14.「あんたらを歓迎するのが俺の仕事ではあるから」
静かな岩山にイクサの間抜けな声が響く。
忙しく白煙をこぼしていた蒸気三輪車はわずかにうすら白い蒸気をくゆらせて、山肌を走り抜ける風がぴゅうと鳴いた。
「……えーと、東国の長ってことは、あんたらがきょう来る予定の東国の使者でいい、のか?」
事態を飲み込めないイクサが問えば、エールメリアは「ええ」となぜか得意げに笑う。その横でディーエが気まずそうに視線を逸らしながら「ああ」と頷くのを見て、イクサははじめてこの男に親しみのようなものを覚えた。
「その東国の使者がなんで、こんな岩山に? いまごろは港町で歓迎されてるころだと思ったんだけど……」
イクサが言えば、ディーエはますます居心地の悪そうな顔で「んん」とか「ああ、まあ」などとつぶやく。その隣でにこっとかわいらしく笑ったエールメリアが楽し気にくちを開く。
「だって、東国には蒸気機関がありませんもの。それが目の前にあって、触ってもいいと言われたら乗りたくなるのが人間というものでしょう?」
「んー、そう、なのか?」
「ええ! そして、乗ったら走らせたくなるものです」
胸を張って言うエールメリアは、輝かんばかりの笑顔を浮かべている。肩を落として疲れた顔をしているディーエとあまりに対照的だ。
「だからって、なんであんたはあえて険しい岩山を選ぶんでしょうねえ!? 何度、落っこちると思ったことか……!」
「あらまあ、ディーエったら。大丈夫だったのだからもういいではないの」
「ひーめーさーまー……」
がっくりと力尽きたようにしゃがみこんで頭を抱えるディーエをよそに、イクサが気になったのは別のところだった。
「あんたら、この岩山を三輪車で越えてきたのか。見たところ、あんたらがのぼって来た道のほうが険しそうなのに」
エールメリアの運転技術の高さに驚けばいいのか、蒸気二輪車でようやく行けそうだと思える道に突撃していく無謀を嘆けばいいのか、イクサにはわからない。
けれど、イクサのつぶやくような声はディーエに希望を与えたらしい。
うつむいていた顔をぱっと上げたディーエは、隠し切れない喜色をそのままにエールメリアに視線をやった。
「姫さま! 下りはぜひ、こいつの登ってきた道を行きましょう! なあ、道案内してくれるよな!?」
「んー? あー、まあ、あんたらを歓迎するのが今の俺の仕事ではあるから、構わないけど」
必死なようすのディーエにうなずけば、彼ははて、と首をかしげる。
「今の仕事、というのは?」
「あー、何でも屋だから。今は町長に雇われて、あんたらの歓迎とかいろいろ手伝ってる」
問われるままに答えれば、ディーエは目を輝かせてイクサの手を取った。
思わず後ずさるけれど、逃がさないとばかりにディーエの指が強くイクサの手を握る。
「なら、依頼する! 俺たちを町まで連れてってくれ! 来た道を戻るのだけはごめん被る!」
唾を飛ばさんばかりの勢いに押されるイクサの横で、エールメリアが「あらまあ」と呆れたような声をあげた。
「ディーエったら、あの程度で音をあげたのですか? なんと情けないことでしょう」
「お言葉ですがね、姫さま。命あっての物種と言いますからね。お前、何でも屋! くれぐれも、できるだけ安全な経路で頼むぞ。蒸気三輪車が転落する危険のない、俺の寿命がこれ以上ちぢまない経路だ!」
嘆かわしい、と首を振るエールメリアに、ディーエはすかさず言い返す。姫さまと言いながら、ずいぶんと親しい間柄のようだ。
エリスアレスとランタナのやり取りとはまた違う騒がしさだな、とイクサがぼんやり見ていると、エールメリアが腰に手をあててぷくりと頬をふくれさせた。
「むう、仕方ありません。たまには臣下の言うことを聞くのも善良な長の仕事というものでありましょうから、此度はわたくしが折れて差し上げます」
本当に仕方なさそうにそう言うと、エールメリアはイクサの正面に向き直ってにこりときれいな笑顔を作った。そうしていると、本当にアネモネそっくりだ。
「何でも屋さん。先ほどは我が臣下が無礼を働きました」
すっと伸ばされた細い指が向かったのは、イクサの首元だ。
やわらかな指先が触れた首が、ぴりりと痛む。自分では見えないが、きっとディーエの切っ先が触れたときにいくらか切れたのだろう。
―――用意してもらった衣装に血がついていないだろうか。
そんな心配をしながらイクサは返事をする。
「いや、俺も銃を向けたし、頭突きもしたからあいこにしてもらえると助かる……助かります?」
今更になって、そういえばランタナに丁寧な口調とやらを心がけろと言われたことを思い出した。
とってつけたように言い換えれば、そっと手を離したエールメリアがくすりと笑う。
「構いません。ここには礼儀にうるさい者はおりませんでしょう? あなたが話しやすいことばをお使いになって」
「……じゃあ、うん。助かる」
貴人からの申し入れは基本的に断るな、とランタナに言われていたことを思い出しながらイクサがうなずけば、エールメリアは一歩、距離を取ってにこっと笑顔になった。
「それでは、改めまして。わたくしからもよろしくお願いいたします。できるだけ早く、かつある程度の安全が確保された道をご案内くださいませ」
「いやいやいやいや、なにしれっと安全性の重要度を下げてくれてるんですか」
「あら、ディーエは時計の読み方を覚えたのではなくって? わたくしたち、戻るとお約束した時間を過ぎておりますでしょう。チロックの町長さんがた、お待ちではないかしら」
ディーエが激しく首を横に振りながら声をあげれば、エールメリアは頬に手をあてて不思議そうな顔をする。
彼女がしれっとくちにしたことばを聞いて、ディーエの顔は一瞬で青ざめた。
「んなっ! もうそんな時間ですか!? おわわわ、まずい! すぐ戻るって言ったのに!」
「山を降りたらそのままチロックに向かうのと、港町に向かうのと、どちらがいい?」
「それはもちろん港町―――!」
イクサの問いに間髪入れずディーエが叫ぼうとすると、それを遮ってエールメリアが首をかしげた。
「そうですね、早く到着するのはどちらでしょう」
「早いのはチロック。港町はこの岩山を迂回しなきゃいけないから」
「では、チロックから港町へ連絡手段はありますでしょうか?」
答えれば、またすぐに問いが飛んでくる。
おろおろと青ざめているディーエよりもよほど、若いエールメリアのほうが落ち着いているようだ。
「ある。郵便屋の思念伝達機が、チロックにも港町にもあるって聞いた。その場で、遠く離れたところと声をやりとりできる機械だ」
ランタナに教え込まれた知識を伝えれば、エールメリアは満足そうにうなずいた。
「それでは、チロックへ参りましょう。みなさまにご心配をかけているでしょうから、全速力で!」
ぴかりと輝かんばかりの笑顔で告げるエールメリアに、ディーエが顔色を悪くしながら「ええぇ……」とうなだれていた。




