6.「だから、家族じゃない」
来た道を戻る車のなか、渦巻く風は熱気をはらんでいやに気に障る。
どうしてだろうと考えたイクサは、太陽がまだ高い位置にあるせいだと気が付いた。
不快な風は砂ぼこりを巻き上げ、慣れているはずのざらついた風はイクサの神経を逆なでする。
「……あれが、お前の育ての親か」
しばらく無言で車を走らせていたランタナが、ぽつりと言った。なんとなく後ろに目をやったけれど、もう墓守の家は見えない。
視界には、町まで続く荒地が広がるばかりだ。
「あー、そう。ウォルフ。アネモネがちいさいときに俺を拾ったらしい」
聞かれてもいないのに、なぜかそう答えていた。
最低限のやり取りで終わらせようとするイクサに、ランタナがしつこく質問を重ねるせいだろうか、とぼんやり思う。そんな話、聞かされたところでランタナは楽しくもなんともないだろうに。
案の定、車内に沈黙が落ちる。
蒸気の立てるしゅんしゅんという音と、地面をタイヤが踏みつけるガタガタという音だけが聞こえる。
静かではない。けれど、耳に突き刺さるような沈黙が続いた。
「お前が」
不意に、ランタナが静けさを打ち破る。
「お前が常日頃、ろくに自分のことをしゃべらない理由がわかったような気がする」
「……ん?」
流れていく景色を眺めていたイクサは、ランタナの意図するところがわからなくて首をかしげた。
彼のことばに、いつものようにイクサに呆れているのとも違う響きを感じたのだ。
「ウォルフ、彼はどこの出か知っているか」
「んー……」
質問の意図がわからないながらも、イクサは記憶をたどる。
思い出すのは、いまよりちいさなアネモネを抱えていたウォルフの背中。あのころはまだ、町に出かけては仕事をもらって暮らしていた。
二人の子どもを連れたウォルフはいまより若くて、立ち寄った店のひとが「そんなちいさい子を連れて移住者かい、大変だねえ。どこから来たんだい?」などと言うのに「ええ、まあ、遠くから……」などとあいまいに答えていたように思う。
「……聞いたことない」
その後、しばらくして銃を置いて行った男が来てからは町に出ることもなくなってしまった。
交流を絶ったウォルフはますます寡黙になり、アネモネを守ろうと頑なになっていったように思う。
イクサはそんなウォルフを困らせないように、共にアネモネを守るためにはどうしたら良いかばかり考えていたから、ウォルフに訊ねることなどしなかった。
デイジーやタイムが来てから一気に騒がしくなったが、子どもたちがウォルフとアネモネの過去に触れるような問いをしたときにはアネモネがそれとなく話題を変えていたように思う。
「お前らしいと言えば、らしいが」
ぼうっと思い出していると、ランタナが呆れを多分に含んだため息をつきながら言う。
「よくもまあ、あの調子で子育てなどできたものだ」
「あー、それは俺も思う」
その点に関してはイクサも同意する。
何度、前を行くウォルフの背中を見失いそうになって必死に走っただろう。ここではぐれたらそのまま捨てられる、と転んでは起き上がり後を追った幼いころを思い出す。
「ていうか、俺が物心つく前は町のひとが手助けしてくれてたとか、アネモネが言ってたな」
「ということは、お前の育ての親はお前を育てられていないわけだな。どうしてそのような状態で子どもを預かったりするのか」
理解に苦しむ、と半目になるランタナに、イクサは首をかしげた。
「たまたま拾ったから手元に置いといたんじゃないのか。なんか、役に立つかも、って」
道具屋の主人がよくやることだ。何に使うのかよくわからない物を仕入れては「なにかに使うひとがいるかもしれない!」などと倉庫にためていく。そして、置き場所が無くなるたびに倉庫の整理をしては格安で売ったり手伝い賃代わりにイクサにくれたりする、あれだ。
何気なく答えたイクサに、なぜかランタナは苦虫をかみつぶしたような顔をして横目でにらんでくる。
「お前は本気でそう……思っていそうだな。お前のことだから」
何かを言おうとして諦めたらしいランタナに、イクサは首をかしげる。
本気もなにも、他にウォルフがイクサをあの家に置いていた理由はない。デイジーのように預けられたのでもなければ、タイムのように自分で居座ることを選んだわけでもないイクサがあの家にいるのは、ただ拾ったから以外になにがあるだろう。
「はあ……」
疲れたように息を吐いたランタナが、ブレーキをかけて車はゆるゆると速度を落としていく。
町はもう見えているが、あたりに蒸気三輪車を置いておくような場所はない。動力の水が底をついたわけでもなさそうだが。
「いいか、よく聞け」
車を停めたランタナが、ハンドルから手を離してイクサをまっすぐに見る。
切れ長の目に射抜くように見つめられて、イクサはよくわからないながらもうなずいた。
「要不要で側にいる者を選ぶのは、稀だ。確かに、その者の能力を買って雇うことなどはあるが、共に生活をする者に関しては、要不要で選択するなど……少なくとも私は聞いたことがない」
いつになく真面目な顔をしたランタナが何を言いたいのかわからなくて、イクサはすこし考える。
彼のひどく真剣な瞳を見るに、きっと「へー」と流してはいけない話なのだろう。
「んー……あー。あれだろ、家族っていうくくりの話」
考えて、けれど言えたのはそれだけ。ランタナはイクサの答えを聞いて、眉間のしわを深くした。
イクサが考えるのを待っていてくれた彼の望む回答ではなかったらしい。
「まるで、他人事のような言い草だな。あの家に住む者たちとて、家族ではないのか」
墓守の家の者たちが家族。
言われて思い浮かべてみるけれど、イクサはすぐにゆるりと頭を振った。
「ウォルフとアネモネは知らないけど。俺は拾われてあそこにいるだけ。デイジーは一時的に預かってるだけ。タイムはあそこの墓に家族が眠ってるから、そばで暮らしたい、って」
そうして集まった者たちが暮らしているだけの場所が、墓守の家だ。
それ以上でもそれ以下でもない。
「だから、家族じゃない」
ずっとわかっていたはずなのに、なぜかそう告げるとき、イクサは胸がじくりと痛んだ気がした。
このごろは怪我をしていないはずなのに、と胸をさするイクサを見ていたランタナが、ふい、と顔をそむけて蒸気三輪車のエンジンをかけた。
「……何にせよ、お前は今やなくてはならない存在だ」
「んー? あー、エリスアレスのとこ、人手足りてないもんなあ」
ランタナの「そういう意味では―――」という声は、ぶしゅう! と上がった蒸気の音にかき消されて聞き取れなかった。
がたがたと動き出した車が速度を上げるのを感じながら、イクサは後方に目をやった。
長く伸びた荒地の向こう、続いているはずの道は途切れて見えない。乾いた風の吹く視界に墓守の家は見つけられなかった。
―――そっか、もう要らなくなったんだ。
ウォルフの背中、アネモネの笑顔、タイムとデイジーの騒々しい声を思い出してイクサの胸は妙にすかすかする。
「……なあ、俺、あんたらの役に立ててるか?」
ほろりとこぼれた問いに、ランタナは間を置かず「ああ」と答えてくれた。
素っ気ない、いつも通りのランタナの声は、なぜかイクサの胸を締め付ける。
「そっか」
「ああ、エリスアレスさまの思い付き……お考えになることを実行するには私ひとりでは手に余る。それにナナンさまも、お前がいなければ寂しがるだろう。お前が今の立場では安定しないと考えるならば、すぐにでも私の部下として雇う手配を―――」
いやに饒舌になったランタナの声を聞きながら、イクサは後方に向けていた目を閉じた。
暗くなった視界のなか、車の振動とランタナの声だけを感じながら、イクサは助手席でちいさく丸まって町につくのを待った。




