「そういや、なんで俺だったんだ」
町長の家にある客間のひとつで起こされたイクサは、ご機嫌にゆれるナナンに尻尾を眺めていた。
ひろく清潔な部屋のなかにはイクサとナナン、そしてランタナがいる。
イクサが目覚めた翌日の昼下がり。
リサは仕事、アネモネはナオの世話。エリスアレスも町長として資料を確認しなきゃ、と席を外したこの時間。
起き上がった体勢に慣れてきたばかりのイクサとしては優雅に昼寝でもしたいところだが、それを許すランタナではない。
「食事をとれ。好物があるなら言ってみろ」
「やー、別に好き嫌いはないけど。腹減らないから別にいい」
布団に戻ろうとするイクサをにらんだランタナは、深くため息をついて部屋を出て行った。
あきらめてくれたか、とイクサがいそいそと引き上げた布団をかぶるより、ランタナが戻ってくるほうが早かった。
「寝るな。座っていろ。それではいつまで経ってもベッドの住人だ」
「あ、俺その永住権ほし……なんでもないデス」
あばら家で過ごす冬の夜よりも冷たい視線を向けられて、イクサはすぐさまくちをつぐむ。やわらかな布団との別れを惜しむイクサにあからさまにため息をついて、すぐそばの椅子に腰をおろしたランタナのひざには果物の乗ったかご。
「ナナンなら、さっき食べてたろ?」
「……お前のだ。もう黙って待っていろ」
そう言われてしまえば、手にした果物をきれいに拭いて剥きはじめたランタナを見守るほかできることはない。朝食に温められた牛乳を飲んだからじゅうぶんだ、なんて言えば食べ物を手あたり次第くちにねじこまれかねない。
静かな部屋にしょりしょりと果物の皮をむく音が聞こえる。
ランタナが器用に長くつなげてむいている皮をナナンが熱心に見つめていた。
果物をまわす動きに合わせて細長い皮がゆれる。それといっしょにナナンの尻尾もゆれる。
ベッドに腰掛けてナナンの尻尾を眺めていたイクサは、ふと思い出した疑問をくちにした。
「そういや、なんで俺だったんだ」
「質問は意図を明確にしろ。推測を要する質問は誤った回答を導く可能性が高い」
すぱり、と切り捨てながらも、ランタナは切り分けたばかりの果物を乗せた皿をイクサに差し出してくる。
受け取ったイクサが皿をそのままナナンの前に置けば、すかさずランタナが取り上げて今度はイクサの膝に乗せられた。
「お前が食べろ。寝るだけでは治る傷も治らない」
「あー、わかったわかった」
ランタナににらまれ、ナナンにも皿をぐいぐいと押し付けられてイクサは瑞々しい果物のひとかけらをくちに押し込んだ。
甘い。
どう見たってナナン用に特注した果物は、イクサが知るたたき売りされている果物とは全くの別物だった。
「それで、なんの話だ」
「んん?」
これだけ甘い果物をデイジーやタイムに出したなら、黙って競い合うようにくちに押し込むだろう。そんなことをぼんやり考えていたイクサは、ランタナに問われて首をかしげた。
果汁で汚れた手を拭っていたランタナは、眉間にしわを寄せる。
「さきほどの質問だ。なぜ自分だったのか、とだけ問われて答えられると思うのか」
「あー。それ」
もごもごとくちのなかを空にしたイクサは「そうそう」と緩く頷いた。
「あんたらがナナン探しのために雇ったのが、なんで俺だったのか、って思って」
自慢ではないが、イクサの名を知っている者はこの町に数えるほどしかいない。墓守の家の面々を町のひとに数えなければ、片手でおさまりかねない。それほど知名度がない。
なにせ人づてにあれを手伝ってくれ、これはできるかと話をもらって何でも屋をしているだけなのだ。知名度の上がりようなどないに等しい。
それなのになぜ、町長になりたてのエリスアレスがイクサを名指しで何でも屋として雇ったのか。ずっと疑問だったのだ。
「探偵してるおとなもいるだろ。あのひとらのほうが事務所構えたりしてるのに」
「探偵はだめだ。動物の扱いが荒すぎる」
イクサの問いはランタナに切って捨てられた。
ひたり、と向けられたランタナの瞳にときおり宿る熱を見つけて、イクサは「まずいこと聞いた」と思ったが、もう遅い。
「ナナンさまのお姿が見えなくなって即座に、探偵事務所は回った。けれどそのどれもが、動物はエサでおびき寄せて罠にかければ捕らえられると答えたのだ。わかるか? ナナンさまのことを罠にかけると言ったのだぞ!」
瞳をかっと見開いたランタナは、がたりと椅子を鳴らして立ち上がった。
ベッドのそばにひざをつくと、イクサのひざに丸まっているナナンを愛おし気に眺めてまたくちを開く。
「このように愛らしく、美しい生き物を罠にかける。そんなことが許されると思うか? いいや、許されるわけがない。ならば探偵などに任せるわけにいかない。けれど私自身が探しに行こうにも、エリスアレスお嬢さまをおひとりにするわけにもいかない。そこで、ナナンさまにお怪我をさせない捕獲器を求めて町の道具屋に行ったところ―――」
「あー、わかった。あのおっさんだな、整理整頓が苦手な道具屋の」
ずらずらと長いランタナのことばを皆まで聞かずとも、イクサは理解した。
はじめて会ったときから何かとイクサに絡んでくる道具屋の主人だ。すこし前にも、倉庫の整理を手伝った際に不用品だと色々なものをもらった覚えがある。
「そうだ。その主人が、大切な愛玩動物に怪我させず捕まえたいなら適任がいる、と紹介してきたのがお前だ」
「適任、ねえ」
「貧相ななりをした色味の薄いやつだ、という説明に不安はあったが、優先すべきはナナンさまの身の安全であったからな。藁にも縋る思いで探したのだが、会ってみて藁よりも頼りないと不安が増すとは思わなかったが……」
ずいぶんな言いようだが、イクサの身なりが貧相なのは事実だ。
黙ってふたつめの果物をくちに放り込んだところへ、ランタナがさらりと付け足す。
「結果として、頼んだのがお前で良かったと思っている」
「んんっ!?」
思わぬことを言われてうっかり噛まずに果物をのみ込めば、途端にランタナの視線が冷たくなる。
「きちんと咀嚼しろ。ナナンさまが真似してのどに詰まらせでもしたらどうする。エリスアレスお嬢さま同等の食事マナーを身に着けろとまでは言わないが、ナナンさまが真似されて恥ずかしくないだけの振る舞いをするように心がけろ。そのためにもまずは、真っ当に食事をとることを覚えろ」
「……あー、はいはい」
「返事は短く、一度でじゅうぶんだ! そういう細かいところをだな―――」
またはじまったランタナの長い小言を聞き流しながら、イクサはもうひとつ果物をくちに放り込む。
ひざの上ですっかり落ち着いたナナンがちらり、と薄目でイクサとランタナを見て「ンナ」とひと声鳴いた。それはまるで、くすりと笑うような声だった。




