9.やっぱり無理か。
馬車はなかなか捕まらなかった。
人でごった返す町のなか明るい陽光を浴びながら、左右につないだ子どもの手の熱さを感じながら早足に歩いていく。
「すっげえなあ! ひといっぱいだ」
「迷子なる? 迷子なっちゃう?」
「あー、きょうは格別ひとが多いから、すぐ迷子になる。だから手を離さないように」
人の頭のうえを歩く大道芸人を見上げて、蒸気仕掛け人形が動くたび歓声をあげ、ダンスに体をゆらし音楽に耳を傾ける。
珍しいものがあるたび、きょろきょろとあたりを見回しては、思うままに進みそうになるタイムとデイジーを引き戻しながらイクサは馬車を探す。
狙うのはひとを降ろしたばかりの馬車か、乗っている人数が少ない馬車だ。
けれど、子ども連れですばやく動けないためなかなか捕まえられない。
子どもだけでなく周囲を歩くおとなたちも浮かれていて、気をつけていないとぶつかってしまいそうだ。イクサひとりなら軽く謝れば済むが、まだちいさいデイジーなど吹き飛ばされてしまいかねない。
そんななかを歩いて馬車を捕まえようとするけれど、人ごみに紛れたイクサたちに気がつく御者はいない。
どちらかの手を離して馬車を停めるしか……とタイムの手を離しかけたイクサの頭を古い記憶がよぎる。
ちいさなアネモネを抱えたウォルフが、歩いていく。イクサはそれを追いかけて走る。
けれどウォルフと子どものイクサの歩幅はずいぶんと差があって、だんだん引き離されていく。
ーーーまって!
そのひと言が言えれば良かったのだろう。
けれど、そう言ったところでウォルフが立ち止まらなかったなら?
いつもアネモネを優先する彼が振り返ってもくれなかったなら?
考えてしまえば、もう声をかけられなかった。
ただ、大きな背中を息を切らして追いかけることしかできなかった。
あのときの自分はなにを思っていただろう。追いつけない背中を見つめて……。
「おお、何でも屋じゃないか!」
過去に向いていた意識は、大きな声で引き戻された。
気がつけば、目の前に道具屋の店主が立っている。うっすら顔を赤くした彼は機嫌良さげに笑うと、タイムとデイジーの頭をぐしゃぐしゃとなでた。
「なんだ、何でも屋の弟たちか?」
「いや……」
とっさに否定しようとしたイクサより、タイムがくちを開くほうが早かった。
「へへ! オレはタイム! こっちはデイジー。お祭りを見にきたんだけど、イクサまだ仕事だっていうからさ!」
「そーかそーか、元気な少年だな! おっちゃんがいっしょに見て回ってやれれば良かったんだが……」
ちらり、と振り向いた道具屋の店主の視線の先には、立ち話をする男たちがいた。みな、店主と同じくらいの年齢に見える。
「ちょうど仲間で飲みに行こうって言ってたところでなあ。わるいなあ」
すまなそうに頭をかく店主に、イクサはゆるりと首を横に振った。
「裏門番のばあさんに頼もうと思ってる。祭りは騒がしすぎるから家にいるって言ってたから」
「おう、そうだな! あのばあさんならやんちゃ坊主も良い子で待てるだろ。あそこまでは馬車で行くのか?」
「あー、そのつもり……」
イクサが返事をするが早いか、道具屋の店主はくるりと背を向けて通りに手を振った。
ほどなく、停まった馬車の御者は店主の知り合いだったらしい。
「なあ、町の裏のばあさんとこ、わかるか? そうそう、裏門番の」
親しげに話しかける店主に、御者がうなずいた。
「ああ、わかるとも。町外れだからって、わからねえわけがねえ。俺が何年この町に住んでると思ってんだ」
「そりゃ良かった! そのばあさんとこまで、ちょっとこの子らを乗せてってやってほしいんだ」
ぱっと表情を明るくした店主が言えば、御者の男は眉を寄せた。
「ええ! あそこらは店もねえし、客もいねえ。せっかくの稼ぎどきにそんなとこに子ども三人ぽっち運ぶなんて、いくらお前の頼みでもーーー」
ーーーやっぱり無理か。
イクサが諦め、別の手を考えかけたとき。
断りかけた御者の肩に店主が腕を回した。顔を耳に寄せて、控えめな声で店主はささやく。
「お前さん、そこのひょろいのに見覚えないか? そばかすのあるやつ」
言いながら、店主の指は明らかにイクサを指している。
なんの話だろう、と御者の顔を見るがイクサはひとの顔に興味がない。店主の年の近い男だとしか認識できない。
けれど、御者のほうは違ったらしい。
「あ! お前、何でも屋か!」
不意に言われて首をかしげるイクサを横に、御者は急に表情を変えてにこにこと笑い出す。
「ありゃ半年前だからな。そっちは覚えてないかもしれねえけどよ。指輪探しを頼んだことがあるんだよ、俺」
「指輪……あー。そんなこともあった、かもしれない」
記憶をさぐるも、覚えていようという気がないのだからぼんやりとしか思い出せない。
あやふやな返事をするイクサに腹をたてることもなく、御者が笑う。
「いいんだ、いいんだ。そっちにしてみりゃ仕事のひとつだ。でも俺にとっちゃ、嫁さんの結婚指輪を見つけてもらったんだから、感謝してるわけよ。クズ石とはいえ、思い出の品だからなあ」
「ふうん?」
そんなものなのだろうか。クズ石と言うのなら似たようなものを買っても変わらない気もするが。
そこまで考えてから、イクサは思い出した。
ちいさな指輪ひとつを探すために、町中の道の端を練り歩いた日々を。
依頼主がもういい、諦めるよと肩を落としてつぶやくのに「依頼を引き受けたんだから町をひと回りするまでは待ってくれ」と探し続けたことを。
「ははは! こいつはこんなやつさ。大したことしちゃいないと思ってるからなあ。気を悪くするなよ」
道具屋の店主が言うのに、御者はからりと笑った。
「気を悪くなんてするかよ。こっちこそ、さっきはぐだぐだ言って悪かったな。さ、乗ってくれ。町の外れでもなんでも、連れてくぞ!」




