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些細な差異

 近くに置いてあった新聞の間に挟まれたチラシの、ちょっとポップな色合いに手を伸ばしたことに、とりたてて意味はない。

 ただちょっと、因数分解に手間取ってうんざりしていたから。

 利玖は店で客をさばいているし、朔也は来ないし、小学生は学校の時間。久々に、利玖の家で時間を持て余している。平日の午前中は、世界が少し静かで、ほんの少し物足りない。

 そのチラシがショッピングモールのオープニングセレモニーの目玉商品を紹介していて、左下の方に小さな間違い探しがついていた。小学生以下は間違い探しの答えを持って行くと景品と交換してくれるらしい。

 小学生に出来るくらいのものなら、と軽い気持ちで始めた数分前の自分を、少し恨む。因数分解の方がまだ、数字という限られたフィールドの中での疑問で済んでいた。


 勉強ってちょっと高度な間違い探しみたいなところがある。

 最初はたいして楽しくなくて、でも始めてみればそれなりの手ごたえもあったりするから好奇心が刺激されて、でも水を差すように壁にぶち当たって、その繰り返し。


 間違い探しの舞台はショッピングモールそのものだった。

 建物内にあるらしい噴水と、あたりを何人もの家族連れが取り囲んでいる。いくつものショッピングバック、手に持ったアイスクリーム、優雅に押されるベビーカー。

 どれもなんだかすごく、偽善的。

 それでいて、空想的。

 

「これだ」


 睨み合うこと、十数分。

 小さな子供が抱いているクマのぬいぐるみのリボンの長さが、左側は若干短い。


「何しているの?」


 つい夢中でやっていると、利玖の存在を忘れていた。

 咎める声に振り向くと、すぐ背後で雅の手元を覗き込んできた。


「間違い探し。後二つ、わかんないんだけど」


「俺は、みやのやっていることが間違いだと思うよ」


 この真面目さ。

 雅は肩をすくめる。


「利玖ちゃんてさ、私にだけ厳しくない?」


「その言葉、朔也にも言われた」


 利玖の手が雅の髪にそっと落とされる。優しいと言えばそれらしい、無意識で慣れた手つき。無防備に、彼の愛情表現は疑似的な恋愛のそれでもない。

 

「朔ちゃんには激アマじゃん」


「本人はそう思ってないんだよな、これが」


 雅は勿論呆れた。

 そして、おそらく自分もそっくりそのまま当てはまるのだろうと考えると、正直返す言葉はなかった。


「で、朔ちゃんは?」


「ここ数日姿を見せないんですよ、これが」


 今度は少し難しそうな表情を作って、それをすぐに引き下げるように笑った。


「人が宿題に困ってる時に限って、来ないんだから」


「勘がいいんだよ。敏感だから」


「あれはただの過敏でしょ」


 雅は腕を組んで、大きく息をついた。


 数学は得意科目でしょ、教えて欲しかったんだから。


「いつもの悪い癖だよ」


「引きこもり?」


「家の中に居場所があるってのも、大事なことだよ」


 利玖は雅の隣に座り、教えてあげるよと教科書を手に取る。


「それより、この間違い探しを教えてよ」


 薄いチラシを振ると、軽い音が鳴る。明るい暖色がポップにファンシーに彩られ、しかし教科書の嘘くさい色合いも負けていない。

 視覚情報に操られているようで、何となく気分が乗らなかった。


「なんでそんなに、むきになってるの」


「中途半端に辞めたくないし、それにさ…」


 感情がまとまらず、雅はうつむいた。


 可視化された差は簡単に見つけられるものだと思っている。

 本当の意味で埋められない差は、四次元に存在している。


 梅雨明けにある合唱コンクールの朝練が始まった。いつもより三十分早い登校。

 考えただけで疲れてしまった。

 休む口実を探す。

 痛くもない身体の不調を探すことにも、疲れた。

 どうして居場所がないのだろう。


 何かを察したらしい利玖が大きなため息をついて、目が合うと頷いた。


 朔也に合わせて染めた髪。

 おそらく黒髪の方が似合う、少し浅黒い肌と快活さを感じさせる瞳。

 天性で、明るさを与えられた男。


「間違い探しは得意?」


 利玖の腕に体を寄せると、軽い感覚で抱き寄せられた。長い腕。

 本気で抱かれたら、おそらく逃げてしまう。


「朔とみやの違いなら、わかるよ」


 利玖が大きな目を三日月形に丸め、笑う。得意げとも愉悦とも取れる微笑みの裏、自分が一体どんな言葉を投げかけられるのか気が気でない。


「朔とみやはね、重点の置き方が根本的に違う」


 なんてことない前提の言葉に、ちくりと刺される。


「もしも自分が思っていることと全く違うことが社会の常識だって言われたら、みやはどう思う?」


 雅の痛みを知る由もない利玖が屈託のない微笑みで問うてくる。その邪気のなさが、逆に雅を安心させる。

 この人の心の内側に狡猾さや卑劣さがないから、この人は他人のそれにも気が付かない。


 雅は細く息を吸う。


「社会とずれてるなってかんじたら、とりあえずへこむよ。社会に対して自分は違うところに立っているってことだもん」


 言いながら、自分に刺さっていたナイフをより深くまで押し込めているような、そんな気持ちになった。

 利玖が雅をある種の愛情をもって守ってくれているのはもう十分すぎるほどわかっているはずなのに、時々思い出したように考えてしまう。利玖だって、社会の一部に過ぎない。そしたら、やっぱり社会に肯定されない雅は異端に過ぎないのではないだろうか。


「自分は普通じゃないって、そう言われているんだよ」


 言葉が視界をにじませる。感情を言葉にすることで現実と過去が交わる地点を見出し、それが変えられない真実として雅を孤独の森へと置き去りにする。道しるべも地図もない、誰も入ったことのない孤独の闇の中。


「うんうん。みやはそうやって、自分はずれているって、世間を正しいと仮定して物事を考えるよね」


 利玖大きな手が腕から頭の上に移動する。後頭部が彼の手のひらに収まってしまう。


「普通そうじゃないの?」


 窓の向こうで網戸がずれるほどの強風が吹いた。

 今日は風が強い。


「朔はね、自分が正しいと思っちゃうんだ。自分の中にある答えを信じて疑わない。だから、周りがおかしな方に傾いているだけだって、そう捉えるんだ」


 少しおかしそうに、利玖は目を細める。大きな目が細められると、途端に視線の先が分からなくなる。彼の視線の先にあるのは、朔也のどんな表情だろう。


「ねえ。歌謡曲でなりがちな、世界があなたの敵でも俺だけはあなたを守る的なやつあるじゃん。そんな感じ?」


 世界中を敵に回せたらそれは一種の才能だろうと思いながら問うてみる。


「世界中を敵に回すんなら、多分その思想は間違っているはずだからね。敵にならずに、更生させてあげたいよね」


 わかる間違いなら指摘のしようもあるということらしい。


 雅は表で吹き荒れる風を見つめ、憂鬱に息をついた。

 風なんてどんなに強く吹き荒れていたって、室内にいる限りは、何かが揺らされているのを見て実感するしかない。

 窓を閉めて安全な場所から揺れる木々を見ている人間に、風の温度も、乗せて運ばれる砂塵も、見えはしない。


「でもね、みや。自分を一個体として、誰にもなじまない自分を見てもらおうとするくせに、自分以外を一緒くたにするのは人間の悪癖だよ。自分以外に人間がどれだけいると思ってるの。自分か自分以外っていう視線はよくない」


 利玖の言い分は理解できる。

 確かに、自分を見て欲しいと言いながら、雅だって雅以外は一括りで考えている。確かに、傲慢だ。

 

「まぁ逆に言えば、だからこそ人間は自分を一番理解しないといけないんだよね」


「自分を救えるのは自分だけってこと?」


「一番簡単な言い方をするなら」


 にっこりと曇りのない笑顔を向けられて、雅は釣られるどころかむしろ、本来利玖を曇らせるはずだった雲すら雅の元に流れ込んでいるんじゃないかと猜疑するほど、憂鬱な気分になった。


 恨む気はないけど、太陽は時に邪魔になる。







 その昔、家族で旅行に行った時の話だ。

 星がよく見えるという丘に車で登った。車酔いの激しい朔也は乗って早々から気分が悪くなり、窓の外を不機嫌に見つめるしかなかったが、抑々この行事自体が朔也のリクエストだった。

 当時小学校に入りたてだった妹は眠さでぐずっていたし、母親も寒さに身を縮こませていた。


 そんな中で見上げた夜空。

 田舎の、美しい星空が広がっているはずだった。

 今となれば調べればわかることだったが、その日は満月だった。星はどこにでもある。ただ、星よりも明るいものがありすぎて、見えないだけ。

 

 都会の光から遠ざかっても、星に近い月の輝きが勝ってしまっては話にならない。


 ぼやけるように鈍い輝きの星を眺めながら、朔也は喪失感に襲われたが、全く興味のない中、朔也の希望で此処まで車を走らせてくれた父や、妹と車でほとんど留守番状態の母の為に、大袈裟に喜んで見せた。

 まだ、自分にも可愛げがあった時代。


 実際、一瞬、流れ星を見た気がする。

 誰の同意も得られなかったけれど。

 二歳下の弟が目を丸くして羨んできたのを覚えている。

 妹は、露骨に恨み言を口にした。ずるい、と言われると、もしかしたらあの流れ星は幻でしかなかったのかもしれないと思うから不思議だった。自分の中にしまい込んでいれば、おそらく美しい流れ星になっていたのだろう。

 流れ星に願い事を唱えるなんて、土台無理な話だ。

 流れ星を見たいという気持ちが、空想的な夢物語を追い越してしまう。


「いい眺めでしょ?」


 背中から声をかけられて、どこがと聞き返した。


「もしかして、あなたの実家はここよりも上空だったりする?」


 紅花は両手に小さなグラスを持っていた。いつもの妙にぎらつくグラスと違って、その辺のショッピングモールでも手に入りそうな、可愛らしいもの。ピンクと水色という色合いもまた、少女心に親近感を覚えた。


「いや。うちは、一軒家」


「三階建て?」


「地下一階付き」


 渡されたのがピンクのグラスだったので、少し驚く。


「なんでだろ、羨ましいって気持ちがわかない」


 あっさりとした口調だった。

 グラスに口をつけると、ペリエの細かい泡が唇を刺激した。無味無臭。だけどどこか、懐かしい。


「そりゃ、あんたは俺より幸せだからな」


「神崎くんて、モテなさそう」


「なんで俺が女に媚を売らなきゃなんねーんだ」


 紅花の住む高層マンションから見下ろす夜の街。点綴する明りは、あの日見上げた星空よりもずっと暗くて、ずっと強い明かりが強く主張を繰り返す。何光年も遠くで輝く星は、車のヘッドライトよりも明るいはずなのに、その距離の分だけ手が届かない。


「そうね。あなたは売られる側よね」


 六月に入ると、気温よりも湿度が上がった気がする。夜になっても僅かに肌がべたつく。


「暑いな」


「シャワーどうぞ」


 一応、朔也にとって紅花はまだ他人だった。親友ではあるけれど、どちらかと言えば悪友に過ぎない。


 今日だって確かに、朔也の方から紅花に連絡を取ったわけだが、それだって今の雑念に一番薬になるのが紅花と判断したまでだった。


「俺、シャワーの後に同じ服着る勇気はないんだけど」


「秋月の服があるわよ」


「小さくねぇか?」


 ほぼ同じ目線から、紅花が僅かに目を吊り上げて笑った。


「秋月に身長の話は絶対にNGよ」


 知っている。

 彰葉は男性にしてはかなり小柄だった。


「でも、あいつ、何だかんだ自分の身長好きだろ」


 甘い顔立ちと響き渡る中性的な声。下からそっと見上げる視線とか、わざとらしく甘ったるい口調は、彼の身長も含めた容姿故になせる業だった。

 彼は、嫌悪感を口にはしながらも、根底では自分を愛している。


「執着心がないからよ」


 あっさりと、彼女は言った。


「秋月は良くも悪くも、拘泥したり執着することがない。感覚で生きているところがあるし、自分自身にも何も求めていない。刹那的に楽しければそれでいいという短絡的な生き方をしているから、あなたが持つような苦しみとは無縁なのよ」


 この人は何方の視線に立って言葉を組み立てているのだろう。

 舌打ちの一つでもしたい気持ちになったが、今何かしらの反応をしたら彼女の思うつぼだ、と思うと迂闊に嫌悪感を表出する気にもなれない。


「自分のルックスが可愛らしいなら、男にだって媚びるし、口がうまいからバーで女の子を引っ掛ける。お金にしても愛情にしても、ないならないなりに生きていく。

 羨ましい?」


「佐野の姐さんて、勘はいいけど、想像力はないんだな」


「あら、結構よ。私はリアリストだから。ペシミストのあなたとは似たような思考をしていると思うけど、その結末は全く違うってことね」


 現実主義者と厭世家。

 どっちもどっちだなと考えていると、少し生ぬるい風が吹いて、馴染むように身体を包んだ。


「ま、最悪私の服を着て帰ればいいわ。スキニーなら入るでしょ」


 









 バスルームから出てきた朔也は艶美で、どことなく陰鬱さを持っていた。

 彰葉の白いシャツと薄いデニムは朔也の黒を基調としたファッションとは正反対の明るさをしていたせいか、あまり似合ってはいなかった。

 ファッションが悪いというよりも、素材を殺している。濡れた髪が彼の薄い肌の白さを引き立たせているのに、コットン素材のシャツは健全でちぐはぐとしている。


 彼は化粧を落とすと、全体的に色素が薄い。薄めた絵の具で彩った絵画のようだ。

 

「私に絵の才能があれば、あなたをモデルに絵を描くわ」


「俺に絵の才能があったら、こんな野暮ったい土地からは直ぐに離れるな」


「あなたにとって、横浜は野暮ったいの?」


 この異国の情緒と都心に近い現代性の明るさをかんがえれば、通常は洗練された都市に分類されるだろう。


「人間が集まって群れを成すほど、そこに不用意な流行や陳腐な社会性が必要になる。それを敏感に読み取って流され続けているうちは、芸術は発展しないだろ」


 言っていることは理解できるのにそれを認めたくないときは人生に時折存在するけれど、朔也と会話をしていると常にそんな気分に晒される。そして、彼の嫌悪する輪郭が紅花をなぞっている気がしてならない。


 野暮ったいの対義は洗練されている。

 でも、洗練されたという枠組みがあるって、抑々おかしなことなのかもしれない。


「こんなうんざりするような街で、死にたくはないし」


朔也は濡れた髪を無意味なほどかきあげ、やがて諦めたように俯いて息を吐いた。


「なに、死にたかったわけ?」


 紅花はその艶やかな髪を眺めながら言った。


「死にてぇよ」


 朔也は絞り出す様な、弱弱しい口調で言った。


「終われるんだったら終りてぇし、死ねるんだったら死にてぇ」


 この男が言うとちょっと嘘くさい、と紅花は思ったけれど、言わなかった。

 言えるわけがない。この男の危うさをぎりぎりのところでこちらの世界に繋いでいるものが何かも分かっていない人間が、その人の生命力を目だけで測っていいわけがない。この世界には見えない物だらけだ。


「例えばだけどさ、どんな風に死にたい?」


 冷蔵庫から赤ワインを取り出し、コルクを抜く。気の抜ける様な安っぽい音を立て、コルクがキッチンに転がる。


「なに、希望を叶えてくれる感じ?」


「冗談。私、捕まりたくない」


「別に、直接手を下せなんて言わねーよ」


「できれば私、神崎くんが死んだことは知らないでいたいかも」


 グラスに並々注いだワインを、彼の手に渡す。グラスを染めることのないワインの透明度が美しい。


「へぇ。意外」


 グラスを受け取り、彼は多くないかと尋ねてきた。


「なに、酸化したやつを私に飲めって言うの?」


 紅花はそう言って、同じくらい注いだグラスをもってソファに座った。ワインを零そうものなら一生乾きそうにない高級な皮張りのソファに身を沈め、疲れた振りなど簡単だなと思った。


「それで。神崎くんは私にどんな幻想を抱いていたの?」


 興味深くて尋ねると、今度は彼が少し嫌な顔をした。


「幻想なんて言葉遣うって、あんたやっぱり自己評価高いよな」


「私は大した女じゃないって顔して生きていて欲しい?」


「できるものならしてみろよ」


 朔也はワインのグラスを一気に傾けた。乱雑な飲み方だ。香りを楽しんでみるとか、些か量は多いにしてもグラスを揺らしてみるとか、そういう大人のたしなみをすべて無視している。

 当てつけか、と唇で呟く。


「佐野の姐さんがいい女じゃなかったら、いい男もいなくなる」


「でもね、いい女にだって、種類があるのよ」


 朔也がほんの少しこちらを見た。濡れた髪はまとまりよく額に沿って流されていて、彼の目元を晒した。

 いつもの強気なアイラインがなくても、長いまつげが切れ長の瞳を演出している。

 本当に、神様には愛されている。


「違った種類のいい女に、なりたかった?」


 尋ねられると、急激に現実的な気持ちが涌いた。


「今は、そうでもないって言うわ」


 ワイングラスの冷たさに、そっと指を動かす。


「噓じゃないわよ。でも、十年後に同じ質問をされたら、ちょっとわかんない」


 朔也が笑った。皮肉っぽくて、嫌味っぽくて、やはり綺麗な笑い方だ。


「佐野の姐さんの癖と思うけど、気が緩むとちょっと感情が顔に出すぎ」


「嘘。ポーカーフェイスな方だと思うんだけど」


 職業柄、感情を表に出すのはご法度だ。それも表情を崩すなど、指摘されて唖然とした。


「いつもはポーカーフェイスだけど。もしかしたら、オレといるときが一番その兆候があるかもな」


 言われると妙に納得した。


「それは否定しない。さっきの話に戻るとね、私はあなたの死を知ってしまったら、多分自分が死ぬことを具体的に想像してしまうと思うの」


「身体がぐっちゃぐちゃになる想像でもすんの?」


「あなた、スプラッター系ダメでしょ」


「何なら、胃カメラも見らんないと思う」


 それが、彼が親の意思を継ぐことを諦めた最大の要因だ。


「エコー写真とかどうするの?」


「それ以前に大きな問題が立ちはだかると思うから、それの心配はない」


 諦観とは違う、朔也の中にある絶望感は広大な荒野に点在した罠のようだ。地雷の様でもあり、大きな落とし穴のようでもある。俊敏であれば危険と隣り合わせになり、慎重であれば迷子になりそうな程、無辺際に広がっている。

 何より、本人が救われたいと本心から願っていないのが、透けて見える。

 やはり、根っからのお坊ちゃんだ。


「私たちって、一番似てるでしょう?」


 朔也の真似をして、紅花もワインを流し込んだ。高級なワインだったけれど、胃に流し込んでしまえば安物との違いなど在ってないようなものだろう。


「不本意ながら」


 朔也が言った。


「本当に、不本意なほどにね」


 売り言葉に買い言葉ではない。できるものなら出会わずにいたかったくらい、自分たちはよく似ている。


「確かに。佐野の姐さんが死んだって聞いたら、自分も死ねるかもって思うな」


 朔也は自分の片膝を抱いた。一人掛けのソファの上で、彼の細身の脚は厚手のデニムに覆われていても、妙に色っぽく見える。


「わかってくれた?」


 嫌と言う程に。

朔也はそう呟き、ドライヤーを貸してくれないかと言った。洗面台にあると説明し、紅花はもう一杯グラスに注ぐ。遠い洗面台から、ドライヤーの音が聞こえてくる。


 おそらく、紅花の意図は彼に伝わっただろう。ものの考え方が似ているとか、生まれ育った境遇が似ているとか、何の因果か同じ大学を選んでもいる。きっと、潜在意識が似通っている部分がある。同じ体質だから、同じウイルスに殺される。


 例えば利玖や雅が死んだと言えば、自分たちはあんないい子が可哀そうにと言うし、蓮や彰葉がそうなったとすれば、身を隠して泣き果たすだろう。

でも、朔也が死んだと知ったら、おそらく自分はひどく後悔をするだろう。救えるか救えないかとかそういう話は一度おいて、自分の潜在意識から彼を抜き取らなかったことを酷く、後悔するに違いない。


 スリッパの音を鳴らしながら、朔也が戻ってきた。

 長めの前髪で隠された左目に、妙に生気をためて。


「なぁ、だったら今、俺たちは縁を切るべきなんじゃないのか?」


 妙案だ、とはさすがに本人も思ってはいないだろう。


「戦略的な後退ってことね」


「そういうこと」


「確かに悪くないけれど、おそらく無理ね。だって、私はあなたと縁を切ることには何の抵抗もないけれど、雅ちゃんはずっとかわいがっていたいもの。でも、雅ちゃんはあなたの傍を離れないでしょう?」


「子は鎹ってことか」


 朔也は納得したように頷いて、一つ聞いていいかと言った。


「どうぞ」


「今日佐野の姐さんが俺に言ったことに、嘘は一つもない?」


 残りのワインを飲み下し、彼は言った。紅花は香りを楽しみながら、


「あなたの想像に任せるわ。言えるのは、私は素直な人間だっていうことと、あなたとよく似た人間であるということね」

 

 


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