5.「……犬、いやうさぎか?」
町の裏に広がるゆるい丘。そこは、町のガラクタ置き場と化していた。
ほとんど朽ちた木材や、擦り切れすぎて触れば散らばる布なんかは珍しく無い。ひしゃげた鍋や用途のわからない金属の塊、果ては壊れた蒸気機関までが打ち捨てられている。
それらがいつから放置されているのかイクサは知らないが、捨てられた鉄くずから流れた錆で丘のいたるところが赤茶に染まって見えることから、夕焼けの町と呼ばれていた。
不釣り合いな大層な名前だとイクサは思う。実際はただの錆びたガラクタの山なのに。
「さて、ここならひとも居ないだろ」
丘をいくらか登ったところで、イクサは朽ちかけた木箱に腰かけた。
ガラクタが投棄されるのはだいたい夜だ。そしてそれを漁る連中が来るのもやっぱり夜。
歩きにくく景色も悪いため散歩に来る物好きなど居やしない。
そのため、イクサは懐の隠しポケットにしまっておいた紙包みを悠々と広げられる。
「……犬、いやうさぎか?」
紙をしばっていたリボンを指に巻きつけて、なめらかな手触りを楽しみながらイクサはつぶやいた。
紙に描かれた獣は、卵型の丸い体に小さな手足を生やし、大きな垂れ耳とつぶらな瞳を持っているらしい。額にきらめく石のようなものは、飾りだろうか。ふわふわとした青色は毛並みの手触りが伝わってくるようによく描かれている。
毛の一本一本まで丁寧に、というか執拗に描き込まれたその絵の生き物は、イクサが知る動物とは違うようだった。執拗に描いたであろう人物については、考えたくない。
「ナナン、ねぇ……」
絵姿のしたに記された短い文字の羅列は、きっと獣の名前だろう。種族名か個体名かまではわからないが、見つけて捕まえるだけのイクサには関係がない。
「さて。どこを探したもんか……」
これから仕事をしようかと言わんばかりに呟くが、その実イクサは標的の姿を確認しただけで達成感を得ていた。
きれいなリボンを畳んだ紙といっしょにポケットにしまい、ぐぐっと伸びをする。
さっそくひと休みしようと、鉄錆びた瓦礫の山をもたもたと登る。
錆びだらけでも、吹き抜ける風は気持ちがいい。まだらに濃淡のある灰色の髪の毛を風に乱されながら、イクサは積み上げられた瓦礫のてっぺんにたどり着いた。
「相変わらず、ごちゃごちゃしてるなあ」
瓦礫のうえから町を見下ろして、イクサはつぶやく。
中央にそびえるのは町長の屋敷だ。時計塔の時刻は午後のおやつ時を示している。
時計塔を囲むように、整備された道と造りの良い建物が広がっている。そこから離れるほどに建物は粗末になり、隙間なく密集して建てられている様がよく見えた。
ひしめき合う建物の群れのあちらこちらから、蒸気が上がるのが見える。
そんな活気ある町のはずれに、ぽつりと建つのは墓守りの家だ。イクサのいるところからでは遠すぎて見えやしないが、そこにはたくさんの墓が並んでいるだろう。
「……飯、食うか」
つぶやいて、イクサは抱えていた包みを開けた。
出てきたのは、豆とくず芋の煮物がこれでもかと盛り付けられた木の皿。店自慢のピクルスが添えられた横には、炙り肉の切れ端が乗せられている。
「まかないにこんな良い肉つけるかよ」
切れ端とはいえ、肉は肉だ。
すこし悩んだイクサだったが、おとなしく料理屋の夫婦の好意を受け取ることにした。あの女将相手にとやかく言ったところで、イクサの意見が通るとも思えない。
いっしょに包まれていた木匙で豆をすくった。ぱかりと開けたくちに迎え入れる。
それでイクサはようやく気がついた。
「そういや、朝も昼もまだ食べてなかったなあ」
食べ物を腹に入れて、はじめて自分の空腹を感じる。イクサにはよくあることだ。
そのせいもあって体の育ちは悪いし、あちらこちらで瘦せぎすだの枯れ枝だのと言われるが、構わない。
ーーー食べるのが嫌なわけじゃないけど、やっぱり寝床でだらだらしてるほうが良いなあ。
ぼんやりと考えながら、イクサは機械的に手を動かす。
しばらくもぐもぐとやっていると。
カサリ。背後から物音が聞こえる。木匙をくわえたまま振り向いたイクサは、そこに獣の姿を見つけた。
青よりも深い青色の毛並み。丸みを帯びた身体に小ぶりな手足。長い垂れ耳と額の宝石を持つ獣。
「あ、いた」
ナナンだ。乱雑に重ねられた赤錆びだらけのガラクタのすき間から顔を出して、澄んだ瞳であたりの様子をうかがっている。
探すまでもなく、相手のほうから姿を現した。こんなことはそうそうない。
だからこそ、飛びついて逃がしてしまう愚はおかせない。
イクサはくわえていた木匙を手に持って、瓦礫の山をそっと降りる。
肉食だろうか、草食だろうか。
ふと考えたイクサだが、今から聞きに戻るわけにもいかない。
「……豆、食べそうな顔してるな」
その場にしゃがんで、木匙にすくった豆をちらつかせた。
ナナンは長い耳をぴくりとさせて、鼻をふんふん鳴らす。匂いにつられたのか、ガラクタのすき間から一歩出たナナン。
身じろぎに合わせて額の石がきらりと光る。
「うまかったよ。安い料理だけどな、あの店は値段に見合った味と量を出すんだよ」
イクサのことばがわかるのか、ナナンの脚がもう一歩、前に出た。
そのまま、ぽてりぽてりと近づいてくるのをイクサはじっと見つめていた。
不用意に動けば脅えさせ、逃げられることは経験から知っている。
だから待った。
何をやるにも面倒くささが先立つイクサだが、幸い待つのだけは得意だ。
ぼうっと待っていても良いけれど、せっかくもらった料理が乾いてしまうのはよろしくない。
そんなわけで、イクサは木匙を持つのとは別の手でまかないをつまみ、ぱくり。
「キュアッ!」
途端に、ナナンが鳴き声をあげてその場で跳ねる。ただでさえ丸い目をさらに大きく見開いてイクサを見上げるその顔は、勘違いでなければ驚きと焦りに彩られている。
「あー……全部は食わない。そうだな、半分ずつでどうだろう。こっちが俺の、のこりはやるよ」
イクサが木匙で皿のうえの食べ物を半分ずつに分けてみせると、ナナンが再び歩き出した。
心なしか、その足取りはさっきまでよりも早い。
そのままぽてて、と皿まで駆け寄ると、ナナンはちいさなくちを開けて豆にかぶりつく。
「キュワワワワー!」
おいしい!
ナナンの顔にそう書いてあるような気がして、イクサは思わず呆れた。
「緊張感ないやつだなあ。人懐こいとかいうレベルじゃないな、これ」
しゃがんだ膝に頬杖をついて見つめるイクサの前で、ナナンは皿の食べ物をせっせと頰ばっている。すでにイクサへの警戒など忘れたように一心不乱に皿を向くさまに、野生は見当たらない。
むぐむぐと食べるたびにちいさな尻尾がぴこぴこと揺れるのをイクサは見守った。




