15.「アネモネには無理だろうな……」
荒れ野に土埃を立てて駆け抜ける一台の蒸気二輪車。
その後ろをすこし離れて爆走するのは、蒸気三輪車だ。
「とばっ、とっ、とばしっすぎぃぃぃ!!!!」
岩山を降りてすぐ、速度をあげて走りだしたイクサが耳に届いた絶叫にちらりと後方を確認すれば、口角をにんまりとうれしげに上げたエールメリアが見えた。
そして、蒸気の吹きだす音とともに乾いた大地に響くのはディーエの悲壮な叫び声だ。
遠く後方に流れていく叫びを聞きながら、イクサはさらに速度をあげる。
優先事項はできるだけ速く。
岩山を見事に下り切ったことといい、速度をあげても余裕の様子で追随してくることといい、エールメリアの運転技術は高いらしいので、イクサも遠慮なく飛ばすことができる。
「アネモネには無理だろうな……」
もしも乗ったなら、どうにか動いている程度の速度でふらふらと走り車をぶつけてしまうアネモネの姿を想像しながら、イクサは走る。
チロックの町がぐんぐん近づいていた。
「……し、死んでない? 俺、死んでない?」
町にたどり着き、町長の屋敷の前に停車させた車の助手席でディーエがささやくように言う。
まだ日暮れ前で大気には昼間の熱気がじゅうぶん残っているというのに、彼の顔は青ざめている。そのうえがたがた震えながら自分の肩を抱きしめたディーエがうわごとのように「死んでない?」と繰り返す姿は、なんとも哀れなものだった。
「はあー、なんてさわやかな心地なのでしょう! ぜひとも蒸気三輪車を購入して持ち帰りたいものですね。仕事の合間の息抜きにぴったりです」
熱され続けた蒸気機関がカンカンと高い音を立てる横でにこにこ笑顔のエールメリアが言う。顔立ちも、着ている衣服もシンプルながら上質なエールメリアは黙っていれば育ちの良いご令嬢にしか見えないが、その中身は見た目通りではないらしい。
ディーエは化け物でも見たような目を彼女に向けている。
放っておけば蒸気三輪車を買う買わないの言い合いがはじまりそうで、イクサはゴーグルを外しながら声をかける。
「ここに置いておけば、万一エリスアレス……町長たちが戻ってきたときには俺たちがこのあたりにいるってわかるはず。ここからは歩いて郵便屋に行こう」
顔が土埃まみれになっていそうで、ランタナに持たされたハンカチでぐいと拭けば、茶色い土に混じって赤い血が布についた。同時にほほがぴりりと痛む。
近くにいたエールメリアがイクサの顔をまじまじと見て「まあ」と口に手をやった。
「跳ね上げた石で切ったのでありましょう。手当してから向かいますか?」
「放っておけばすぐ止まるから。急ごう」
促せば、エールメリアは素直についてくる。
ちらりと見れば、ディーエもまたがくがくと震えながらではあるが、青い顔のまま後ろに続いた。
足首まである東国の衣裳をまとうエールメリアに配慮しつつ、駆けこんだ郵便屋で、イクサは入り口付近にいた職員に声をかける。
「思念伝達機を使いたいんだけれど。港町にすぐ連絡を入れたいんだ」
年配の男性職員は、イクサの姿を上から下まで眺めて申し訳なさそうにほほえんだ。
「申し訳ありません。本日は担当の者が休暇中でして、一般の方のご利用はご遠慮を―――」
「んぎゃあああああん!!」
職員のことばの途中で、赤ん坊の大泣きする声が聞こえて来た。
「この泣き声、ナオか?」
「へ? あー、リサの知り合いの方ですか?」
イクサのことばに男性職員は態度をやわらげて、奥の部屋を示す。
「本当は休暇中なんですが、緊急連絡が入ってしまって出勤してもらったところなんですよ。でも赤ん坊の世話をする者がいなくて困っていて……」
「ナオの世話ならできる。代わりに、伝達機で連絡をしてもらいたいんだ」
「え! 赤ん坊の世話を!」
きっと泣きじゃくるナオに難儀していたのだろう。男性職員はぱっと顔を明るくしてイクサたちをいそいそと案内してくれた。
示された部屋の扉を開けた途端。
「っぎゃああああん、んぎゃああああ!」
「ふええ、な、なんで泣き止んでくれないの~! リサさん、助けてぇ!」
耳をつんざくような赤ん坊の泣き声と、涙目でナオを抱えてうろうろする若い女性の姿が見えた。
思わず耳をふさいだエールメリアとディーエを置いて、イクサは足早に女性に近寄る。
「貸して」
「へ?」
反り返る赤ん坊を恐る恐る抱えていた女性の腕から受け取って、泣きじゃくるナオを胸にぴったり寄り添わせるように抱えた。
丸いお尻をとんとんと叩きながら、ゆらゆらと体をゆらす。
「ナーオ、ナオ。大丈夫だ。泣かなくていい。眠ればいい。次に起きたときは、きっとリサの腕のなかだ」
とんとん叩きながらささやくように言えば、だんだんとナオの声がちいさくなる。全力で反り返っていた体から次第に力が抜けて、真っ赤でしわくちゃだった顔がだんだんと落ち着いてきた。
ゆらゆら、とんとんと繰り返していれば、じきにナオのちいさなくちから「あふ」とちいさなちいさなあくびが聞こえる。
「ナオはこのまま抱えてく。リサのところに案内してもらいたいんだけど―――」
起こさないように小声で言いながら顔をあげたイクサは、いくつもの目に見つめられていたことに気が付いた。
案内してくれた男性職員、ナオを抱えて涙目になっていた若い女性、ようやく顔色の戻ってきたディーエそして目をキラキラさせたエールメリアの計四対の目がイクサに向けられている。
「な……なに?」
思わず後ずさったイクサに、エールメリアがずいと一歩踏み出してきた。
「すごいですね! 赤ん坊をささっと泣き止ませるなんて」
「その年で子守りに慣れてるって……特殊技能だな」
ナオに配慮してだろう、小声ながらもまっすぐなエールメリアの称賛に、ディーエが追随するだけでなく男性職員と若い女性までもうんうん、と深く頷いている。
気恥しいような、なんとも居心地の悪い空間を脱出するためにも、イクサは目を泳がせながらくちを開いた。
「あー……まあ、それはいいとして。早くエリスアレス町長に連絡を取らないと」
赤ん坊を抱いた一行は、静かに素早くリサのいる思念伝達機のある部屋へと移動するのだった。




