。

 朔也とはまた違った、中世的な顔立ち。

 これは絶対に母親譲りのはずだ。


「恨むような気にもなんないって言うかさ。不幸になってくれとも思わない。本当にどうでもいいの。恨んでも、あの人が不幸になっても、俺が幸せになれるわけでもないから、そんなことに拘る気もない」


 そう言う彰葉の表情は、そういう表情だった。大きな瞳に何も映っていない。


「勿論、許したわけではないよ」


「うん」


 利玖はどんな返答が正しいのかを測り兼ねて、曖昧に頷いて見せた。

 鍋の水がぽこぽこと気泡を浮かべ、沸騰する。

 素麵を鍋の縁に沿ってばらす。白い花が咲いたみたいだった。

 

「俺にも意地があるとすれば、目の前で幸せですって言われるわけにはいかない。

よく思うのが、俺の知らないところで幸せになっていればいいってこと。あの人が幸せかどうかが問題なんじゃなくて、俺がそれを知らなければ、どうでもいいんだ」


 彰葉はいつもそうだ。

 人好きなようで、何処かで人間というそのものへの嫌悪感を隠さない。好きな人の欠点を平然と論い、嫌いな人間の好意も受け止めてしまう。

今という時を、平面でしか見ていないのだろう。点を点としか見ず、それを丁寧に結び付け繋ぎ止め形作ろうとする誰かの行為が、理解できない。物事を三次元的に見ることができない。四次元的になど不可能に近い。


 執着心の無さは彼の旅人精神に基づいていて、そんな部分に触れる度に、ある日突然、彼はいなくなってしまうのではないかと不安になる。


 茹で上がったそうめんをざるにあげ、お湯をすべてシンクに流す。白く濁った水があっけなく流されていくのを、ただ眺める。


 渡り鳥が居住を変えるのは、生活のためだ。必要な暮らしをするために、危険を冒してまで海を渡る。


 水でしめた素麺をお皿に盛る。

 表面の艶が美しい。


「美味しそう」


 利玖の肩越しに覗き込む彰葉の声。

 可愛らしさの残る、高めの声。

まるで物語の主人公のような声だ。


「冷蔵庫にブドウもあるよ」


 二膳のお箸を渡すと彰葉は嬉しそうに笑顔を浮かべ、テーブルに箸を並べる。

その背中は何度も見て来た。背後からでも、彼が今という時を楽しんで生きていることが分かる。彰葉は享楽主義で刹那主義だけど、でもそれは、いつ何時も幸せであるということだ。


 もし、彰葉が手の届かないところに行ってしまうことがあったとしても、それはきっと、彼にとって居心地のいい方に流されたということだ。利玖が悩むことでも苦しむことでもないはずだ。


でも、一緒には行けそうにない。



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