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散らばる銀河の天の川

 利玖の家のリビングは畳になっていて、家中フローリングの一軒家で生まれ育った雅にとって、床に寝転ぶという特別感は心を開放させてくれる。


 彼の祖母の家、というように、少し古めかしい家の畳はすっかり色は褪せて、秋の色をしている。しかし匂いには寂しさよりも懐かしさがあった。知る訳のない、妙な懐かしさに安心するのは何故だろう。

 うつぶせに寝転んで頬をつけるとほんのりとした冷たさが伝わってくる。外の、夏の暑さから遮断されたクーラーをきかせた室内は均一に涼しく居心地がいい。ひやりとはしないがじわじわと染み込む畳は、生き物の息吹を感じさせる。

 艶やかな畳の目に沿って手のひらを滑らせて遊んでいると、隣でほとんど同じことをしながら目を閉じている朔也の姿があった。


 雅は朔也の隙を見ると、何かせずにはいられない。


 珍しく髪ゴムもヘアピンも使っていない髪が、毛先を散らばせるように広がっている。窓際族の彼の定位置は昼間の暖かな日差しを受けやすく、いつも丁寧に染められた明るい髪色は太陽を味方につけた途端、透き通るような優美さを演出する。


 なんか、天の川みたい。


 ふっと、雅は考える。

 カササギ伝説は橋に積もった雪を天の川に見立てたように、彼の細くて男性にしては長めの髪は、景色の一部のように瞳に馴染んでいた。

 手を伸ばせば触れられるはずなのに、何処か遠くに感じるときがある。


 悲しくもならない、もっと美しい遠さ。

 それこそ、宇宙をこの手に乗せようだなんて、一度も思ったことがないみたいに。


「キミたちさぁ、日曜日だよ?」


 二階で何やら自室にこもっていた利玖がリビングに顔を出した。着ていた紫のシャツ姿に、原色の明るさを久々に摂取した気持ちになった。


「日曜日だね」


 振り向いて同意を示すと、彼は雅をじっと見つめ、次に朔也を見つめた。


「こんなにいい天気だよ」


「いい天気だね」


「今日から七月だよ」


「七月だね」


 鸚鵡返しで頷いていると、彼は諦めたように少し笑って、そうじゃなくてねと隣に座る。


「こんな天気のいい日曜日の真昼間から、だらだらしてていいのかなぁってことだよ」


「日曜日にだらだらしなかったら、平日はだらだらさせてくれないじゃん」


「まぁ、そうなんですけど」


 雅は勿論利玖の言わんとしていることは理解していたし、利玖もまた、同じように雅の言い分を説教じみた言葉で否定はしない。


「でも、少しは光合成した方がいいよ」


 利玖の視線は何方かと言えば、朔也を捉えている。そこに関しては雅も同意をしている。


 彼は大学三年生になり、大学に通うのがついに週に3回まで減った。本人は勿論内心喜びと安堵で一杯になっているのは察しているが、一人暮らしで富裕層の子供らしくアルバイトの一つもせず、当然サークルにも入っていない彼の引きこもり具合には、雅ですら気がかりだった。


 利玖と見つめ合い、頷き合う。


「ね、朔ちゃん」


 雅は朔也の隣に移動し、その髪を撫でる。何度もブリーチをしているとは思えない、艶っぽい髪には、ちょっと嫉妬したくなる。


「ん」


 眠ってはいないようだが微睡んでいた朔也は警戒心を露わに目を開き、眉をひそめる。ぐっと力を込めると、なんだか色っぽい。


「デートをしませんか?」


 真横に同じ体制で寝そべって顔を近づけると、僅かに香水の匂いを感じた。女性ものを使うセンスは、彼らしい。


「利玖と行けよ」


 目元をこする仕草は案外幼いが、その指先にしっかりとネイルが施されていて、今日は青とシルバーかと、ついチェックまでしてしまう。


「利玖ちゃん。だってよ」


「俺、今二階で荷物の整理してんの。ばあちゃんの服を、そろそろ夏服で届けたいからさ」


 そう言われると、流石に朔也もあまり余計なことは言いにくい。


「せめて、日が沈んでからな」


「いや、今の時期、日が沈むころには八時近いぜ」


 利玖の突込みは尤もで、夏至を過ぎたばかりのこの時期の、日の長さをなめてはいけない。

 子供の時などはそのような事実を知らずに、つい日が長いからとのんびり帰ったら、既に家に帰っていた母親から大目玉を食らったこともある。


「この前デートしてくれるっていった。行きたいところ、決めたよ」


「何?」


「短冊書きたいの」


 朔也の髪を見つめていて、思い出した。

 紅花に教えてもらったようにみなとみらいまで足を延ばしてもいいけれど、別にそれが目的ではない。

 近場でも、それなりのものはこの時期、何処にでもある。


「お前それは、幼稚園で卒業しろよ」


 それはあまりにリアリストが過ぎる。


「なんでよ。いいでしょ。何もしていないのに、大袈裟な願いを合法的に文字にしていいんだよ。乗らなきゃ損じゃん」


「損得で考えるな」


 朔也は顔にかかっていた髪をかき上げながら、寝返りを打つ。

 仰向けになった顔を横から平行に見つめると、おうとつのはっきりした骨格が彫ったみたいに綺麗で、世界史の教科書に出てくることがあっても、おそらく日本史のそれには載っていない。


「まぁ、ほら。たまにはイベントごとにのせられてみてよ」


 その後、言葉に満たない言い合いを重ねた結果、雅の粘り勝ちで近くのデパートまで歩くことになった。


 利玖はその様子を緑茶で一服しながら眺めていたが、雅がやや優勢になったあたりで期待をする表情になり、朔也がいやいやながら起き上がると同時に、雅に目配せをして喜んだ。


「信じらんない。夏だぜ」


 ぶつくさと文句を言いながら、朔也がのろのろとリビングから洗面台に去っていく。

 それを肩をすくめて見送り、


「朔のこと、よろしくね」


 にっこりと笑顔で言うので、雅は何も言わずに笑顔で、行ってきますと玄関で靴を履く。


 利玖は朔也に遠慮をし過ぎだ、と思う。

 勿論、雅だって気を使う場面くらいある。人間関係の中で一切気を使わない関係なんて信じないし、そんなものに特別憧れはしない。

 

 でも、利玖の朔也への入れ込み方は、何処か神格化し過ぎていると思う。行き過ぎている。

 彰葉が蓮に思い入れすぎていることも、そんな彰葉に蓮が及び腰なのも、利玖と朔也のそれととても似ている。


 彼らを見ていると雅は、愛する自由に縛られていると知ってしまうのだった。


 真夏がすぐそこに来ているというのに、朔也は長袖長ズボン、おまけにブーツと完全装備で出てきた。


「朔ちゃんて、絶対に上着を脱がないよね」


 白いシャツに珍しくデニムを合わせ、その上に紺の薄手のカーディガンを羽織っている。息を吹きかければ揺れそうな、本当に薄い絹で、ロング丈に華奢な全身がすっぽり収まっている。


「日焼けすると溶けるんだ、俺」


 これじゃ光合成は無理だ、と内心で呆れながら、彼の手を取る。


「本当に綺麗なネイル」


 歩きながら彼の指先を一本ずつ眺める。校則で爪を伸ばすことすら禁じられている雅の手に比べ、骨ばってはいるが白くてほっそりとしている彼の手は、爪先まで手入れが行き届いている。


「少し前に、佐野の姐さんがやってくれた」


 彼はあくびをかみ殺している。晴天の下で、なぜ睡魔に出会うのだろう。


「だと思った。すごく綺麗だもん」


 左利きの彼の、左手のネイルはいつもちょっと不格好だ。

 とてもじゃないけれど、グラデーションにしたりストーンを載せたりは、彼にはできない。


「佐野の姐さんには会ってるのか?」


「うん。この前、お家に泊まったよ」


「そっか」


 納得したように頷いた彼の指先を取ったまま、炎天下を歩いていた。直ぐに二人して手の関節に汗をためて、道行く人の少し怪訝な顔に出会う度に、目を合わせて笑った。


 朔也と街を歩くときは、必ずと言っていいほど彼の恋人を演じてしまう。

 道行く人からそう見られることが、雅にとって堪らない愉悦となっている。

 

 想定通り、雅はデパートの広場に笹飾りを見つけた。

 既に空席はないと言いたげに所狭しと並んだ短冊を見つめて、朔也は真顔になる。


「強欲の権化」


 なんて小声で言われたが、無視をした。文字に起こせる願いなんて、叶わなくたって誰も壊れたりはしない。

 

 ピンクの短冊を貰ったところで、はたと気づく。


「願い事、考えてなかった」


 その言葉にすっかり呆れ顔の朔也に青い短冊を渡すと、彼はやるわけがないと拒否をする。


「利玖ちゃんの代理」


 小さな子供たちが入れ代わり立ち代わり幼い字で願い事を消化していくのを横目に、雅はすっかりその思い切りの良さに感心してしまう。


「大人になるにつれて、願い事ってわからなくなるんだね」


 しみじみとした気持ちで言ったが、朔也は、鼻で笑ってきた。


「雅が七夕を真剣に信じているなら悩んでていいけど、もし多少の常識を持ってこの状況にいるのなら、とにかくでかいスケールのことを書け」


「朔ちゃんはなんて書いたの?」


 短冊をいやいや受け取ったわりには、朔也はあまり悩まずにペンを手に取った。

 

「あいつの代わりに世界平和をね」


 朔也は利玖の、偽善的なところを遠巻きに眺める癖がある。

 でも雅は、実のところ本当の偽善者は朔也だと知っていた。彼はゼロか百かの完璧主義者故に偽善者としての役割を果たせないだけで、内心の平和主義と理想への意識は高いものがある。だから、競いたくない、比べたくない、の思いが強すぎる結果、酔生夢死な生き様になっている。


「世界平和なんて、人間の自己肯定感さえ安定すれば簡単に叶うんだけどな」


 彼はそういうと、人の波が引いたところを目敏く見つけ、手早く短冊を吊るす。子供向けに作られた笹飾りの、高い位置に踵を浮かせて針金を捻じる指先まで綺麗で、多分、朔也はこの世界に向いていない。

 

 朔也の感性に触れるとき、雅は優しさと同時に手の届かない大きな絶望を眺めているような気持にさせられる。

 世界平和などと大きく出れば規模は壮大に思えるけど、分解すればむしろ消極性の結果でもある。人より上に立つ、人を蹴落とす、必要以上の富を得ようとする、そういう野望を一切誰も抱かなかったと仮定すれば、そこにはおそらく、平和があるだろう。


 何ができるかの結果で生きていくのではなくて、何がしたいかで生きていける世界だったら、きっとこんなに苦しくない。


「で、雅は何を書いたの?」


 利玖の家に帰ると、何気なく尋ねられた。


「うーん。世界平和?」


 雅の答えに、勿論利玖は納得はしない。

 何それと呆れた表情には成ったが、それ以上の追及はしてこなかった。


 きっと、願い事を隠そうと、はぐらかしたと思われている。

 訂正する必要はないと、雅は小さな秘密を作れた悪戯な心でたくさんだった。


 結局、雅は短冊に書くべき事象がなく、困りに困った結果、隣であくびをしている朔也の願いをかなえようと大きく出たのだった。

 出来ない約束はしない方がいいし、出来ないビックマウスはご法度だろうけれど、七夕は別だ。

 願うことに意味があるのだからと免罪符を切って、朔也の願いが叶いますようにとペンを走らせた。



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