24.「ナナン、お帰り」
彼女のためだけにあつらえたドレスをまとい、着飾ったランタナを従えたエリスアレスは妙に迫力がある。
イクサとそう歳が変わらないはずだが、さすがは町長といったところか。
けれど対するエールメリアもまた、目が笑っていないエリスアレスを正面から見返して堂々とほほえんで見せた。
「あら、チロック町長ごきげんよう。貸していただいた蒸気三輪車、とても楽しゅうございました。あんまり楽しいものですから、すこしはしゃいでしまいましたわ」
「まあ! 喜んでいただけたようでなによりよ。はしゃいで約束の時間をお忘れになるなんて、東国の長さまもそんなうっかりをなさるのねえ」
うふふ、おほほと笑い合うふたりをながめていると、エリスアレスの横に立つランタナの腕から、青い毛皮の塊がぴょいと飛び降りる。
ととと、と軽い足取りで駆け寄ってきたナナンが、イクサの肩に飛び乗った。
「ナンナーン」
「ナナン、お帰り」
すり寄ってくるふわふわの体のぬくもりが、イクサのすかすかしていた胸にじわりと染み込む。
いつもよりスキンシップの多いナナンを不思議に思いながらも、おとなしくすり寄られながらナナンの首元をなでる。
「ナナンが懐いたのって、お前だったのか」
ディーエが驚いたような声をあげた。
そもそもナナンは人懐っこいのに、なにを驚いているのかと首をかしげたイクサの代わりに、なぜかエリスアレスが胸を張る。
「そうよ。ナナンのイクサへの懐きようはなかなかのものよ。お送りした手紙にもそう書いておいたでしょう?」
手紙に書いた、とは初耳だ。いったいどんな書き方をしていたのか気になるところではあるが、そこは町長の仕事だ。イクサが首を突っ込むところではない。
明らかに艶の増しているナナンの毛皮をなでながら眺めていれば、エールメリアが感心したようにほほに手をあてて息を吐いた。
「失礼ですけれど、誇張されているのだとばかり思っておりました。ナナンの仲間を送ったほかの土地では、懐かないどころか逃げられてしまったところもございましたから」
逃げた、と聞いてエリスアレスの笑顔がほんのすこしだけ強張る。
それに気が付かず、ディーエがうんうん、と頷いた。
「そうそう。ナナンは信頼できないやつのいるとこには長居しないからさ。ナナンが逃げないかどうかで、交友を持つかどうか決めてるんですよ。チロックはちいさいけど、自信満々にナナンが懐いてるって書いてたから本当かなあ、って思ってきてみたけど」
にぱっと笑ったディーエがナナンに目をやる。ナナンはきょとりと彼を見て首をかしげると、豊かな尻尾でイクサの肩をぱさりと撫でた。
そばに行きたい、と促されているような気がしてディーエのほうに歩み寄れば、ナナンはディーエの顔を見上げてふんふんと鼻を鳴らす。
「ンナー」
ぱさぱさ、と尻尾でディーエの肩を撫でたナナンは、イクサの肩のうえで丸くなった。
何を言っているかはわからないが、満足したらしい。
「おお、懐いてるし、お前もなんか馴染んでるなあ。よっぽど信頼されてるんだな」
「んー? たまたま世話をしてるからじゃないか」
ディーエの感心したようなことばに首をひねれば、なぜかエリスアレスが「そうよ」とまた胸を張る。
「イクサが頼めば歌だって歌ってくれるもの」
「まあ、それは楽しみだわ。東国でもなかなか、ナナンにお願いを聞いてもらえる者はおりませんもの」
嬉しそうに手を合わせたエールメリアが言うと、すっと前に出たランタナがいつの間にか手に持っていたちいさなノートを開いて咳払いをする。
「しかしながら、ナナンさまの歌をご披露いただく機会はまた後日となります。本日はこれより、東国の長さまとチロック町長と並んで町民たちの前で友好の握手をしていただく式典がございます」
「えっ! 昼飯は……」
すらすらと予定を読み上げたランタナに、ディーエが声をあげた。
途端に、エリスアレスがにっこりといい笑顔を見せる。
「昼食は港町でとるよう手配していたのだけれどね。どうしてか、ええ、どうしてかわからないけれど! 本日の予定はとーーーーっても狂ってしまっているから、食事は夕食まで我慢してちょうだいね」
きれいに笑うエリスアレスの目はやはり笑っていない。
「東国よりご同行なさった方々も、別室でお待ちです。エールメリアさまの御髪が乱れていないか、無謀なことをされておいででないかと心配なさっていらっしゃいました」
ランタナが伝えると、エールメリアも観念したらしい。ミルクティーを飲み干すとすんなりと立ち上がり、大きく開かれたままの扉に向かう。
「あーあ、これだけナナンに懐かれる何でも屋さんのお話もお聞きしたかったのですけど。残念です」
言いながらエリスアレスの隣に立ったエールメリアは、くるりと振り向いてぱちんと手を鳴らした。
きらりと光る紺色の目がろくなことを考えていないのは、出会って間もないイクサにもわかる。ディーエも気が付いたらしく「げ」と嫌そうな声をもらしている。
「そうです。何でも屋さんなら、わたくしが雇ってしまえばいいのよ。ねえ、そうでしょう? チロック町長の依頼はわたくしたちの歓迎でしょう? でしたら、それ以外の時間はわたくしが買い上げますから―――」
「あーら、残念ですね!」
名案だ、とばかりに手を合わせたエールメリアをさえぎったのはエリスアレスだ。
隣に並んだ異国の長を見据えて、ちいさな町の町長は堂々と胸を張る。
「イクサが何でも屋をしているのは、町にも彼の手を必要としているひとたちがたくさんいるからよ。そうでなければ、とっくに私が専属として雇いあげているわ」
「まあ、そうなのね」
残念そうにしながらも納得するエールメリアに、イクサは瞬きをくり返した。
エリスアレスが自分を専属として雇いたがっていたなど、初耳だった。彼女にとって自分は、一時の人手不足を補うための何でも屋だと思っていたのに。
信じられない思いでランタナに目をやれば、彼までも深くうなづいている。
「実質、空いている時間のほとんどをお嬢さまの依頼に使用しているのですから、すでに専属のようなものですが。お嬢さまの理想とする町の運営には、イクサは無くてはならない存在です」
ランタナはよく賛辞をくちにする。
けれどそれはエリスアレスやナナン、ちいさな子どもやかわいいものへ向けられるばかりだと思っていた。イクサに対しては、いつだって辛辣なことばを吐いていた。
そんなランタナが、イクサを誉めている。
異国のひとびとを前にしたお世辞かもしれないが、慣れない賛辞にイクサはどうしていいかわからなくなった。
イクサが静かに驚き、戸惑っているうちにエリスアレスたちは時間がない、と慌ただしく食堂を出て行く。
その後ろに続きかけたランタナが、ふと足を止めてイクサの隣に寄ってきた。
さっきのは世辞だ、と釘を刺されるのかと身構えれば、彼は珍しくきりりとした目元をわずかに緩めてくちを開いた。
「東国の方々を見つけてくれて、本当に助かった。我々は式典に行かねばならないが、子どもたちのこともあるからイクサは今日はもう自由にしてくれていい。そのかわり詳細は明日、聞くぞ」
明日は日が昇る前に来るように。
そう言って肩を叩いたランタナの視線はすでにナナンを向いている。
「ナナンさまも、本日は遠方へのご同行ありがとうございました。どうぞ、ごゆっくりなさって疲れをお取りください。明日、ますます麗しい御髪を拝めることを心よりお待ちしております」
「ナーン」
はーい、とで言うように鳴いたナナンに「なんと耳に心地よいお声……!」と目を閉じて震えたランタナは、名残惜しそうにエリスアレスたちの後を追って食堂を出て行った。
手放しでほめられたことが信じられなくて、イクサはそのぴんと伸びた背中を黙って見送るばかりだった。




