17.「要らないものは捨てるだろ?」
背にかばったアネモネの手がイクサに触れて、かすかな震えを伝えてくる。
エールメリアは、そんなアネモネにイクサ越しに冷ややかな目を向けていた。その目は同時に、イクサに向かって「そこを退きなさい」とも伝えてくる。
身分ある相手に刃向かうと面倒だとわかっている。けれど、イクサはここを退く気にはならない。
事態がわかっていないリサや男性職員がオロオロと見つめてくる視線を感じる。イクサだって訳が分からないので、黙ってエールメリアの動きを待つしかない。
しばらくの沈黙を挟んで、ふと視線をイクサに定めたエールメリアの口角がくっとあがった。口元で笑いながら、彼女の瞳は冷ややかなままだ。
「あなた、どうしてそんなにもお姉さまをかばわれるのです? 身代わりに拾われて真っ当な育児もしてもらえず、お姉さまの出自も知らされていないと聞き及んでいますけれど」
ことばを切ったエールメリアは、こてりと首をかしげて無邪気に続ける。
「尽くしたところで、あなたが報われる日など来ないとお気づきにならないの?」
びくん、と震えたのはアネモネだった。
どんな顔をしてイクサの後ろに立っているのかは見えないけれど、そろりと離れていくアネモネの手を感じながらイクサは頬をかいた。
「んー……報われるって、どういうこと?」
純粋な疑問としてくちにすれば、エールメリアとディーエが妙な顔をする。
言った意味が伝わらなかったか、とイクサはことばを選びながらもう一度くちを開いた。
「んんー。俺は、ウォルフとアネモネに拾われなかったら死んでた。だから、拾ったふたりのために働くのは当たり前のこと、だろ?」
今度こそ伝わっただろうか。ずっとイクサの真ん中にあった思いだけれど、くちに出したのは初めてだからうまく言えたかわからない。
「あなた……そんな風に思っていたの……?」
後ろから聞こえたつぶやくような声は、アネモネのものだろう。格別、隠していたつもりはなかったけれど彼女は気が付いていなかったらしい。
正面には黙り込んだエールメリアがいて、イクサは彼女にはこれでも伝わらなかったか、とさらに考える。
けれどうまいことばが見つからないでいるうちに、エールメリアが難しい顔をしてゆっくりとことばを紡ぎだした。
「あなたのその思考は……いいえ。あなた、それならば、お姉さまたちがあなたを不要だと判断なさったら、どうするおつもり?」
「姫さま、何を!」
エールメリアが問うが早いか、ディーエが彼女を咎めるように声を荒らげた。
けれどエールメリアは「下がっていなさい」と固い声でディーエを黙らせて、イクサを真っすぐに見つめてくる。なにを確かめるような、探るような瞳に見つめられながら、イクサはわずかに首をかしげた。
「どうもなにも、要らないものは捨てるだろ。ほかに要るやつがいないなら、それまでだ」
脳裏に壊れた道具を思い浮かべながら言えば、エールメリアとディーエの表情は固まった。なにを当然のことを、と思っていれば、後ろから声が聞こえてくる。
「イクサ……あなた、どうして自分のことを道具のように……」
震えるアネモネの声にイクサは彼女を振り返った。
見開かれた黄色い瞳は、傷ついているように見える。放っておいたら泣き出してしまいそうな顔を見て、イクサは慌てて返事をした。
「あー、子どものころ、まだアネモネたちが町に来てたころにさ。町のひとに聞いたんだよ。俺は墓場に産み捨てられてたのをウォルフが見つけて拾ったんだ、って」
そう話してくれたひとの顔は、もう覚えていない。女だったのか、男だったのか。若かったのか、年寄りだったのか。思い出せないけれど、言われたことばは今でもちゃんと覚えている。
アネモネを抱えて買い物するウォルフの後をついて歩くイクサを呼び止めたそのひとは、言っていた。
「男手ひとつで娘を育てて、偉いもんだねえ。そのうえ捨て子まで拾うなんて感心するよ。あんたも、せっかく拾われた命なんだ、迷惑かけないようにするんだよ。でなきゃ、捨てられても文句は言えないからねえ」
それを聞いたとき、イクサはいろいろなことに納得がいったのだ。
どうして自分はアネモネみたいに抱き上げてもらえないのか。どうして自分は町の子みたいに手をつないで歩いてもらえないのか。どうしてウォルフはいつもイクサのことを振り返ってくれないのか。
子ども心にずっと考えていて、そしてずっと聞けなかったことに答えが与えられて、イクサはそのことばを胸に刻み付けたのだ。
「親も要らない、って捨てたのが俺だから。拾ったウォルフだって、邪魔になるなら捨てるだろ。だから、報われるとかそういうのはわからないけど、俺はウォルフとアネモネの役に立つのが当然なんだ」
うんうん、と頷きながら言えば、エールメリアはなぜか額を抑えて唸りだす。ディーエは苦しそうな顔をして歯を食いしばり、ちらりと振り向いてみたアネモネの目からはぽろりと涙がこぼれた。
「ちがう……ちがうの、イクサ! あなたのこと要らないなんて……!」
アネモネが涙ながらに言い募ったとき、アネモネの背後で郵便屋の玄関扉がバンッと勢いよく開いた。
「アネモネ! こんなところに―――」
祭りの日にわざわざ郵便屋に来る人間など、そうそういない。今日は誰もが浮かれ、騒いでいるのだから。
誰だろう、と顔を向ければ珍しく息を乱したウォルフが立っていた。
アネモネを探してあちらこちらを走り回ってきたのか、伸び放題の髪の毛がぐしゃぐしゃに乱れている。そのせいでいつもは隠れて見えない目元がわずかに露わになっていた。
鋭い眼光に思わず後ずさったリサと男性職員の横、並んで立つエールメリアとディーエの姿を捕らえたウォルフはますます顔を険しくして彼をにらみつける。
「お前は……!」
ウォルフの唸り声が低く響く。
エールメリアとディーエに向けられているのだろう怒りのこもった圧迫感が、郵便屋の玄関ホールを押しつぶしそうに広がった。




