28.「見つけてもらえて、うれしかった」
まばたきひとつの間に、ぱちりと視界が移り変わった。
雨の音はもう聞こえない。周囲に広がるのは暗く冷たい闇ではなく、暮れかけた陽射しに包まれたすこし暑いくらいの、ほこりっぽい町だった。
遠く、祭りの喧騒が耳に届く。
楽しげな声を聞きながら、目の前にあるアネモネの金の瞳が、ゆるやかに光を散らして黄色に戻っていくのを眺めていた。
「イクサ、伝えるのが遅くなってごめんね」
そっと額を離したアネモネが、申し訳なさそうに眉を下げる。
やっぱり、さっきの光景は彼女が見せたものなのだろう。ディーエが言っていた東国の王家に生まれた黄色い瞳が特別だという話を思い出す。
謝る彼女をかばうように、すこし離れて立つウォルフがくちを開いた。
「俺が秘匿するように言っていたんだ。どこから話が漏れて、東国に伝わるかと危惧して」
「うん。そう。ウォルフが言って、わたしが秘密にすることを選んだの。だから、ごめんね」
こっくりうなずいたアネモネは、まっすぐにイクサを見つめて謝罪を繰り返す。
この瞳に見つめられて、ウォルフは見ず知らずの赤ん坊を育てる決意をしたのだろう。迷いも不安も抱えたまま、頼るひともいないこの町で幼児と赤ん坊をも抱え込んだのだ。
「……名前、アネモネじゃなかったら知らないままでいたから。ふたりに見つけてもらえて、うれしかった」
ウォルフの子育ては欠陥だらけで、イクサはずっと自分がさみしいと思っていたことさえ気がつかなかった。だけどそれはイクサがそうそうに色々なことを諦めて、声をあげなかったせいでもあるのだ。
「拾ってくれてありがとう。途中で放り出さないでくれて、ありがとう。墓守の家で暮らすの、楽しかったよ」
笑顔のひとつも見せられればいいのだけれど、あいにくイクサはそういう器用さを持ち合わせていない。
へらりとゆるませた顔でも、ことばにした通りの感謝の気持ちを抱いていることが伝わるといいのだけれど。
無理だろうか。
イクサが自分自身にほんのすこしがっかりしたとき、アネモネが黄色い瞳を細めてほほえんだ。
「わたしも、イクサがいて良かった。ウォルフと三人で家族になったみたいでうれしかった。あ、デイジーとタイムが来てからは、五人家族になったみたいでとってもにぎやかだったもの、ね?」
ぽんと手を合わせて付け足したアネモネが、ウォルフを振りあおいで笑う。
顔を隠すことをやめたウォルフは、後ろに流した髪をがしりとかいて疲れたように眉を寄せた。
「そうだな、あのふたりは騒がしい。イクサははじめから静かでおとなしかったというのに」
「ウォルフ、いつも言ってたものね。イクサは手がかからなくて助かる、って」
にこにこ笑うアネモネも、王家に生まれて森のそばに暮らして、子守りを目にする機会などなかったのだ。
ーーーこのふたりだけで暮らしてたら、デイジーもタイムもまっとうに育たなかったかも……。
実際、子どもたちを引き取ったときに世話をしたのは主にイクサだった。アネモネは食事を用意し、ウォルフはふたりが森の奥に行かないように言っていたが、そのほかはなにも強請られなければ放っていた。
それを思うと、すこしでも役に立ちたくて町に働きに出て、子守りでもなんでも身につけてきた自分をすこしだけ誇れるような気がした。
「今ごろ、預かり先の家でも騒いでいるかもしれん。早急に回収せねば」
眉間にしわを寄せたウォルフが言ったとき、進行方向で「あ!」と声があがった。
目をやれば、見知った少年が笑顔で駆けてくる。
「イクサ! 仕事さぼったのか? それにウォルフとアネモネも、やっぱり祭り見に来たんだな!」
「タイム、この馬鹿者!」
うれしそうに言ったタイムの頭に、ウォルフの拳が落ちた。「んぎゃっ」と悲鳴をあげたタイムの頭を片手でわしづかんで、ウォルフが目をつりあげる。
「黙って抜け出すなど、そこまで愚かだとは思わなかったぞ! 無事イクサに会えたから良かったようなものの、デイジーまでともに連れ出して、万一があったらどうするつもりだ!」
「あだだだだだ! だって、町に行きたいって言っても、ウォルフゆるしてくれねえじゃん! 話も聞いてくれねえし、理由も教えてくれねえし。ウォルフのケチ!」
「ぐぬぅ……!」
頭をわしづかれながらも反論するタイムに、ウォルフがぐっとことばに詰まる。きっと、祭りに行きたがるふたりに「だめだ」「無理だ」「あきらめろ」と取りつく島もなかったのだろう。簡単に想像ができる。
「デイジーがつれてって、て言ったの。タイムだけがわるいんじゃない、ね?」
タイムの後ろから駆け寄ってきたデイジーが、ウォルフの脚にしがみついて彼を見上げる。
「む……」
「おや、何でも屋。もういいのかい」
デイジーに見つめられたウォルフがくちをへの字に曲げたとき、タイムとデイジーが駆けてきたその後ろから、老女がのっそり姿を現した。
町の外れ、丘のそばに住むイクサのお得意さんとも言える老女だ。杖を片手にゆっくり歩いてくる彼女に駆け寄り、イクサは頭をさげる。
「ありがとう。きょうは助かった。でも、どうしてここに?」
「ペンキ塗りも終わったし、やることもなくてね。散歩がてら、祭りでも見物してみようかと思ったんだよ」
ことばを切った老女は、ウォルフとアネモネに目をやってふん、と息をついた。
「親ってわけじゃなさそうだが、引き取ったならきちんと面倒みな。子どもの言うことを全部聞くこたないがね。駄目なら、駄目な理由くらいきちんと話してやるんだね」
「むぅ……! 善処する」
「はい。お世話になりました」
老女の手厳しい物言いにウォルフはぐっと眉間のしわを深くしながらも、こくりと頷いた。
その横で、アネモネもぺこりと頭をさげる。
「それじゃ、年寄りは帰って休むことにするかね。タイムもデイジーも、もう勝手にうろうろするんじゃないよ。はぐれると面倒だからね」
「はーい! ばあちゃん、またな!」
「また来ても、いい?」
言いたいことを言った老女がくるりと踵を返す。丸まったその背中に向けて、タイムが手をふりデイジーがちょこりと首をかしげた。
少女の声に、老女が足を止める。
「ひとりで家にいるばっかりですることもないからね。いつでも構わないよ。でも、次からはちゃんと許しをもらって来るんだね」
「うん!」
「おれも行く行くー!」
返事に飛び上がって喜ぶ子どもたちをちらりと見て、老女はまた歩き出す。
杖をつき、一歩一歩確かめるようにゆっくりと歩く姿を見てイクサは老女に駆け寄った。
「家まで……」
「いらないよ」
送ろう、と言うより早く老女がひらひらと手を振った。
「ゆっくり散歩したい気分なんだよ。あんたはさっさと祭りでもなんでも見にいっといで。ほら、待ってるよ」
言われるまま振り向けば、ウォルフのとなりでタイムが飛び跳ねながら手を振っている。その横ではアネモネと手をつないだデイジーがじっとこちらを見つめていた。
四人の姿を眺めて立ち止まっていれば、老女がくすりと笑う気配がした。
「また、手があいたときにでも草むしりを頼むよ。じゃあね」
ぽん、と背中を押されたイクサはふらりとウォルフたちに向けて歩き出す。
数歩、進んで足を止め、振り向けば老女はさっさと来た道を戻っているところだった。
「……ありがとう」
きっと届かないだろう、そう思いながらもつぶやかずにはいられなかったことばは、イクサの耳にじわりと響いた。




