13.「あんたもまだ信用できない」
男があと数歩の距離まで近づいたとき、イクサは蒸気二輪車から飛び降りていた。
同時に、腰のホルスターから銃を引き抜く。
着地するなり、撃鉄をあげて構える。
銃口の先に男の心臓を見据えたときには、イクサの首に切っ先が押し当てられていた。
わずかに皮膚を食んだ刃の持ち主は、銃口を向けた男だ。首がぴりりと痛むのも構わず睨みつければ、剣を突き付けたままイクサの顔をまじまじと見た男が目を大きく開いた。
「お前……誰かと思ったら、ウロボルフ隊長の……」
男のつぶやきに、イクサは眉を寄せる。
「誰のことだ。それよりあんた、またアネモネとウォルフを狙ってきたのか」
「ちがう。そっちが先に銃をおろせば話す」
男が言うけれど、イクサに従うつもりはない。
さきほど、車の運転席に座る桃色の髪の女性と目が合った。一瞬だが、アネモネによく似ていたような気がする。男はウォルフの元からアネモネをさらって来たのだろうか。
けれど、それならなぜアネモネは運転席にいたのか。
わからないことだらけだが、男を自由にさせておくのはウォルフにとって不利になるだろう。
それを思えば、イクサは引けなかった。
―――首を刎ね飛ばされても、こいつの心臓を撃ち抜ければいい。
「お前、相変わらずあんな奴を崇めてんのかよ」
「……」
「ちっ、無視かよ」
なんとでも言えばいい、と男の動きに注視していたとき。
未だ白煙をあげている蒸気三輪車のほうから、岩肌を踏んで近づいてくる足音が聞こえてきた。
「アネモネというのは、アーネスフィアお姉さまのことかしら」
聞きなれた名前にイクサがぴくりと肩を揺らした瞬間、男の剣の腹がイクサの手を打った。振り下ろす勢いと剣の重みの加わった一撃を受けて、手のなかの銃はあっけなく地面に落ちる。
地をすべり離れて行った銃に目もくれず、イクサは踏み込んだ。
男の剣の刃の真横におおきく踏み込んで、右手で胸倉をわしづかみ頭を振り上げる。
「あぐっ!」
ガチンッと固い音を立てて男の顎とイクサの後頭部が激突した。
男のうめき声を聞きながら、くらむ頭を無視して男の脚の間にさらに一歩踏み込んで、股間をめがけた膝の一撃を―――。
「まあまあ。それはさすがに可哀そう」
止めたのは、やわらかな声とやわらかな手のひら。
見下ろせば、振り上げようとしていたイクサの腿に置かれた女性の手があった。その手を目にした瞬間、イクサは彼女がアネモネではないと気が付いた。
―――節くれだった手。アネモネのは、ささくれているけれどこんなのじゃない……。
すとん、と脚を下ろしたイクサは、そのときなってはじめてまじまじと女性を見つめた。
桃色の長髪に、やわらかな笑みを浮かべた顔。
「アネモネ、じゃない……?」
似ている。髪の色も顔もよく似ているけれど、違う。目の前の彼女は眼の色が紺色だ。アネモネは桃色の髪に黄色の瞳をしていたはず。
戸惑い、首をかしげるイクサにアネモネ似の彼女はにこりと笑みを深める。
「どうか話を聞いてくださいませ、大陸のかた。わたくし、東国の長となりました、エールメリア・モーネルートと申します」
「どういう、ことだ?」
アネモネに似た女性は東国の長だと言う。名乗られた名は確かに、ランタナに覚えさせられた使者一覧に含まれていた名前だけれど。
なぜ東国の長がここにいるのか。迎えに行ったはずのエリスアレスたちはどこにいるのだろう。そもそもどうして、アネモネ似の年若い女性が東国の長なのか……。
わからないことだらけでぼんやりとしてしまったイクサの手が、バシリと跳ねのけられた。そうされてはじめて、まだ男の胸倉をつかんだままだったと思い出す。頭の痛みは驚きで飛んでしまった。
「あーはいはい。話が長くなるから、あとでね」
イクサの頭突きを食らった顎をさすりながら、男がひらひらと手を振る。
剣はすでに腰の鞘に納められ、いつの間にかその手にはイクサが取り落とした銃が握られていた。
「その銃」
「お前に渡したらいつ撃たれるかわかったもんじゃないからね。預かっとく」
「だったら、弾だけ抜き取ってほしい。あんたもまだ信用できない」
イクサが手を突き出せば、男はくちの端をひくひくと震わせる。
剣ならば自分の身体を盾にもできるが、銃ではそうもいかないときがある。そう思っての発言だが、男は気に食わなかったらしい。
睨むような男の視線を見返していると、援護は思わぬところから飛んできた。
「ディーエ、返しておあげなさいな」
「えぇ、姫さま本気?」
ひどく嫌そうな顔をする男、ディーエにエールメリアはにっこりと微笑む。その笑顔は、言うことを聞かないタイムをさとすときのアネモネにそっくりだ。
「わたくしがその気もないのにくちにすると、お思い?」
「いーえー。わかったよ、わかりましたよ。それじゃあ、銃だけな。弾は俺が預かるから」
「それで構わない」
こくりと頷けば、イクサの目の前でディーエが銃をかちゃかちゃといじる。
「えっとー、これはパカッと開かないやつ? あ、くるくる回るだけなのね、はいはい。あー、弾出すのめんどくさ」
あちこちを触って「あれ?」「んん」などと言いながらようやく弾を取りだしはじめたディーエの手つきは、あまりにも慣れていない。
回転式弾倉を回しすぎて弾を取り損ねたり、とするディーエに呆れたイクサは、ついこぼしてしまう。
「……それ、あんたが昔、置いてったやつだろ」
だというのに、この手慣れていない様子は一体なんなのか。
そんな呆れが声に出ていたのだろうか。ディーエはもたもたと弾を取りだしながらくちを尖らせる。
「だーってよ、これは通りすがりの店で適当に買ったやつだし。弾も店で入れてもらったやつしか持ってなかったから、扱い方なんてどうでもよかったし……」
言いながら、ようやく弾をすべて抜き取ったディーエが空になった銃をイクサに差し出した。
手のひらに乗る銃は、慣れた重みよりも弾のぶんだけ軽い。
それでも腰のホルスターにおさめればなんとなく気持ちが落ち着いた。
そんなイクサにディーエが「それじゃ」と声をかけてくる。
「町まで先導してくれよ。うちのお姫さまのわがままで車を借りたはいいけど、道がわからなくて困ってたんだ」
「……は?」
言われたことを理解しようと胸のうちで繰り返していると、イクサは収まったはずの頭の痛みが戻ってくるような気がした。




