10.「道具屋、本当に助かった」
御者が後ろの馬車を指差して、はやく乗れと言う。
我先にと駆け上がるタイムを追って、イクサもデイジーの手を引きスタップをあがる。
「道具屋、助かった。俺じゃいつまでも馬車を捕まえられないところだった」
デイジーを抱えて馬車に乗せてから振り向いて言えば、道具屋は妙な顔をした。
わずかに眉を寄せてイクサを見つめるその顔にあるのは、不愉快ではなく不可解だ。
「なに言ってんだ。こいつはお前さんだから乗せてくんだぞ」
「ん? うん。だから、あんたが俺たちを乗せるよう行ってくれたからだろ」
イクサが答えれば、道具屋は器用に片眉だけをあげた。「こいつわかってねえな」と言わんばかりの顔だ。
けれど彼がなにか言うよりも早く、御者がイクサを急かす。
「急ぐんだろ? さあ、乗ってくれ」
「あー。道具屋、本当に助かった。お礼は今度」
それだけ告げて馬車に乗り込めば、間も無く馬車が動き出した。
「おわっ。馬車ってけっこう揺れるんだな!」
がたごとと鳴る車輪の音に負けないよう、いつもより声を張り上げたタイムが言えば、デイジーもこくこくとうなずく。
ぐらぐらと揺れる少年と少女の間に挟まれたイクサは、寄りかかってくる体重を支えては、転げそうになる体を捕まえる。屋根もなく、申し訳程度の壁がある程度の馬車で転がれば、地面に叩きつけられてしまう。
「町中で道が平らだから、これでも揺れないほうだ。町の外を走るときは、くちを閉じてないと舌をかむらしい」
リサに聞いた話を教えてやれば、子どもたちは「えー! 馬車ってけっこう不便なのな!」「……舌、痛い?」とはしゃいだ声をあげた。
車輪の音はそこそこ大きいはずだが、流れていく町並みにあふれる明るい声はイクサの耳にも届く。
いつものにぎわいにさらに輪をかけたにぎやかさ。そのなかで、ふと露店に立ち止まる親子の姿が目に付いた。
子どもが父親らしき男の手を引いて、店を指さしている。引っ張られた父親の肩を母親だろう女が軽く叩いて、親子は露店に向かっていった。
馬車で通り過ぎる瞬間に目にはいった、その光景は一瞬。
けれど、なぜかイクサの胸をざわつかせる。
遠くなり、すぐに見えなくなった親子の居たあたりをぼうっと見ているうちに、馬車の速度がゆるゆると落ちてきた。
「お、そろそろ到着か? なんかだんだん地味になってきたな」
「お祭り、もうおしまい?」
あたりをきょろきょろ見回したタイムの言う通り、町のはずれに近づくにつれて露店は減り、歩き回るひとの姿もまばらになっていく。
祭りのために飾りつけられた町の中央から離れるほどに、その差ははっきりとしてきた。
「祭りは町の真ん中あたりでやってる。端っこはいつもどおり暮らしてるひとがいるだけで、まだ祭りは終わってない。今日から使者がいる一週間、ずっと祭りだ」
主催者側の人間、ランタナから聞いた話だから間違いない。ついでに「一週間も滞在するなどと、図々しい。エリスアレスお嬢さまの貴重なお時間がそれだけ奪われるということだぞ。来て、お嬢さまの美しさにひれ伏して、さっさと帰ればいいものを」と言っていたことは、イクサだけの秘密だ。
「一週間! えー、じゃあオレ、イクサのとこに泊まる! なあ、ウォルフに手紙書いてくれよ」
「タイムずるい。ばれる前に帰るって言ってたの、うそ?」
「あー……俺から書くとよけい怒らせそうだから、あとでエリスアレスにでも頼んでみたら」
子どもたちが無断でイクサのところに来ている現状を、ウォルフは喜ばないだろう。怒り狂ってイクサを八つ裂きにするかもしれない。
―――要らなくて捨てるくらいなら、いっそそのほうが……。
ぼんやりと浮かんだ思考を止めたのは、御者台からの声だった。
「おーい、着いたぜ」
「おう! おっちゃん、ありがとう!」
「ありがとう。たくさん揺れた」
気づけば、いつの間にか馬車が停まっている。あたりの景色は見覚えのあるもので、まだ午前中だというのに夕焼けのような色をした丘が散らばる家々の向こうに広がっていた。
先に馬車を飛び降りて行った子どもたちの後を追って地に足をつけたイクサは、御者台に座る男を見上げる。
「助かった。あんたにも、後で礼を」
「これは俺の礼だ。何でも屋から礼をもらっちゃあ、釣り合わねえよ」
言いかけたイクサを遮って御者が首を振る。
手綱を片手でまとめて持った御者は、身を乗り出すようにしてイクサの顔をのぞきこんできた。
「なんか、俺で力になれることはもうねえか」
「……そうだな、だったら」
イクサの答えを待つ御者に、だめ元でイクサは頼み事をした。
頼みを聞いた御者はしばらく顎をなでていたが、驚いたことに「よっしゃ、すこし待ってな! すぐ戻る」と明るい顔で馬を走らせてどこかへと消えていく。
「イクサ、なにお願いしたんだ?」
「ん? あー、まあ、もし用意できたら、と思って。たぶん無理だから、いい。それより、こっちだ」
放っておくとそこらの家と家のすき間に入っていってしまいそうなタイムとデイジーの手を引いて、イクサが向かうのは裏門番のばあさんの家だ。
町のいちばん外れにあるその家の前の道ばたには、椅子が置かれている。ちいさな老女いつものように、その椅子にちょこりと腰かけていた。
「おや、何でも屋。珍しいね。この前来てから、一週間も経ってないだろう」
「ああ。今日は仕事探しじゃなくて、あんたに頼みたいことがあって」
声をかけるより先に気が付いた老女は、イクサのことばに眉をあげる。そして、イクサの左右に立つ少年少女に目をやって首をかしげた。
「子守りの仕事かい? それにしちゃあ、ちょいと大きいような」
「ああ、あんたに子守りを頼みたくて。俺が戻るまで、このふたりを預かってもらいたいんだけど」
このふたり、と言いながら手を引けば、タイムがにぱっと笑いデイジーがわずかに首をかたむけた。
「オレ、タイム! こっちはデイジー。オレたち祭りを見に来たんだけど、イクサは仕事で遊んでくれねえんだって!」
「でも、お仕事が終わったらあそんでくれる、よね? やくそく、ね?」
くちぐちに言う子どもたちを見て、老女は目をまるくする。
騒々しいふたりに続いて、イクサはためらいがちに老女に声をかける。
「そういうわけなんだけど、お願いできないかと思って……」
「おやおや、これは骨が折れそうだ」
そう言いながらも、老女は愉快そうに歯を見せて笑っているのだった。




