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理想の話

 恋愛もののドラマの宣伝がそれなりの音量でリビングに響き渡り、甘いというよりクサい気障な台詞と如何にもなメロディに、利玖は一瞬手が止まった。


 ぞわっとする、という言葉が一番当てはまる。背中一面の産毛が逆立って、血液のすべてが脳の後ろを燃やし、顎のあたりに嫌な唾が溜まる。

 恋愛系の、似たり寄ったりで容姿の整った男女が恋愛を演じている、という事実が抑々心理的に受け付けないのだ。おまけに濃密な画を見せられたりすると、反射的に謝ってしまいそうになる。


 それもまだ一人のときなら耐えられるが、実家暮らしだった頃など地獄の時間でしかなかった。

 共感性羞恥という言葉を紅花に教わった際には、やっと自分の戸惑いに正しい言葉を貰った気分で安堵したくらいだ。


 朔也が全くテレビになど目線も意識を向けずに、最近嵌っているらしい画集を寝転びながら見ていることに救われる。どう考えたって、他人のキスシーンよりモネの描く睡蓮の方が美しいに決まっている。


 十秒に満たない番宣が終わると同時に、直ぐに夕方のニュースらしい、家庭的な特集が始まる。


「朔」


 声をかけると、彼は予期していたように穏やかな仕草で此方に目線だけを寄越した。アイライナーがくっきりと描く大きな瞳が、薄暗い室内で光るように輝いている。


「帰らなくていいの?」


 彼は夕方に姿を見せて早々に、明日、大学の小テストがあるので泊まらないと宣言をした。

 以前置いて行った画集を取りに来ただけだ、と。そんな彼をお茶くらい飲んでいくよう誘い、紅花に貰ったフランスの老舗ブランドのブレンドティーを出した。

 朔也は風貌のせいか紅茶やティーカップがチャームポイントのように似合うけれど、彼自身は繊細な性格とは裏腹に行為そのものはがさつなので、時間を計ってティータイムなど絶対にできない。


 そのくせやはり似合うから、利玖が世話を焼いてしまう。雅のように出される紅茶への感想やカップへの称賛などもないが、朔也に言葉は求めない。よくよく見れば正直な男なので、表情から大抵の感情は読み取れる。


「もうすぐ、雨が降りそうだな」


 返事にならない言葉を口にして、彼は膝立ちで窓の傍に寄った。


「え、そうなの?」


「雨の匂いがする」


 そういって一瞬、彼の視線が落とされて右腕をなぞっていたけれど、それには気付かないふりをした。


「匂い、ねぇ」


 朔也の特技の一つだ。匂いで天気や気温を察知する能力がそれなりの正答率を誇る。

 

 彼の隣で窓に顔を近づけると、確かに湿り気を帯びた冷たい空気が、室内の生ぬるい空気と交ざり合っている。


 朔也は他人の気持ちを推し量るのはあまり上手ではない。生来的に考え過ぎるきらいがあるから、快楽主義者や条件反射で動くタイプとはウマが合わないらしく、疎んじている部分がある。

 その最たるものが子供たちであり、それも大人数で押しかけては甲高い声でやんややんやする姿を見るや否や、二階に籠城してしまい、機嫌が悪い時は自分の家に帰ってしまう。


「ふっ」


 思い出し笑いが零れた。

 怪訝、というよりも異物でも見る眼付きでこちらを見上げてきたので、その長いまつげに触れない程度に目を覆った。


「今日さ、女の子たちのコイバナに付き合わされちゃって」


 朔也が虫を払うよう要領で手を払ってきたのを大人しく受け入れ、膝を崩す。窓際の空気が思いのほか、気持ちがよかった。


「子供のときって、その人の本質的なものを好きでいればいいのに、大人になると条件と打算と妥協で精査してから人を好きになるんだよね。小学生の好きなんてすぐに消えていくものだけど、気持ちの純粋さは大人よりずっとまともで綺麗だなって思った」


 好きなタイプ、なんて一丁前な議題で論争を始めたのは、常連になりつつある小学三年生の三人組だ。クラスが同じで、毎朝一緒に登校していると仲の良さをみせつけてくるが、その関係性は子供特有の、もっと言えば女の子同士の危うさに塗れていた。


 別々の習い事をしていて、それらの話になると誰かが機嫌を損ねるところを見るに、彼女たちにはすでに女としてのプライドが備わっている。


「利っくんは好きな人いるの?」


 高い声で聴かれて、利玖は苦笑をした。

 呼び方も、尋ね方も、無邪気さも、彰葉を想起させた。


「どうだろう?」


 はぐらかすつもりはなく、ただはっきりとした答えを口にした場合に呼び起こされる論争がありありと想像できると、心の何処かで冷静な自分がストッパーとなった。


「カノジョがいるよ。利っくんイケメンだって、ママが言ってたもん」


 彼女の意味もイケメンの定義も知らない唇が何のためらいもなく動くものだから、利玖の方が無意味にどぎまぎしてしまった。

 この勢いだと、ママが、学歴がないとかチャラそうと口にしていても、おそらく筒抜けになる。子供の素直さで聞いてしまったら立ち直れないので、本当の陰口で済ませてくれていることを切に願う。


「私のママも言ってた。かっこいいって」


 この子たちの美醜の基準が親の物差しであることに微かに安堵すると同時に、大人のそれもたいそうあてにならない。 

 

 居心地が悪くなった利玖は、三人に好きな人はいるかと話をふっかけ、それぞれの好きだという相手の話を聞いていた。好きな理由は足が速いなんて聞くと、小学生だなと思わずにはいられなかった。


「俺も、好きなタイプは誠実な子、とか言ってみたい」


 利玖は空を見上げて呟いた。条件が明確な数字で頭に浮かぶわけではなくとも、きっとどこかに最低ラインを作っている自覚はある。 


「そりゃ、ガキは共に生きていく覚悟がいらないからな。打算的とはいえ、金にしたって、容姿にしたって、生活能力にしたって、理にかなった基準だろ」


 容赦なく話を分断されて閉口していると、彼はそっと笑った。


「難しく考えるな。お前が今すぐに結婚相手を求めているなら憂いていようが喚いていようが止めねーけど、お前が求める条件に左右されずにお前への好意だけで此処に来る奴らがこれだけいるんだ。

それとも、お前はそれらも打算的だと危惧してるのか?」


 いつもと立場が入れ替わったような問いを投げかけれ、利玖は首を振った。


 話の論点をとても上手にすり替えられたことは当然わかっている。感情的なものを何一つ前進させることなく、理論的に置かれた状況を再度認識を深めただけだ。何も、利玖が微かに感じ取った説明のつかない漠然とした哀愁と困惑と憧憬とを、彼は何一つ満たしてはくれなかった。


「でも、一番大事にされることに意味がある瞬間って、絶対あると思う」


 誰かの二番手に甘んじてしまえば、すべてを委ねることは不可能になる。


「その順位付けって、日経平均株価レベルで変動するだろ」


 呆れた、と言いたげな顔で新聞を顔の前に突き付けられたので、流石の利玖も一瞬の悪意を感じ取ったが、ここで不用意な言い争いは避けたかった。


 抑々この類の話に朔也が一切乗ってこずに論破を試みてくるのは、ひとえに彼が諦めているからだ。

 

 いつだか紅花が言っていた。

 不協和音解消型のようなもの、と。


 消費者心理の一つだという。買ってしまったものに対し浮かんでくる不安や不満を自分自身に納得させ、不協和音を押し殺すことを指す言葉、と。


 誰かとレンアイをするつもりもなければ、誰かと共に生きていくつもりもないから、他者と過ごすデメリットを論うことで自分自身を納得させている、と。


『手に入らないブドウは酸っぱいと思うことが心を救うのよ』


 その日の彼女は白を基調にしたフレアのワンピースを着ていた。小さなドットが散らばった腰位置の高いワンピースに赤いベルトをして、履いていたのも赤いハイヒール。

 彼女が手に入れないものなどあるのだろうか。うっかりそんな問いを口にしてしまいそうになり、慌てて口をつぐんだ。


『逆ももちろん、あるけどね』

 

 あのときの話の矛先は蓮だった。朔也同様、この手の話を一切好まない男。


 蓮と朔也の無関心の性質は似ているけれど、根底に持っている物はかなり違っている。

思想は似ているくせに思考回路は全く異なる。

 だから彼らは、ウマが合わない。


 朔也の手から新聞を回収する。一瞬触れた指先が想像よりずっと冷たくて、利玖は苦しさを覚える。

 目が合うと、彼は生真面目な瞳でこちらを見ていた。

 彼に恋愛が向かないのは、実はものすごく不器用だからだ。


「とりあえず俺は、雅のウエディングドレス姿を見ることが人生の目標なんだけど、どうだろう?」


 新聞紙の大きな見出し。また、政治家が欲に塗れた汚職事件を起こし、国会で苦しい詭弁を並べている。昼のワイドショーでは名ばかりの専門家が擁護を繰り返し、ネットニュースになっては指先の紛糾で溢れかえる。


「きもい」


 やはり容赦のない一言で話を打ち切ると、朔也は立ち上がった。左手に画集を抱え、右手で髪を梳いた。


 黒いVネックから覗く首につけられた華奢なネックレス。小さな二連のフープが複雑に絡み合っている。小さく光を拾うのは、おそらくダイヤがついているせいだろう。

 実家の裕福さを示すように、彼は豪奢なアクセサリーを沢山持っている。

 どれも驚くくらい身体に馴染ませているところを見るに、彼との距離感を詰めるにはまだ、時間が必要になりそうだ。



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