20.「ウォルフは何も言わない。聞かなきゃ答えない」
男ふたりが睨みあうなか、桃色の髪をしたふたりはそれぞれディーエとウォルフのそばに佇み、くちをつぐんでいる。エールメリアは事態を見定めるように静かな瞳で、アネモネはいがみ合うふたりに胸を痛めているように悲し気な顔だ。
部屋の全員に見つめられるなか、淡々と事実を述べたウォルフに、次はディーエが声を荒らげる番だった。
「だったら、なんであいつの自己評価はあんなに低い! なんであいつは簡単に自分の命を盾にしようとする! ただ拾っただけっていうんなら、あんたはあいつに何を言ったんだよ」
「何を言うも何も……」
苛立った様子のディーエに吠えられて、ウォルフはテーブルに打ち付けていた拳を収める。前のめりになっていた体を起こし、腕を組んだウォルフはわずかな間を開けて言った。
「何も言ってない」
端的なことばは、真実だ。
イクサは確かに、幼少のころよりウォルフに何かを言われた覚えはない。イクサが問えば、答えることもあれば「知らなくていい」と言われることもあった。アネモネもそれは同じだろう。
ウォルフは聞けば答える男だ。自分からすすんで何かを言ってきたことはない。
「何も言ってない、って……」
愕然とした顔のディーエが振り向いて、イクサに視線を向けた。
嘘だろう、と言いたげな顔に首をかしげて、イクサはうなずく。
「あー、ウォルフは何も言わない。聞かなきゃ答えない。いつものこと」
「……それって、お前が子どものころからか?」
ディーエにイクサはもう一度うなずいてみせた。
「そう。呼ばないと振り向かない。ちいさいころはウォルフの脚に追いつけなくて、よく転んだ」
「転んだ子どもを見て、あんたはどうしてたんだよ……?」
恐る恐るといったようにディーエが問いかけたのは、ウォルフだ。
腕を組んだまま立つウォルフの顔は伸び放題の髪の毛に隠れて見えないが、彼はわずかに首をかしげるような動作をして答える。
「どうもなにも、自力で立ち上がるだろう」
「はあっ?」
場に似合わない間抜けな声をあげたのはディーエだ。けれど、その隣ではエールメリアもまた呆れたような顔をしている。
ふたりの顔を見やったウォルフは、続ける。
「己の力で成せることは成せ、話があるならば己で告げよ。俺は騎士の子としてそう育てられた、だからイクサもそう育てただけのこと」
騎士の子、という単語がイクサの耳に引っかかる。
ウォルフはただの町民にしては立ち居振る舞いが堂々としていると思ったら、どうやら騎士の家の生まれだったらしい。
イクサに対しても騎士の子として接していたというのも、はじめて耳にした。
「あんた……それを実行してたのか? 年端もいかない子どもに? それも、なにも言わずに?」
「ああ」
深く頷くウォルフに、ディーエががっくりと肩を落としている。エールメリアは額に手を当てて疲れたように首を振っていた。
ふたりの反応に、ウォルフはむっとしたのだろう。
「他にどうしろと言うのだ」
顔は見えないが不服そうな声をあげたウォルフに、肩を落としたままのディーエが深くため息をついた。
「あんたの生家には、使用人がいただろ……。転んだ坊ちゃんを抱き起してくれる手があっただろ。すりむいた傷を手当してくれるひとがいただろ」
「む……」
ため息まじりに言われたウォルフは、不服さを残したままことばに詰まる。その脳裏にどんな幼少期が思い出されているのだろう。イクサにはまったく想像がつかない。
「庶民の俺にだって、手を引いてくれる親父がいた。転んだら抱き起してくれるお袋がいた。泣いてたら隣にいてくれる友だちもいたし、悪さをすれば叱ってくれる近所のおっちゃんだっていた」
ディーエのくちから語られる人びとをイクサは想像した。
想像することはできた。幼いころに訪れた町で、成長してから移り住んだ町で、幾度となく目にしていたからだ。気が付けば目で追いながら、生きてきたからだ。
「なあ、あんたはそういうの、こいつにあげなかったのか。育ての親としての愛情だとかをさぁ」
「…………」
いつの間にか、ディーエの物言いは諭すようなものに変わっていた。
何も答えないウォルフに対して、駄々をこねるタイムに言い聞かせるアネモネのような口調でディーエは続ける。
「あんたもさ、幼いアーネスフィアさまを抱えてひとりで異国に逃げてきて、大変だったんだろうけどさ。それじゃ、こいつがあんまりにも可哀そうだ」
「かわいそう……」
ディーエに言われて、イクサは自分がかわいそうなのだろうか、と振り返ってみた。
けれどわからない。
イクサにとってはウォルフの対応が普通で、手をつなぎ抱き上げられている他の子どもたちが特別なようにしか思えない。その違いが、生まれてすぐ捨てられたイクサと、望まれて生まれてきた他の子どもたちにあるのだろう、と思う。
イクサのちいさなつぶやきを最後に、部屋のなかに沈黙が落ちた。
それをやぶったのは、エールメリアだった。
「聞いていれば」
不機嫌そうにくちをへの字に曲げた彼女は、長い桃色の髪をぱさりと後ろに流してウォルフを見据える。
背丈もアネモネとそう変わらず、見上げる形になるというのに、エールメリアの堂々とした態度は損なわれない。
「あなたには育児能力が備わっていないようではありませんか? だというのに、なぜ赤子を拾ったのです?」
咎めるようなエールメリアの問いかけに、ぴくりと肩を揺らしたのはアネモネだった。
ためらい、視線をさまよわせたアネモネの唇がはく、とことばをつむぎ損ねる。
けれど手のひらをきゅ、と握りしめてアネモネは声をあげた。
「それは、わたしがお願いしたから」
「アネモネ!」
遮るように声を荒らげたのはウォルフだ。しかしアネモネは緩く首を横に振って、ウォルフを黙らせる。
「いいの。もう、黙ってはいられないでしょう? 全部、話します。わたしたちの事情も、イクサの産みの親のことも」
静かに言ったアネモネの声は、じわりと染みるように広い部屋のなかに広がっていった。




