19.「いや、自主的に汚れてるわけじゃ」
憎らしいことばかり言うランタナでも、こんなときに見ればうれしくなるものだ。
変なやつだが、ある一定の物事に関しては信頼がおける。
「ナナンを―――」
イクサが皆まで言うよりも早く、ランタナはそばで転がる青い毛並みの獣に気が付いたらしい。
「ナナンさまッ!」
血相を変えて一足にイクサを通り過ぎた優秀な従者は、きれいに折り目のついたズボンが汚れるのも構わず地に膝をついた。
「ああ、ナナンさま。なんとお労しい! さぞや恐ろしい思いをされたことでしょう。いいえ、なにも言わずともこのランタナにはわかります。そのうるんだ瞳を見ればすべて、わかります。ひどい目にあわれましたね。お体に傷はございませんか? それは不幸中の幸いでございます。けれど、ああ……麗しい毛並みが乱れてらっしゃる」
早口でまくしたてながら、ランタナの手は素早くやさしくナナンに巻き付けられた布をほどいていく。
あっと言う間……ではないが、ランタナがひと息に喋る間にくちを覆う布も手足を縛る布も外されたナナンは、ぶるりと一度体を震わせた。
そしてすぐさま駆け出そうとするちいさな体を、ランタナがそっと抱き上げる。
「ナナンさま、無理をされてはいけません。ここはこのランタナめにお任せくださいませ。ええ、ナナンさまに苦痛を与えた相手はわかっておりますとも。あなたさまの心の傷を癒やすやめにもこのランタナ、諸悪の根源ともいえるあの男たちにあなたさまが与えられた以上の苦痛と恐怖と絶望を感じさせることをお誓いいたします。どうぞ、あなたの僕でありたい私めの働きをここで御覧になっていてくださいませ」
腕から抜け出そうともがくナナンをやさしく自身の上着でくるんだランタナは、ナナンをそっと地面におろして立ち上がった。
「くそっお前、大地主のとこにいたやつだろ! おれたちを捕まえにきたのか⁉︎」
くるりと振り向いたランタナに、ガラの悪い男が銃を向けながら吠える。
もうひとりのならず者も静かながらもランタナの動きを警戒しているようで、油断なく短剣を構えてランタナを見つめている。
「大地主さま? いいえ、私の主人はエリスアレスお嬢さまただひとり。けれど同時に、ナナンさまの健やかなる暮らしをお守りしたいと願っているのです!」
「うっ……⁉︎」
言い放つとともに、端正な顔を冷たく怒らせたランタナに睨まれて、ならず者たちがたじろいだ。
―――相変わらず、ただの従者というには眼光のするどい男だ。
ならず者たちが気圧されているうちに、とイクサはよろけながら体を起こす。
上等な上着に包まれたナナンが心配げに「ナァーン、ナァーン」と鳴くのにひらりと手を振って返せば、なぜかランタナの眼はイクサまでも射抜いてきた。
「ナナンさまの尊さを理解できない愚か者どもは、そこに直りなさい。ナナンさまの尊さをその身に刻み込んでやりましょう!」
「え、俺も……?」
思わず自分を指差して聞けば、ランタナにギロリと睨まれる。
ふらふらと起きあがったイクサをうえからしたまでじろじろと眺めて、ランタナは深くため息をついた。
「お前には、ナナンさまの従者としての自覚が足りていない」
「いや、まあ、違うし―――」
「ナナンさまをその腕に抱える栄誉を与えられながら! なぜお前はいつもいつもいつも! すぐそのように薄汚れた格好になるというのか。私にはまったく理解できない!」
「いや、自主的に汚れてるわけじゃ―――」
イクサの否定はなめらかに無視され、ランタナは流れるように続ける。
「そもそも、だ。そのような貧相ななりでナナンさまをあらゆる脅威からお守りできるか? いや、できない! であるならば、ナナンさまをひとめ見た瞬間から、お前は自分を鍛え上げる義務が生じているわけだ」
「……あー、うん?」
「だというのにお前は怠慢に怠慢を重ねて、一度ならず二度までも傷だらけになって。そんなことでナナンさまの従者が務まると思っているのか! その怪我を治したら、お前の根性を鍛え直してやろう」
何を言っても無駄だと悟ったイクサは、沈黙こそがこの場を切り抜けるための最高の返事だと悟った。
ありがたいことに、顔を真っ赤にしたガラの悪い男がランタナに食ってかかろうとしている。
「てめえ! 急に降ってわいたかと思ったらおれたちを無視しやがって! お前のスカした態度が気に食わなかったんだ。ちょうどいいから、そこのガキとまとめて始末して―――」
急にまばゆい光に包まれて、一同の目がくらむ。それぞれが目を細めているそこへしゅぱん、と空気を切る音がしたかと思うと、男が握っていた銃が忽然と消えた。
「え?」
空になった自分の手を見下ろして目を見開く男の後ろから、こつりと靴音を鳴らして姿を現したのは豪奢な金髪を宙に遊ばせた美少女だ。
背後からの光に照らされて、ただでさえ目立つ金髪が夜闇にきらきらと輝いて見える。
「あらあら、どこで手に入れたのかしら。大地主は労役を課した者にこんな銃を許していないはずだけれど?」
「なっ、か、返せ!」
首をかしげて見せるエリスアレスの手のなかには、男が持っていたはずの銃がある。もう一方の手に持った鞭でからめとったのだろう、と彼女の鞭さばきの正確さにイクサはこっそり感嘆した。
「お前、どうやって俺の銃を……!」
焦りと怒りとが入り混じった顔で、ガラの悪い男がエリスアレスをにらみつける。大の男ににらまれた彼女は、けれどけろりとした顔で男を見返した。
「今のを視認できないようでは、わたしの敵には―――」
「ははっ。これはまた、気の強そうなお嬢ちゃんがきたもんだ」
エリスアレスのことばを遮ったのは、喜色にまみれた男の声。いつの間に忍び寄ったのか、嗜虐趣味の男が刃こぼれした短剣を彼女の細い首に添わせていた。
銃を乗せたエリスアレスの手を捕まえて、男が短剣を彼女の首にじわじわと押し当てながら笑う。
「良い子だ。あそこのいけ好かない男が抵抗しなくなるよう、泣いてくれよ。『このままじゃあたし、殺されちゃうー』ってさあ」
「お前、ほんと性格悪いのなあ」
エリスアレスの真似のつもりだろうか、気色の悪い裏声で言ってみせる嗜虐趣味の男を見て、ガラの悪い男は一気に余裕を取り戻した。
げらげら笑いながらイクサたちに背を向け、男はエリスアレスのそばへ行くべくゆったり歩き出した。




