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型抜き


 雅の小さな手のひらがクッキー生地に星の型を押し付ける仕草を、朔也は同じテーブルでサイダーを舐めながらみていた。案外思い切りの良いところがある雅は次々に、伸ばしたクッキー生地に型を押していく。


「これ、楽しい」


 キッチンで料理の準備をしている利玖の方を向いて、雅は言った。


「図工みたいでしょ?」


 確かに粘土遊びに似ている、と思う。そう思わせるのは雅のふっくらとした手や、たどたどしい手つきのせいかもしれない。

 星やハートや季節外れのジンジャーマンの型で抜かれたクッキー生地はバターの色をしていて、まだ生地の段階なのに甘い香りがする。


 キッチンはまだ電気をつけずとも明るい時間帯だというのに、今日はお昼を食べて休憩も束の間、夜に向けた準備に追われている。


 今夜、彰葉たちが来るという。蓮と紅花は昼までのシフトで、彰葉は休みだが職場から食べ物をテイクアウトすると言っていた。彰葉の職場はバーだが、マスターがもともとは料理人になりたかったというだけあって、食事にもレパートリーがあってどれも美味しかった。


「ね、ゼリーってまだある?」


「どうだろう。そこの棚の中、見てみて」


 利玖が指さした重厚な棚にちょこまかと歩く雅は、いつもに増して元気があった。

 雅は夏休みに入り、ここ一週間ほどずっと、利玖の所に入り浸っているらしい。その間、朔也は家にこもってレポートをこなしていた。だから、この二人がどのようにして仲直りをしたのかは分からないし、勿論聞く気もない。ただ何となく、お互いあえて触れなかったのではないかと思う。雅は怒りの持久力はないタイプだろうし、利玖の中にある申し訳なさは恐らく謝罪とは種類が違った。


 白は黒にならないし、黒は白にならない。混ぜ合わせたら、グレーになる。それは違う色を生み出したことになるけれど、黒の良さも白の良さも打ち消すことだってある。

 だからそこに、三色存在すればいい。明確な線引きは要らないけれど、だからと言ってあやふやで曖昧なだけの隣合わせもきれいごとでしかなかった。


「朔ちゃん。これ、切って」


 デコレーション用の色鮮やかなゼリーの袋を器用に肘で運んできた雅が、それを朔也の方に突き出した。生地を散々触った雅の手は指紋が浮き上がる程にバターでコーティングされていて、はさみは持てそうになかった。


「俺は雑用係かよ」


 文句をつけながら袋にはさみを入れて、小さなビーズみたいなゼリーを小皿に流しいれた。ついでに一つ摘まんで口に入れると、ねっとりとした食感で歯に張り付いた。味はよくわからない。


「それしかできないじゃん」


 つまみ食いを非難する目つきで朔也を見て、雅は厳しい評価を下す。


「型抜きくらいできるわ」


「その爪で?」


 雅の冷ややかな目線を受けて、思わず自分の手元を見た。夏に合わせて、ほんの少し青を足したネイル。紺青とシルバーのラメの相性はすこぶるよく、見慣れた黒を基調としたネイルよりも手を一層白く見せている。

 そうだ。伸ばした爪でのクッキー生地はやはり気が引けて、型抜きを一緒にやろうという雅の誘いを丁重に断ったのは、朔也自身だ。


「だからこうして、雅が型抜きしているところに付き合ってんだろ」


 恩を売る口調で言ったものの、少し暇な気分だったのは朔也の方だった。

 いつものように窓際で本でも読んでいればいいのだろうけれど、根を詰めてレポートをこなした後で、流石に活字にも飽きてきた。雅の軽やかな口調や利玖の鮮やかな手つきを

それとなく眺め時折かわす言葉に笑っていると、日常に帰ってきたと思えた。


 可愛らしいデザインをくりぬかれて残ったクッキー生地は、それでも一つの作品のようだった。朔也は敷いてあったラップごと生地を丸めて、もう一度土台をつくる。手の温度で温まった生地はラップ越しにも、ぬるっとした感触を手のひらに残した。


「結局ね、粘り勝ちした」


「え?」


 生地をめん棒で伸ばしていた手を止める。雅を見上げると、目を伏せるように俯いたまま、鉄板のクマにゼリーで顔を描いていた。


「学校。テストの後、休んだり逃げ回ったりしてたら成績つけ終わってたらしくて、そしたら先生たちどうでもよくなったみたい。何も言われなくなった」


 雅はこちらを見ずに、ゼリーを飾り続けている。朔也も、自分の作業にもどった。丸めれば両手に収まるくらいの生地でも、伸ばせば手を包めそうなくらいには広がる。


「あんなに卒業させない、夏休み毎日通わせるって言ってたくせにね。私、脅しで人を支配しようとする人、嫌い」

 

 うんうん、と相槌を打っていると、彼女はやっと顔を上げた。目が合う。化粧っ気のない柔らかな頬が表情に合わせて隆起する。


「朔ちゃんは?どんな人が嫌?」


 阿漕な言葉に比べ、表情に余裕がある。人を揶揄って遊ぼうという魂胆が見え隠れしているところは幼いが、その裏に絶対的な信頼を感じてしまう。あてにされたり期待されるのは苦手だが、人に頼られることは嫌いではなかった。


「自己啓発本を読む人」


 苦手とする人間が多い自覚はあった。好き嫌いの激しさや対応力の無さに自分自身呆れ、戸惑い、足が竦むことも多い。うわべの人間を心の中で疎みながら、その処世術に妬みがないといえば嘘になる。


「さらに言うと、それを読書っていう人」


「いるいる。意識高い系か、自己肯定感が迷子な人に多いね」


 どの目線で言っているのか、彼女は何かを分析するような口調で言った。

 

「利玖ちゃんは?」


 話が盛り上がっていると思った雅は悪手にも、利玖にまで話を振ってしまう。案の定、利玖は戸惑いの混じった苦笑いを浮かべた。


「こういう人って嫌いじゃなくて、こういうひとがいいって話にしない?」


 雅が朔也を一瞥する。その眼に頷いて見せると彼女は納得したように笑った。


「じゃ、久々に二択問題。追う恋と追われる恋、どっちがいい?」


「俺は追う派」


 利玖があっさりと結論を出した。


「えぇ、なんで?」


「追う方が、自分のペースで恋愛ができるでしょ」


 雅は不思議そうに首を傾げたけれど、朔也は利玖らしいと納得して、唇をなめた。

 相手を自分が思う形で愛せるのは、追っているときだけだ。それが名前の付く関係性になってしまったら、どちらかだけに愛情の比重が傾いていてはいずれ破綻してしまう。

 人が好きで人に何かをしてあげることに無抵抗な利玖らしい選択だった。


「朔ちゃんは?」


「どっちも嫌だわ」


 朔也には自分の方に視線の向いていない人間など愛せないし、だからと言って一度求められる優越感に浸ってしまうと執着心が顔をのぞかせる。恵まれ、与えられて生きて来た。そのおかげで自分の欠落に、嫌と言う程向き合うことになった。


 やはり、雅は首を傾げる。


「雅はどっちがいいの?」


 利玖が尋ねると、雅は顎に手を置いて


「昨日ね、映画を見たの。主人公の女の子は片思い相手だったはずの既婚者の男性とちょっといい関係になっちゃって、逃げるように自分を好きでいてくれた幼馴染と付き合うんだけど、結局既婚者の元に戻っちゃうんだよね」


 不倫と三角関係。随分と湿度の高い映画を見たものだ。

追う恋につかれて追われる恋に走ったものの、やはり追う側でいたくて元鞘、というのは恋愛ものではどうもテンプレートらしい。

朔也にはいまいち理解が出来なかった。

熱狂的に誰かを求めるような、四六時中考えて執着して追いかけるような、そんな人間関係は求めていない。一時的で継続性のない、壊れそうな関係性は必要ない。欲しいのは、零れ落ちそうな最後の一滴をぎりぎり零さずに守り続けられる関係性だった。


「それ見てたらさ、どっちもいいけどどっちも苦しんだなって思って」


 彼女の中で、物語の断片が新たな物語へと引き継がれていく。残酷さは時に物語の核となり、感傷と美しさがない交ぜになって水面をうつ。静かな波紋となって広がる一過性の感動がまやかしだと気付いた時に、エンターテインメントは役割を終える。

 物語は、物語でしかない。


「それで、二択のクイズになっちゃったのね」


「追われているって一見満たされているみたいだけど、それって要するに期待されているってことでしょ?しんどさも絶対あるよね」


「期待に応えられないって思っていると、余計にね」


 そう付け足した利玖に、朔也は思わず彼の背中を見つめた。カーキのシャツを着ている背中は身長のわりに広く、けれど厚みがないので、腰辺りの布がだいぶ余っている。


「してもらっている罪悪感もあるし」


「それはしてあげたいと思ってしてあげているんだから、別に負い目には思わないで欲しいけどな」


 やはり背を向けたままに、利玖は言葉を返す。朔也はテンポよく流れる会話に無理に口を挟まないことにした。元々、自分のことや考えを強く主張することは苦手だった。ただ、それ以上に、主張されることも得意ではなかった。


珍しく人の目を見ない利玖の何処か心許ない口調に引っ掛かりを覚え、背中を見つめる。


 愛情深く正義感の強い彼が、何方の立場にいるのかが分からない。

 弱い者の立場に立つことが多いのは知っているし、傾きかけた船を平行に戻そうとする性格も知っている。

 人に優しくしたいと思う性格は、素直に尊敬できる。

 

「修が世話になったらしいな」


 利玖は少し驚いた顔で朔也を見て、少し笑顔をつくった。


「そうそう。フードロスになる前にね」


 修介から、利玖の所で夕食を貰ったという簡潔な連絡がきたのは、一週間ほど前、雅と利玖の間に不穏な空気が流れた日だった。


「喜んでた。あいつ、自炊はあんまり得意じゃないと思うから」


「そうなの?ちゃんとしてそうだけど」


「ちゃんとしすぎているんだよ。調味料とか、ミリ単位で計ってると思う」


 大袈裟な例えを、雅は声を出して笑った。


「朔ちゃんと修ちゃんって、似てないところはとことん似てないよね」


 知っている。声には出さず、朔也は無意味に左耳に触れた。弟とお揃いのピアスの存在を、何故か他人は持て囃す。ただ一人、蓮を除いて。彼には、悪趣味だと一蹴された。お揃いという感傷にたいしてか、ピアスをしているファッションの方向についてなのか、ブランド名の刻印があるオニキスのピアスという選択肢についてなのかは分からないけれど、分け合った一対を素敵な兄弟愛に仕立てられるのも違和感があったので、上等だと返したことは覚えている。


 何かをくれといわれたから、あげただけだ。ピアスホールなんてない健全な高校生に、使っていなかった片割れのピアスを渡した。それで罪悪感が打ち消されるのなら安いじゃないかと思った。一年半後に弟の耳を飾ったオニキスを見て、自分で自分に柵をかけたのだと気が付いた。お気に入りのネックレスでもブレスレットでも、欲しいものを選ばせればよかったと後悔した。たとえどんなに気に入っていたものだったとしても、手元にないのなら忘れることが出来たはずだった。


 家の方のチャイムが鳴る。

 駄菓子屋の方はお店を開けているので慣れている朔也や雅はそちらから入ることが多いのだが、紅花は何故か玄関のチャイムを鳴らす。

 雅は勢いよく顔を上げ、玄関へと走っていった。


「飼い主が帰ってきた犬かよ」


 チャイムを鳴らす紅花のことを理解した、パブロフの犬。


 利玖が隣に来た。


「羨ましいけどね」


 雅の素直さに対してなのか、そこまで求められている紅花に対してなのかは分からなかったが、聞き返しはしなかった。何方のことだとしても、自分には与えることはできない。


 玄関が騒がしくなる。彰葉のよく通る声が響いて、家の中に賑やかな色が足される。

 利玖の手が朔也の肩を少し撫で、彼も玄関へと消えていった。


 少しぬるくなったサイダーを口に含む。弾ける炭酸を舌で転がしていると、口の中がべっとりと甘くなった。


 最初にリビングに来たのは彰葉だった。朔也を見つけ、一瞬迷いながら小走りに駆け寄り、腕を朔也の肩に回す。その手を受け入れて髪に触れると、一層手に力が込められた。

微かに香水の匂いがする。夏っぽい、マリン系の香りに誘われるように、自分のつけているバーベナのオリエンタルな香りが際立った。洋服の系統も香水の好みも違うけれど、ちかいところに彰葉を感じることがある。


 腕に雅をぶら下げた紅花とは目が合ったが、特に言葉はなかった。


 狭い室内に五人が集まれば、それなりに話題は騒がしく移ろう。ほとんど話をしているのは彰葉と雅で、利玖が相槌を打つ以外は可愛らしい声がずっと響いていた。

 朔也は睡魔に目をこすっていると、話題はテーブルのクッキーになっていた。


「え、雅ちゃんが作ったの?」


「上手じゃん」


 型抜きをしただけだと言いそびれた雅は申し訳なさそうに目を泳がせ、それを見た利玖は顔を背けて笑っていた。


 雅がここに来る前に、朔也はクッキー生地をこねる手伝いをさせられた。ただ混ぜるだけとはいえ、乱暴にすると直ぐに薄力粉が飛び散り、ボウルを抑えていた手が白く染まった。溶いた卵はなかなか粉と混ざり合わずに箆でかき混ぜるだけの地道な作業が続いた。


 何も言わないのか、と言いたげな笑みを浮かべる利玖と目があったが、肩をすくめて見せるだけにした。

 

「そういえば」


 雅は急に何かを思い出したように畳のリビングに小走りで移動する。ひらひらとひざ丈で揺れるスカートが躍動的だった。

 ショルダーバッグから、何かを取り出し、顔の横に掲げる。


「大富豪やろうと思って。ローカルルールだらけのやつ」


 にっこりと笑顔でキャラクターもののトランプを揺らす雅に、彰葉と紅花が意味ありげに笑った。


 もう一度チャイムが鳴る。

 彰葉が玄関へとかけていった。


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