21.「俺はもてなすほうだから」
「あ、話の前にちょっといい?」
アネモネのことばを待つ静かな空間を壊したのは、ディーエだった。
ひょい、と気軽に片手をあげて発言した彼は、悪気もなさそうに続ける。
「先に飲み物もらいたいんだけど。ここまで来るのにいろいろあったからさー」
いろいろ、の部分でエールメリアに目を向けた彼に、イクサは感心した。
ひとの話を遮る、というのがそもそもイクサにはできない。それをさらりとやってのけて、そのうえ空気も悪くしないとは。
「あら、何かありましたでしょうか。わたくしの記憶にはありませんけれど。落ち着いてお話をする場にお茶がある、というのは良い案だと思います」
澄ました顔で首をかしげてみせるエールメリアのことばを受けて、イクサは食堂を見回した。
アネモネと目が合うと、かすかに頷かれる。言うとおりにしろ、ということだろう。
ウォルフは椅子にどっかりと腰を下ろし、腕を組んで黙り込んでいる。反対するわけではないということは、それで構わないということだ。
それぞれの反応を確認してから、イクサは隣室に引っ込んだ。
ポットの蓋をあけてなかをのぞけば、覚えた紅茶の色よりもずいぶん濃くなってしまっている。
淹れ直すべきか。しかし、待たせればウォルフとディーエがまた騒ぎ出すかもしれない。
「あー……ミルクティは濃い目に淹れろ、って言ってたな」
紅茶の淹れ方を教わるとき、くちうるさくあれやこれやと駄目出しをしてきたランタナのことばを思い出した。
貴人には好みの飲み方やら好みの茶葉があって、優秀な侍従ならば主人の好みはもちろん、主人のご友人の好みまですべて記憶すべきだ、などと言っていたように思う。
そもそもナナンは紅茶を飲まないというイクサの反論は、まだ見ぬナナンのご友人である令嬢とやらの存在を語るランタナによってかき消されたのだった。
けれど、そんなことはどうでもいい。
「お待たせしましたー」
ランタナが磨き上げていたワゴンに一式を乗せて、食堂に戻る。
ディーエとウォルフは、今度はおとなしくしていたらしい。
ディーエは椅子の背もたれに肩ひじをかけて天井を眺めており、ウォルフは椅子にどっかり座って腕を組み俯いているが、けんかをしてないので問題ない。
エールメリアは澄ました顔で姿勢良く椅子に腰掛けて黙っていたらしく、困り顔のアネモネはイクサの姿を見てぱっと表情を明るくした。
「イクサ、手伝う?」
立ち上がったアネモネに「いや」と言いかけて、イクサは思い直す。
「あー、いや。じゃあ、俺が淹れるから運んでもらえると助かる」
「うん」
イクサがポットから紅茶を注ぎ、アネモネがそれを運ぶ。
「あら? イクサのぶんは……」
「俺はもてなすほうだから。話もここで立って聞く」
四つ目のカップを手にしたアネモネが不思議そうに首をかしげるのに答えれば、なぜか寂しそうに微笑まれてしまった。
なぜそんな顔をするのかわからないうちに、エールメリアが軽い驚きの声をあげた。
「あら、紅いお茶ではありませんね」
手元に置かれたカップを覗いて、エールメリアがぱちりと瞬きをする。
「あー、紅茶は紅茶なんだけど。濃くなりすぎたから勝手に全員ミルクティにした。東国の使者一行に牛の乳がだめだってやつはいないって聞いてたから」
事前情報として、東国の一行が食べられない物や苦手な物は確認してあった。
シュガーポットを置きながら言えば、ディーエがさっそく手を伸ばす。
「茶に牛の乳……そのうえ砂糖! 異文化ってのはおもしろいなあ」
うきうきと砂糖を入れる彼を横目に、エールメリアは紅茶をひとくちすすっている。
アネモネがもうひとつのシュガーポットをウォルフの前に置くと、無言で手を伸ばしたウォルフはひとさじ、ふたさじと砂糖をすくって入れていく。
そのとなりに腰掛けたアネモネは、砂糖を入れないままミルクティをひとくち飲むと、そっとカップをソーサーに戻した。
「それじゃあ、どこから話しましょうか」
そう言ったアネモネはエールメリア、ディーエそして四人がついたテーブルの端に立つイクサと視線を移して、わずかに引き結んだ唇をそっとほどく。
「……そうね、まずはわたしの名前から。わたしの名前は、アーネスフィア・モーネルート」
「あー、だからアネモネか」
十年以上を共に過ごしてきて、はじめてアネモネの本当の名前を知った。なるほど、名前と名字のそれぞれ一部を取って組み合わせたものだったのか。
「じゃあ、ウォルフも本当の名前が別にあるのか」
「……ウロボルフ・サンダーソニア、だ」
イクサの疑問にウォルフは腕を組んだままぼそりと答える。
いちど聞いただけでは忘れてしまいそうで「ウロボルフ、ウロボルフ」とイクサは聞いたばかりの名前をくちのなかで転がした。
「なんか、すごく強そうな名前だな」
「強そうっていうか、強いんだよ。そのひと、東国の上級騎士だったんだからな」
思わずこぼれたイクサのつぶやきに返したのは、ディーエだ。
上級騎士がどんなものかイクサは知らないが、きっとすごく偉いのだろう。しかし気になったのはそこではない。
「東国の……?」
ウォルフの体格は、騎士だと言われればなるほど納得できる立派なものだ。
けれど、彼が遠い海の向こうにある異国の騎士とはどういうことだろう。東国の騎士であったというのなら、ディーエやエールメリアはかつての仲間ということになる。
それならば、どうしてウォルフは東国の使者と聞いて態度を変えたのだろう。東国の話題を出した直後、イクサに墓守の家を立ち去るよう言ったのはなぜなのか。
ーーーもしかして、俺が要らなくなったから追い出したわけじゃない……?
イクサがそう思いたいだけなのか、あるいはなにか東国に関わりたくない理由があるのか。考えるけれど、答えは出ない。
そこへ、さらなる戸惑いを呼ぶ発言をしたのはエールメリアだ。
「そう、その男はかつて東国の騎士でございました。そしてお姉さまは」
ことばを切ったエールメリアは、アネモネに目をやりにこりと微笑む。
「アーネスフィアお姉さまは、わたくしエールメリア・モーネルートの義理のお姉さまでいらっしゃいます」




