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マンスリーイベント

今日は朝から客が途切れずやっと休憩時間をとれると思ったら、既に午後の開業まで三十分しかなかった。

 昼に一時間休み時間として店を閉める様にしているとはいえ、最後の客がずれ込むことはよくあることだった。


 これが一人で仕事をすることの利点でもあり、欠点でもあった。一人は気楽で自由な反面、常に気を張らなければならない。


他者を頼る美徳、というものを、紅花は考える。

協力とか、肩を借りるとか、そういうものに魅力を見出すと、結婚という場所に行きつくのだろうか。


今年で二十八になる。

適齢期、というやつが迫っているのはわかるし、それを片意地張って否定するつもりはない。

だからといって、自分がその気になって様々な感傷や好奇心に蹴りをつけられるかどうかというと、まったくの別問題だった。


それに、どうせ、私には向かない。

紅花は自分が結婚というものに魅力を感じないことを、所謂家庭の事情というやつに起因させるつもりはない。

ただ昔から、外面だけで世渡りしてきた自覚と共に、その性が大事な誰かを守ることに全く結びつかないことを知っているだけだ。


 お手洗いを済ませて隣の控室に行くと、彰葉が長いソファに身を丸めて寝ていた。

 いくら合鍵を渡しているからといって、何の連絡もなしに潜り込んで、地下のせいで昼間でも薄暗い室内で電気もつけずに居座るのは、彰葉だけだろう。同じように鍵を渡していても、蓮がやれば通報案件だ。


「秋月」


 名前を呼ぶと、彼はすぐに目を開けた。

 

「お疲れ」


 アイラインを引いたようにくっきりとした目をぱっちりと開き、彼はにっこりと笑った。

 胡散臭くて、見てられない。


「何してるの?」


「暇つぶし。二時から出勤なんだ」


 彼は身体をゆったりと起こし、隣を二度たたいた。

革張りの、ちょっといいやつ。

座れということらしい。


「紅茶入れましょうか?」


 欲しいという返事が返ってくる前に、ポットに水を注いだ。

 

「いい服着てるわね」


 薄手の黒いニットは無地で、胸元は緩いVネックだった。袖口も腰回りもかなり余裕があるところを見るに、おそらく蓮の服を勝手に着てきたのだろう。


「これね、俺が選んであげた。最初は高いとか言ってたくせに、買ったら買ったで使い勝手が良かったみたいで、最近よく着てるよ」


 普通、他人の服というのはよほど趣味が重ならなければ取り入れにくいものだが、彰葉の場合ファッションにあまり一貫性がない。というか、要するに拘りがないのだ。センスは悪くないが、彼らしいファッション、というものは出会って三年たった今も、掴めていない。

 彼は利玖のところに行けば利玖の服も借りるし、あの朔也の服にだって平気で手を出す。

 節操もないし、自愛の心が全く見受けられない。


「小さな嫌がらせをしているのね」


「着たきゃ、取りにくればいいよ」


 横暴ね。

 言おうとして、辞めた。

 この二人の関係は複雑すぎて、安易なことを言うと面倒なことになる。


「でもちょっと、似合ってるわよ」


 履いているスキニージーンズは自前だから、ニットの緩さによって余計に足の細さが際立つ。

 髪を触る小さな手には、いくつもの指環が光っている。

 強いて言うなら、彼は装飾品をやたらと付ける癖がある。

指環、ネックレス、ブレスレット、時計、イヤーカフ。

国際線に乗るときは面倒そうだ。


「ありがとう」


 知っていると言いたげな笑顔だった。


 彰葉の魅力はわかりやすい。

天真爛漫な雰囲気は見た通りで、表情で喜怒哀楽をきちんと語るところも取り繕わないから、露骨だけれど誠実に思える。


「あなた昨日オフだったんでしょう?何していたの?」


 沸騰したお湯でアールグレーを出すと、直ぐに芳醇な香りがしてきた。茶葉は抑々が乾燥しているのだから新鮮という言葉が当てはまらないのに、瑞々しい香りがする。


「お昼に朔也くんの家で映画見て、夜は先輩の家に泊まった」


「だから彼の服を着てきたのね」


「そういうこと」


 華奢なティーカップを彼の前に置く。隣に腰を下ろすと、さっきまで彰葉が寝ていたせいで生暖かい。


 ずっと待っていたんだなと思うと、彼に対する憐情に近い愛情を感じる。

店をクローズする時間を狙って裏口からここに入り、紅花が戻ってくるのを物音一つ立てずに待っていたのだろう。


「映画見たんだけどさ、変な映画だった」


 カップには手を付けず、もう一度寝転ぶように身体を倒し、紅花の肩に頭を預けてきた。


「どんな?」


 朔也の好きな映画、と聞いて最初に思いついたのが、モノクロの名作だった。

彼の性格からいうと、映画に必要なのはストーリー性よりも光る言葉と上質な映像美だろうと勝手に想像したので、彰葉の言ったタイトルに思わず聞き返してしまった。


「神崎くんも、意外とお花畑なもの見るのね」


「でも、なんかわかるなぁって思ったよ」


「そう?」


 彰葉の髪を撫でる。細いのにまっすぐ伸びた、艶のある髪。


「勝手な想像だけど、朔也くんは小説の主人公には自分を重ねがちなんだと思う。朔也くんが読むのって、頭のいい人が書いた小難しい小説が多いでしょ。内面を緻密に描いた繊細な物語には、きっと共鳴する部分が多いんだよ。俺にはわからないようなね」


「まぁ、否定はしないわ」


文豪の作品は刺激がほしいというより、深層心理的に共鳴を感じるもの、という見立てには頷く。


「でも、映画って、演じる人が明確に目に見える分、一人の独立した人間が存在するから、自分と重ねる部分がほとんどないんだと思う。ストーリー仕立てなトラブルなんて、現実にはそうそう起こらないしね」


 淡々と、彰葉はまるで、それこそ共鳴でもしているように語った。


「彼にとって、ドタバタした物語はきっと、現実逃避の一つなんだと思う。明るい現実逃避って感じ?」


 紅花はなんだかすっかり感心してしまい、当然彰葉の見立てに過ぎないにもかかわらず、それこそが真理な気がしてしまった。


 こういう妙な鋭さは彼の性質というよりも、磨かれてきたものなのだろうなと思う。

 だから刃先が鋭利で、誰彼構わない乱暴さを持っている。それなりの見てくれに騙されると、酷い目にあう。


「でも、秋月は、お気に召さなかったの?」


「そんなことないよ。全体的には明るく突っ走っていたし、努力で世界が変わるんだったら、努力に意味が出るよね」


 ちょっと皮肉っぽい科白であることに、彼自身は気付いているのだろうか。


「じゃぁ何が意に添わなかったの?」


 根気強く尋ねる。

 今日の秋月は回りくどく、ねちっこい。言いたいことをはぐらかすように転がす口調、普段はしない。


「冴えない主人公がさ、ずっと好きだったマドンナと最後に結ばれるわけよ。その時に、ずっと自分を見ていてくれたって科白を吐くわけ。そんなことって、ある?自分をずっと好きでいてくれたからって、好きになれるもの?」


 眉を顰め、彼は嫌な顔をしていた。

不機嫌な癖に論理的なところは、非常に扱いにくい。


「まぁ、それだけで好きになることはないと思うけど。でも、ずっと自分を見てくれる人なら、これからだって自分を好きでいてくれるわけでしょう。誠実には思えるんじゃないかしら?」


「そこなんだよ」


 彰葉が勢いをつけて身を起こす。軽い身のこなしで、探るように窺う瞳は蠱惑的だった。


「誰かを思い続けるって、美徳なの?」

 

 枯渇した感情を理由に誰かの重荷になることが許しがたいことだとしても、愛情が多角的なものだと知らない彼に、それらしい言葉は向けたくなかった。


 彼の中に沈殿した悔恨と怨念に、紅花は優しい悲しさを感じる。

 それこそ、甘美な作品を見ているような、第三者目線。


 蓮は今日、母親の墓参りに行っている。






 

 電車で揺られること二時間。

 神奈川県の外れ。

 生まれ育ったのは横浜とかけ離れた田舎町だった。


 蓮は平日の空いた電車の揺られながら、何をするでもなく外を眺めていた。

 暇つぶしにしようと読みかけの小説もかばんにある。まだ時間があるから寝不足の身体を休めてもいいけれど、目は冴えてしまって、そのくせ何かを考えるには意識に靄がかかったように曖昧だった。


 電車を降りてバスの時間を調べ、駅前のさびれたカフェでコーヒーを飲んだ。色も味も薄く、グラスを日にかざせば向こう側が透かせそうなくらいだった。


 バスも三十分と長い。

 電車よりさらに人の少ないバスには、駅前に買い物で来ていたらしい人たちが両手に荷物を持って数人、ぽつりと座っていた。


 今時、月命日毎に墓参りに行くなんて。

 そのあとに続く言葉、口にしなくても考えていることは、人によってかなり変わってくる。

 利玖や雅の受け止めようとする素直な反応、朔也や紅花の深入りを好まない無関心な反応は想定通りのものだ。

 抑々、蓮が自分の都合でとった休みに何をしていようが彼らからすれば知ったことではないだろうし、蓮もまた特別報告することもない。

 

 しかし、彰葉だけは別だった。

 彰葉はこの月一の行事を好ましく思っておらず、そのことを勿論口にもするし、前日は決まって蓮の家に来ては車上荒らしの要領で蓮をかき乱していく。

纏めていた鞄から荷物を抜き取られていたり、ブレーカーを落とされたり、目覚まし時計を止められたり。小さな悪戯の延長とはいえ、あまりに露骨な宣戦布告だ。


 その昔、一度だけ蓮の方が下手に出たことを、彼がいつまでも免罪符にしていることはわかっている。


 絶対に認めないだろうが要するに、彼は嫉妬をしているのだ。


 一見、蓮への執着にみせ、もしもそうならば扱うのもそこまで難しくはないと思うけれど、彼の場合、もっと根底にある歪んだ自己自認のせいで、あの態度をとっている。


 子供だ、と思う。

 墓参りを幸福への捷径として行っていると、本気で思っているのだから。

 過去の幸せを温め直していると本気で信じているのだから。


 彰葉の精神年齢は高校生で止まっている、と思うのは、単純に高校時代の彼に感じた未完成な部分が、未だに補われていないせいだろう。


 そんな未完成な彰葉を見ていると苦しさを覚え、同じくらい自分が救われる気がする。

 

 彰葉が、もう蓮が習慣にして五年もたった行為に未だに真っ向から対立してくるのと同様に、蓮もまた彰葉に譲ることができない。

 それでもこうして少しの後悔と一抹の不安を誤魔化して此処に来れるのは、紅花の存在があるからだ。


 この件に関して、この件に限らずだけれど、彰葉の感性に近いのは蓮よりも紅花の方だった。

 

 彰葉が蓮に懐いたのは、その対照的な性格が彼にとって居心地よく見えたからだろう。

 高校時代ははるか昔のことになった今でも、あの日々を時々思い出す。


 母親のお墓があるのは山奥の小さな寂れたお寺で、それ以前の所謂ご先祖様とやらのことは、蓮にはよくわからない。ありがちな言葉だけれど、見えないものを信じる方法が分からなかった。

 隣に墓石があるから取り合えず、一緒に磨いて、手を合わせる。


 信仰心があつかった母はお盆の時期には必ずここに連れてきたし、初詣も必ず付き合わされた。

 神様に見放されたような人生だったくせに、最後まで幸せだと言い続けた彼女の本心はきっと言葉のままだっただろうと思うと、客観視しようとする自分を酷く冷徹に感じるのだった。


 鞄から、朝作った弁当を取り出して供える。

 蓮は花など持ってこない。

 一輪の花は寂しすぎるし、花束なんて明るさはここにそぐわない。


 そうするしかなかったせいでもあるが、蓮と母親は質素な生活を送ってきた。

 ささやかな贅沢すら遠い子供時代だった。

 でも、幸せじゃなかったとは思わない。

 だから、花は供えない。


 病状が日に日に悪化し、最後は食事もまともに取れなかった母がしょっちゅう言っていたのが、蓮の料理を食べたい、だった。

 昔から手先は器用だった。食費を浮かすための料理も苦にならなかった。

  

 往復六時間でも、ここにいるのは十分程度。

 効率的じゃないと言いたげな朔也の瞳や、よくやるわねと眉に力を込める紅花の意見はもっともだ。


 回収した弁当とお茶を持って、小高い丘のベンチにおろし、自分の分にしては少なめなそれをゆっくり味わう。

卵焼き、唐揚げ、プチトマト、ウインナー。

教科書みたいなそれは、母の十八番だった。

 彼女は思い込んだ何かを最後まで貫く無垢な生真面目さと、朗らかで優しい感性を持っていた。

だから、しょうもない男に引っかかるのだ。


 雨雲こそないが雲が多く太陽は中々顔を出さず、墓参りはしやすいけれど、ピクニックには恐ろしく向いていない気候だ。

山奥は特に空気が冷たいし、風も強い。

引っ掛けてきたジャケットの襟を立てる。

ついこの間初夏の明るさが届いたと思ったのに、春先に逆戻りしたように肌寒さを感じる。今年の天気はあっちに行ったりこっちにいったりと忙しなく、捉えどころがない。


 静かに箸を動かしながら、味気ない気がするのは何故だろう。

 自炊はしなくなった。

 仕事の都合もあるけれど、面倒だと感じることが増えた。

 

 蓮の周りの人間は、蓮をマメな男だと買い被っている者が多い。

実際は几帳面で器用なだけなので称賛の言葉をやんわり否定しても、もちろんそれは謙遜としてしか捉えてもらえなかった。


 細やかな愛情。

 そんな女性的な性質、自分には全く必要がない。







 開店準備のテーブル拭きは正直、好きな作業ではない。昨晩拭いた後は特に使用していないテーブルには勿論埃一つなく、もう一度拭き直す必要は感じないのだが、そう進言する彰葉は大雑把といわれるだけだった。

 

 仕事と割り切れば苦になることもない。

 清潔な布巾でアルコールを噴射したテーブルを大きく撫でるように拭いてく。噴射する度にアルコールの尖った匂いが身を包むのを、息を止めてやり過ごす。

 

「秋月さん、機嫌悪くないすか?」


 同僚に当たるアルバイトの松井に言われ、彰葉は振り向く。

松井は背が高くて顔が小さい。明るい髪も毛先を遊ばせていて、眉もきちんと整っている。

時代の流れに乗った一軍の男であり、本人もその自負からか人当たりが生々しく軽い。

 

「ちょっとね」


 大学三年生になったと言っていたから、彼は朔也と利玖と同じ年ということになる。

 そう思うと、言葉の浮薄さや容姿の垢抜け過ぎた感じが彼を軽薄に感じさせ、近寄り難さを覚えるのだが、向こうは勿論そんなことは気付かずに愛想よく話しかけてくる。


 その根の明るさもまた、彰葉は好ましくなかった。


「何かあったんすか?」


 にやっと、如何にも人の不幸を味わおうとする横顔に一瞬嫌悪感を抱き、


「面白くないなって思っただけだよ」


 にっこりと優しく微笑んで見せる。

 年齢よりも幼く見られがちな自分の容姿を、彰葉は使い勝手がいいと思う。

 少なくとも、こういう嫌らしい相手をあしらうのにはうってつけだ。


「どういう系ですか?」


 悪気のなさそうな表情で傷跡をほじくり返す。

 悪気がないって誰も得しないよな、と思うと気が塞ぐ。

 誰しも自分は間違いを犯さないと思っているし、自分の正義は世界共通だと信じている。

 まさか自分の言葉が、誰かにとって重荷になったり瑕疵になったり、トリガーになったりしているとは思ってもない。


予想はできない。

だから責めない方がいい。

無神経だなんて相手を詰らない方がいい。

きっと自分も同じことをしている。

わかってる。


「松井くんは彼女いる?」


「え?いますけど」


 テレも、デレも、余裕も見せない。


「じゃぁ、話さない」


 ふいっと、まるで機嫌を損ねた風を装って踵を返し、隣のテーブルにノズルを向ける。


 背後に感じた優越感がどんな大きさであれ、彰葉が望むものでは全くないのだから、気には留めない。


 少し腹は立つけれど。

 彼女がいることが自慢なら好きにすればいい。

しかし、彰葉にいないから自分の方がマウントをとれていると思っているなら、心外だ。


「なんか意外ですね」


 まだ言うか。

 半ば意地になって、何がと聞き返した。手は勿論、動かしながら。


「秋月さんって、そういう面には無頓着そうだから」


 下世話なくせに鋭いのは女の特権だと思っていたが、男はそれを隠す気もないらしい。


「それに、困んないでしょ、相手に」


 この小生意気な口調も、正直好きじゃない。

 年下とはいえ朔也や雅の軽口や砕けた口調は心の距離に比例したものであり、仕事の雑な後輩に馴れ馴れしくされるのは嫌いだった。


「そんなことないよ。俺、受けが悪いから」


 にっこりとして言うと、彼はそれを謙遜と受け取り、


「女が秋月さんを選ばないんじゃなくて、秋月さんのストライクゾーンが狭いんでしょ」

 

 鋭いと言えば、鋭い。

 見当違いと一蹴することもできなくはないけれど。


「ま、佐野さん見慣れてちゃ、そうもなりますよね」


 床を拭くモップをカーリングのストーン並みに軽く滑らせながら、彼は大きな声を出した。


「あれが男に受ける女だと思ってるなら松井くん、悪趣味だよ」


「そんなこと言ってるから秋月さん彼女出来ないんですよ」


 言ってくれるじゃねーか。

 お前の彼女がどれ程のもんじゃ。


 と、頭に血が上りやすいのは悪い癖だ。


 蓮に高校時代から何度も諫められてきた。

 だから、蓮にだけ言うようにしてきた。


「あと、あの、たまーに来る、銀髪の綺麗な人。最初イケメンな女性だと思ってました」


「朔也くんね」


 銀髪の綺麗な人。

 ちょっと、綺麗な響き。「綺麗な」という形容詞が、「銀髪」と「人」のどちらを修飾しているのかは、わからないけれど。

 

「本人にはちょっかい出さないでね」


「そういう雰囲気の人じゃないのはさすがにわかります」

 

 そうこう言い合っていると、松井がバックヤードにいたマスターに呼ばれた。


 やっと一人になり、彰葉は手元の作業に集中しながらも、感性が過敏に研ぎ澄まされていくのが自分でもわかった。


 今月こそは、という期待を何か月も、何年も続けている。

 いつか蓮が、今月はもういいかなというのを、彰葉は待っている。

 別に実害はないのだから、文句を言う立場じゃない、という意見はもっともだ。


 正直に言えばここまで意地になっている理由が、自分でも掴めていない。

ただ、全身が粟立つ。

薄暗い非常階段の薄気味悪さとか、客の残した残飯を処理しているときの嫌悪感とかに似ていて、漠然としているけれど一向に慣れない感覚。


それに。


最後のテーブルを拭く。二人掛けの丸い、小さなテーブル。小さな傷が端っこにあるけれど、ぱっと見ではわからない。


蓮の後腐れのなさそうな、自立心の強そうな、感性の薄そうな雰囲気に惹かれたのに、まさかあんなに神経質で面倒な男だとは思わなかった。


 俺にそんな姿晒すなよ。

 そんな姿晒すくらいなら、もう二度と出会わない選択肢だってあったのに。


「よし」


 全部のテーブルを磨き終え、屈んでいたせいで疲れた腰を伸ばす。


 蓮と出会って八年。

 再会して三年。

 あの人は変わらないけれど、俺は変わった。

 

 捲っていた制服のシャツを伸ばし、ため息をこぼす。

布巾を取ったときに落とした視線の先に、自分の手を見つめる。外した指環三個分の跡がまだ、しっかりと残っていた。


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