16.「リサがいてくれて助かった」
男性職員に案内された部屋のなかに、リサはいた。
壁を隔てても聞こえる蒸気の音と、コポコポと沸く燃料の音が満ちた部屋で、わずかにうつむいたリサは耳に紐のついた棒のようなものを押し当て、箱に向かっている。
箱にはたくさんの歯車とちいさな部品、そして細かな数字の書かれた計器がいくつもとりつけられていた。なかでも目をひくのが、箱の中央に位置する透明なドーム状の部品で、なかには琥珀色をした結晶が浮いている。
その箱が思念伝達機なのだろう。
琥珀を中心に囲い、木と金属が混じり合った姿は、祭りの騒ぎのなかで見た蒸気人形を思い出させた。
「ああ、ちょうど伝達機を使っているところだね」
声をひそめた男性職員が肩越しに振り向いて、イクサたちに静かにするように、とジェスチャーをした。
その声が聞こえたのだろう。リサが顔をあげて、目を丸くする。
けれどすぐに、耳に届く別の声に意識を戻した。
「港町、チロック間……蒸気三輪車の目撃、あるいは桃色の髪の女性……黒髪の男性……」
聞こえた音を復唱しているのか、リサはつぶやきながら手元の髪にペンを走らせている。
ちらり、と横を見れば桃色の髪をふわりと揺らしたエールメリアと、ディーエの姿が目に入った。こいつ、髪も目も黒いのか。
「え、ちょっと、きみ!」
リサに向かってさっさと歩き出したイクサの背に、男性職員が咎めるような声を投げた。
イクサは構わずリサの前に立つ。
「リサ、伝えてもらいたい。東国の使者はチロックにいる。エールメリアとディーエはイクサといっしょだ」
「はい。伝達します」
唐突なイクサの申し出に、リサは目を丸くしながらもこくりと頷いた。思念伝達機の部品をいじり、手にした棒に向かって低く歌うようにささやいている。
単純に、声を届ける機械ではないらしい。リサの声に反応するかのように、ドームのなかの琥珀がほのかに明滅している。
しばらくしてリサはくちを閉じると、耳に届く音に集中するようにまぶたを伏せた。
「……待機……賞賛、歓喜、褒美……? ……通信、終了しました」
耳に当てた棒から、何かが聞こえるらしい。
ときおり手を迷わせながらも書き留めたリサが、最後にはっきりと終了を告げて、耳に当てていた棒を伝達機の横に戻した。
顔をあげたリサが手元の紙に目を落として首を傾げている。
「待機するように、ということと、何でも屋さんを褒めてるのはわかりましたが……あとは思念が一度にいくつも流れ込んできて、拾いきれなくて」
「大丈夫。待機だけわかればいいから。あとは、たぶんランタナとエリスアレスが騒いでたんだと思う」
情報をはっきりと伝えられないことを申し訳なさそうにするリサに、イクサはゆるく首を横に振った。
伝達機がどういう機械なのか知らないけれど、港町で知らせを聞いたランタナが「よくやった」とでも言ってエリスアレスが「最高よ! 戻ったらイクサには特別報酬ね」などと騒ぐ姿は簡単に想像できる。
「まあ、リサがいてくれて助かった。大騒ぎになるところだったから」
もうすでに港町では大騒ぎだったかもしれないが、それはイクサの知ったことではない。感謝を述べながらナオを手渡せば、リサはうれしそうに微笑みながら受け止めた。
「ふふ。緊急連絡だって呼び出されて驚いたけど、役に立てたならよかった。ナオも、よく寝てる」
「今日は悪かったね、リサ。でも、彼の言うとおりとっても助かったよ」
男性職員がリサを労い「さあ、休暇に戻ってくれ」と肩を叩く。
郵便屋の入り口に向けて一行がぞろぞろと歩いていると、郵便屋の扉が勢いよく開いて、桃色の髪が宙を舞った。
「あのっ! 子どもを探しているんです! 男の子と女の子のふたり、どこで探していいかわからなくて……!」
乱れた息であえぐように叫んだ女性は、今度こそイクサのよく知る彼女だ。
墓守の家からここまで、荒地を駆けてきたのだろう。使い古された靴もズボンも、土ぼこりで汚れている。
「アネモネ」
「ああっ! イクサ! タイムたちに会わなかった⁉︎ あの子たち、家のなかも森も探したのに見つからなくて……!」
イクサを見つけて駆け寄ってきたアネモネの目が、ことばの途中で見開かれる。
彼女の黄色い瞳が向けられている先では、ディーエになにごとかをささやかれたエールメリアがきれいにほほえんでいた。
「まあ、いつぶりでございましょう。久しゅうございますね、アーネスフィアお姉さま?」
「あなた……エールメリアなの?」
お姉さま、と呼ばれてびくりと肩を揺らしたアネモネの見開かれた瞳のなかで、同じ桃色の髪をしたエールメリアがにっこり笑う。
「覚えておられましたのね。もうとうに、お忘れかと思っておりました。わたくしのことも、国のことも」
「そん、な、ことは……」
顔色を悪くしたアネモネが後ずさりして、イクサにぶつかる。
その拍子によろけたアネモネの肩を支えるけれど、彼女はぶつかったことにすら気付かない様子でエールメリアを見つめていた。
アネモネは同じ髪色をした、よく似た容姿の女性を一心に見つめて震えている。
「ふふふ。ほんとうに、きれいな色の目ですこと」
対するエールメリアはひどく楽しげに一歩踏み出した。
こつん、軽い靴音と共にふたりの距離がぐっと縮まる。
「お話にしか聞いたことはありませんでしたけれど、実物がこんなに美しいなんて……これは隠しようもございませんね」
持ち上げられたエールメリアの手が、アネモネの頬に添えられる。
青ざめたアネモネの顔をのぞきこむようにして、エールメリアはうっとりとほほえんだ。
「お姉さまがお力を使われたときには、どんなにか美しく見えることでしょうね……?」
鼻がくっつきそうなほど顔を寄せたふたりの容姿は、思っていた以上によく似ている。
隠れるように暮らすアネモネが、なぜエールメリアとそっくりなのか。
わからないことだらけだが、イクサの取る行動は決まっている。
「離れてほしい。アネモネが困ってる」
震えるアネモネの手を引いたイクサは、彼女を背にかばいエールメリアの前に立った。




