5.「え、ウォルフ……?」
アネモネの荷物を運んだランタナが戻ってきて、墓守の家の扉までイクサに手を貸してくれた。待っているあいだに歩けば着くような気もしたが、そう思った途端にランタナの冷たい視線を感じた気がしておとなしく待つ。
きしむ扉の向こうには、外観を裏切らないボロい部屋がある。けれどランタナは顔をしかめるでもなく、ためらうこともなくイクサの肩を支えて室内に入った。
さほど広くない部屋のすみ、作業台に浅く腰かけたウォルフは窓の外を見て黙り込んでいる。
無言で、あからさまに威圧感を出しているが、ランタナは気にも留めない。
自然な流れで部屋の中央のがたつく机のまわりにある椅子のひとつに座らされた。ぎし、と明らかにきしんだ音をたてる椅子にランタナの眉がわずかに寄せられる。
「あなた……ええと、ランタナさんも座っていて。いまお湯を沸かしているから」
「いえ、私は」
アネモネが声をかけるのにゆるく首を振ったランタナだが、断りのことばをくちにするより早く、どたばたと想像しいふたり組が現れた。
「これ! この椅子がいちばんきれいだぜ!」
「きれい? わからない、けど、頑丈」
ぎしぎし鳴る床も気にせず駆けてきたタイムとデイジーは、協力して家でいちばん立派な椅子を運んできていた。
どすん、と下ろしたその衝撃で床といわず屋根までぎしぎしと音を立てたが、子どもたちはにこにこしている。
「……では、すこしだけお邪魔させていただきます」
わずかにためらったランタナがイクサの横に置かれた椅子に腰を下ろすのを見て、妙な感動を覚えた。
ランタナを相手に意見を通すには、問答無用で攻めて押し付けるのがいいらしい。
そう気づいて、けれど自分にはできないな、とイクサはすぐにあきらめた。
「はい、どうぞ。町長さんのところほど立派な茶葉ではないけれど」
アネモネのひと声とともに、ランタナとイクサの前の机の上に湯気の立つカップが置かれる。
お客さま用のいちばんきれいなカップのなかには、色こそ茶色いが明らかに紅茶とは異なる香りを放つ液体が入っていてランタナは首をかしげた。
「これは……紅茶ではないようですが」
「ええ。森で採った薬草をお茶にしているんです。体には良いから、お嫌でなかったらどうぞ」
アネモネの説明に、ランタナの椅子の後ろで立っていたタイムとデイジーがぴょんぴょん跳ねる。
「俺たちが見つけてくるんだぜ!」
「でもまちがいもあるよ? アネモネがだめなのぽいして、干すの。ね?」
言いながらきらめく子どもたちの目は「はやく飲んでみて、飲んでみて!」と訴えている。
小動物好きのランタナとしては子どもも範疇に入るのか、かすかに微笑むとためらいもなくカップにくちをつけた。
「……ふむ。香りは少々独特ですが、わずかに甘味がありとても飲みやすいです。私は好きですね」
「ほんとか! やったぜ!」
「デイジーも好き。いっしょね?」
ランタナに子どもたちが懐いているのを眺めながら、イクサはぼんやりと座っていた。
ゆるゆるとのぼっていく湯気の消える先を見つめていると、ランタナの声が名前を呼んだ。
「飲まないのか」
「んー? あー、あとでな」
イクサの返事に器用に片眉をあげるランタナを見て、アネモネがくすりと笑う。
「イクサは熱いの苦手だから。スープも、できたての料理も苦手。ね?」
「んー。まあな」
隠していたわけではないが、改めて告げられるとどうにも居心地が悪い。ランタナが「熱いのが苦手……? だから出来立ての食事を食べない……?」とつぶやいているのが聞こえて、なんとも言えない気持ちになる。
これは墓守の家を出たらまた「どうして言わない!」と説教されるパターンな気がする。
―――めんどうだな。
イクサがぼんやり思っていると、不意にぎしり、と重たい音が聞こえた。
「町で変わった様子はないか」
低く響くウォルフの声。
窓の外を向いたままの問いかけは誰に向けられたものなのか。いち早く答えたのはアネモネだった。
「明るくなってた。町長さんが変わったからかな、町の雰囲気がなんだか明るくなってた」
ことん、とウォルフの手元の窓辺にカップを置いたアネモネが「ね?」とイクサに話をふってくるので、イクサもぼんやりと思い出してみる。
「あー、そういえば、そうかも。このところ出歩いてないからはっきり言えないけど、あれか? 今回の子守りみたいに困ってるひとに町が手を貸してるからか?」
「であれば、お嬢さまも喜ばれる。町の活性化のためにほかの町との物流を考えたり、東国との交流をしたりと励んでおられるからな」
唇をわずかに上向けたランタナが言ったとき、窓辺でがたんっと大きな音がした。
目をやれば、こちらを向いたウォルフが立ち上がっている。
「東国、だと? 東国と交流をはじめたと言ったか……!」
「ええ。遠く海で隔たっていますが、豊かな国ですので交易の手はずを整えているところです」
「あー、それで使者が来るのか。っと、これはまだ言っちゃだめなことか?」
ランタナのことばについ相槌を打ったあとで、機密情報だったか、とイクサは焦る。
「いや。そろそろ町民にも通達するところだから、構わない。歓迎の意味を込めて町中で祭りをするつもりだ。お前も歓迎の場に出るのだから心構えをしておけ」
見やった先のランタナがゆるりと首を横に振ったのを確認してほっと息を吐く。
祭りと聞いたタイムとデイジーは歓声を上げて「行きたい!」「お祭り、おいしい?」とうれしげだ。
けれど、怒声は思わぬところからあがった。
「東国の使者だと!? 正気か!」
突如として大声を出したのはウォルフだ。
伸ばし放題の髪を振り乱し、ウォルフが声を荒らげる。
「イクサも歓迎の場に出ると言ったか!? あの国は権力第一主義が横行している。正式な場に孤児がいるとわかった瞬間に切り捨てられるぞ!」
「え、ウォルフ……?」
急な育ての親の激高に、イクサはついていけない。
自分よりもウォルフをよく知るアネモネにとりなしてもらおう、と視線をやれば、彼女もまた青ざめた顔で唇をわななかせていた。
「事情はわかりませんが、落ち着いてください。東国のトップはここ数年で入れ替わったと―――」
「帰ってくれ! もう来るな。俺たちのことはぜったいに話題に出すな。イクサ、お前もだ。ここに残るか、もしも町長について行くと決めたなら止めないが、東国と付き合う以上、もうこの家には近寄るな」
言いながらずんずんと近寄ってきたウォルフは、ランタナとイクサの背を押して家から追い出した。
わけがわからないうちに扉はばたりとしめられてしまう。
「えー、お祭り行きたい! イクサに連れてってもらう!」
薄い壁越しにタイムの声が聞こえるが、すぐにウォルフの「だめだ」というひとことで切り捨てられた。
「ごめんね、タイム。今回は本当にだめなの。ごめんね」
アネモネの済まなそうな声も聞こえるが、扉が開く気配はない。
難しい顔で扉を見つめていたランタナが、ちいさく息を吐いた。
「……町に帰るか」
「ん」
イクサはランタナの腕を素直に借りて、蒸気三輪車に向けて歩き出すのだった。




