22.「アネモネたちは東国に帰るのか」
アーネスフィア。つまり、アネモネがエールメリアの義理の姉。
たしかに、ふたりとも同じ姓を名乗っていた。容姿もよく似ている。
けれど、エールメリアは東国の使者であり、なおかつ東国の長だと言っていた。エールメリアの名を告げたことで港町にある郵便屋の伝達機の向こうが歓喜を伝えてきたのだから、彼女が長を騙っているとも思いにくい。
「あー……じゃあ、アネモネたちは東国に帰るのか」
タイムとデイジーはどうするのだろう。デイジーは預けてきたひとが迎えに来るかもしれない。けれどタイムの親は墓のなかだ。イクサが引き受けてもいいけれど、仕事のあいだひとりきりにしてしまう。
エリスアレスに頼めば大地主のところに置いてもらえるだろうか。
イクサがぼんやりと考えていると、アネモネがゆるゆると首を横に振った。
「ううん、帰らない。わたしとウォルフは、もう帰れない」
決然と、けれどさみしげにアネモネがつぶやく。
ウォルフは何も言わないけれど、腕を組んで俯く彼のまとう空気は、いつもより重苦しい。
「深刻なお話をなさっているところ恐縮ですけれど」
そんな空気をいともたやすく割ったのは、エールメリアだ。
のんびりと楽しんでいたミルクティをソーサーに戻したエールメリアは、アネモネとウォルフに視線を向けてにこりと微笑む。
「帰れますよ」
あっさりと告げられたことばが、食堂のなかに波紋のように広がった。
「……なに?」
ぐ、と身を乗り出しながら押し殺した声をもらしたのはウォルフだ。エールメリアをにらむように威圧感をにじみ出させるウォルフに、ディーエがひらひらと手を振って意識を引きつける
「アーネスフィアさまの命を狙う輩は、もういないってことですよ。あんたも王族の赤ん坊を連れ去った謀反者じゃなくて、正妻に命を狙われた妾の子を救うために地位を捨てた豪傑ってことになってますよ、ウロボルフ」
「それ、は……」
信じられない、と言いたげにうなったウォルフだが、それ以上はことばが続かない。
アネモネも目を大きく見開いているばかりで、声にならないらしい。
ひとり、状況についていけないイクサが四人をぼうっと見ていると、エールメリアと目があった。
「これだけでは何でも屋さんに意味が伝わるわけもありませんね。ディーエ、まとめてちょうだい」
「えっ、俺? えーと……」
急に指名されたディーエは戸惑いつつも、話し出す。
「順番に話そう。まず、アーネスフィアさまは王族の長子だけれど、妾の子として生まれたんだ。その一年後に、正妃の元に生まれたのがエールメリアさま。本当だったら、正妃の子のほうが王位を継承するはずなんだけど、ここで問題が起こった」
ことばを切ったディーエは、アネモネに視線を向けた。彼はアネモネの目を覗き込むようにして、真っ直ぐに彼女を見る。
「その目。王族に生まれる黄色い目は、特別でさ。その目のせいでアーネスフィアさまは妾の子なのに王位継承権の上位に立つことになった。そこで、面白くないのは誰だと思う?」
「あー……エールメリアの母親か。その親族か」
「そう。ご名答」
にぱっと笑うディーエの横に座るエールメリアは、桃色の髪や背格好、目鼻立ちといった容姿こそアネモネとよく似ているけれど瞳の色は紺色だ。
「そんなわけで、エールメリアさまの母君がアーネスフィアさまを亡き者にしようとしたころ。東国は古くから続く伝統ある家の者ばかりが国の中枢にいてさ。俺みたいな平民出の兵士は居心地悪いのなんのって」
「……そうだったな。中でもお前は、気位の高い者に食ってかかってばかりいたから、ずいぶんともめ事を起こしてくれたな」
ディーエに続いて話すウォルフの声には、どこか懐かしむような響きがこもっている。
イクサの知らない過去に、やはりこのふたりは親しい時期があったのだろう。
「ウロボルフ隊長は由緒ある家の出なのに、誰にでも平等に厳しかったよ。そのぶん、俺たち身分の低いやつらが難癖つけられてると助けてくれた。だから……」
ことばを切ったディーエは、イクサの腰の回転式拳銃をちらりと見てからウォルフに視線を向けた。
「あんたが、隊長がみんなを裏切って国から消えたとき、あんたが権力に屈したんだと思って、すごく悔しくなったんだ」
「……ああ、その通りだ。俺は逃げたんだ。騎士としてあり続けるために、国の中枢に登りつめて国を正すために妾の子を殺めて見せねばならなかったのに、そんな覚悟は決められなくてただ、逃げ出したんだ」
「どうしてそれを!」
自嘲するように吐き捨てたウォルフに、ディーエがテーブルを叩いて立ち上がる。
眉を寄せた彼の顔にあるのは、苛立ちと悔しさ、それから悲しみだろうか。
握りしめた拳をテーブルにぐっと押し付けて、ディーエはどさりと椅子に座る。
「どうしてそれを、あのとき言ってくれなかったんだ。俺があんたに銃を向けたあのときに……」
もしウォルフが真実を語っていたなら、ディーエはどうしたのだろう。
イクサに銃を向けながらその未来を案じていたディーエのことだ。ウォルフを説得して共に国に帰ったかもしれない。そのとき、イクサは連れて行ってもらえただろうか。置き去りにはされないまでも、きっと連れて行ってはもらえなかっただろう。
それを思うとーーー。
「そんなもしもは、困ります」
エールメリアの発言に、イクサはどきりとした。自身の思ったことが、彼女のくちから出てきたのだから。
もしかして胸に湧いた浅ましい思いがバレたのかと勘ぐるけれど、エールメリアはイクサのほうなど見もせずに続けた。
「ウロボルフに勝手に失望したディーエが国に帰って来なければ、わたくしの革命は成りませんでした。王と正妃の間に生まれただけの力を持たぬわたくしが国の中枢を潰すためには、すべてが必然でございましたから」
にこり、と笑ったエールメリアはウォルフにゆるりと頭を下げた。
「東国が一度滅び、王制を廃止して再び立ち上がれたのは騎士ウロボルフ、あなたの育てたひとびとの尽力なくしては無し得ぬことでありました。感謝します」
「そういうわけで、アーネスフィアさまもウロボルフ隊長も、もう帰ってきていいんですよ! 東国をまとめる長であるエールメリアさまがあんたがたの後ろ盾です!」
明るく告げるディーエの声は、どうしてかイクサの胸を冷たくさせた。




