3.「……断り損ねた」
室内に満ちた微妙な空気を払拭するかのように、かわいらしい咳払いがひとつ。
「おほん。ええと、それで何でも屋のあなたに依頼したいのよ。きのう町に入った後の行方がわからないから、きっとまだ町の近くにいるはずなのよ。何でも屋さんなら、いろいろなところを歩き回っても不審に思われないでしょう?」
「まあ、それはそうだけど。依頼のことは他言無用ってわけだな?」
「ええ! そのぶん、報酬は弾むわよ」
厄介ごとはごめんだ、と断りかけたイクサだったが、エリスアレスがぴらりと見せた紙を見てぴたりとくちを閉じた。
「……口止め料込み、か」
「ええ。足りないかしら?」
足りないどころか、イクサが日ごろ得ているひと月分の稼ぎよりも多い。贅沢をしたいわけではないし今月の稼ぎが特段少ないわけではないが、金が多くて困ることはない。
ややあって、イクサはため息をひとつ。
「わかったよ。引き受ける」
「うれしいわ! それじゃ、捜す対象の姿絵を持って行ってちょうだい。ランタナ」
輝くような笑顔を見せたエリスアレスが声をかければ、ぶつぶつとつぶやいていた男がすっとイクサに近寄った。差し出されたその手には、筒状に丸めてリボンでくくられた一枚の紙がある。
「万一を考えて、この紙には対象の姿しか描いておりません。依頼の内容については」
「誰にも言わない。俺が持ってる紙の絵は、あー……俺が愛でる用ってことでいいか?」
みなまで言わせずにイクサが手のひらを向ければ、それでいいということなのだろう。軽い紙筒がぽんと乗せられた。
ざらつきの少ない、良質な紙だ。
紙まで品の良い落ち着かない空間からさっさと出ようと扉を目指すイクサの背中に、明るい声が飛ぶ。
「あ、言い忘れていたけれど、報酬額は一日経つごとに減らすからね。悪いけれど、こちらも急いでいるのよ。お金がたくさん欲しいなら、できるだけ早く見つけてきてちょうだい。期限は七日間でお願いするわ」
「……りょーかい」
悪びれないエリスアレスのことばに、イクサはがっくり肩を落として今度こそ部屋を出た。その後ろにランタナが続く。
引き受けたその足で帰ってひと眠りしようと思っていたのに、とぼやくこともできないイクサは、長身の男に連れられて一階に降りた。
「どういうとこが好きかとか、なんかある?」
ランタナの手が玄関扉を開ける前に問いかけると、ぴたりと動きを止めた彼はふむ、とあごに手を当てて思案する。
そんな仕草がとても様になっていて、なんだか腹立たしい。
「私もじかに拝見したことはないので、伝聞でしか存じ上げないのですが」
くちを開いたランタナは恥じるように言って、続ける。
「基本的に人懐こい性格らしいのですが、ひとの悪意を感じとると姿を隠してしまうとのことです。長い耳をお持ちですから、その愛らしい耳で察知するのでしょうか。明るいところ、緑の多いところ、風の通るところを好む、とも聞いております。繊細なのですね、なんといじらしい。また、気分の良いときには素晴らしい鳴き声を聞かせてくれると聞き及んでいます。それは笛の音のように優美で、瑠璃色の艶めいた毛並みと相まって歌姫と呼ばれることも」
「わかったよ。もう十分。じゃあ、俺はもう行くから」
うっとりと告げるランタナからそっと距離を取りながら、イクサは建物を出た。
くれぐれも頼みますよ、と飛んできた声から逃げるように、きらびやかな町中を早足で歩いていく。
町の中央は金持ちが多いとあって、道の真ん中を蒸気三輪車が走っている。
通り過ぎるときに吐き出される蒸気を避けて、自然と歩行者は道の端に追いやられるものだからまったく歩きにくい、とイクサは遠ざかる蒸気三輪を見送った。
しばらく行くと、だんだん店が雑多になってくる。
お高い蒸気機関は姿を消して、質素で薄汚れた町並みが幅をきかせる。
道ゆくひとの着るものも擦れて色あせたものばかりになると、イクサもようやく落ち着いてきた。そしていつもどおりのだらだらとした足取りを取り戻す。
「おう、何でも屋! 来週、倉庫の整理をするから手伝ってくれよ」
ひとや人力の荷車でごちゃついた道を歩いていると、威勢のいい声が聞こえてきた。
イクサがゆるゆる振り向いた先では、道具屋の店主がにかっと笑っている。
「あー……俺、財布より重たいものは持たない主義なんだよな」
「寝ぼけたこと言ってねえで、頼んだからな! 処分する物が出たら、報酬とは別に持ってっていいからよ」
断りたい気持ちでいっぱいのイクサだが、前回の整理を手伝った際に見た道具屋の倉庫を思い出して思いとどまる。
倉庫のすみに、半端な大きさの布の束が置きっ放しになっていたはずだ。
そのうち欲しいやつが来るかも知れん、と店主が言うから埃を払って元に戻したが、この店主のことだ。きっと忘れているだろう。縫い繋げば布団の二、三枚は作れそうな量だった。
「……まいどあり。ひとつ聞きたいんだけど、珍しい獣を見なかったか?」
渋々ながらも引き受けて、ついでとばかりにイクサは聞いてみる。
道具屋の店主は手にしていた商品を抱えなおして首をかしげた。
「なんだ、今日は朝から色街の雨どい修理してたのに、もひとつ仕事か? 珍しく勤勉だな!」
「……断り損ねたんだ。青い毛のうさぎみたいなやつだって」
自身が仕事熱心とは言えないと自覚しているイクサは、道具屋の店主のことばを否定しない。
受ける依頼は一日ひとつ。無理はしないのがイクサの方針だ。
いつも通りやる気のないイクサの態度にやれやれ、と肩をすくめた道具屋の店主は、あごをさすりながらくちを開いた。
「あー、特に見てねえし聞かねえなあ。最近の出来事と言やあ、きのう荷運びの連中がちょっと騒いでたくらいだな」
「ふーん……」
目的の愛玩動物が逃げたのもきのうって言ってたな、と思い出したイクサは「なんか見かけたりしたら声かけてほしい」と言って歩きだす。
「あ、おい。倉庫整理、頼んだからな! 来週だぞ!」
道具屋の店主の声にひらひらと手を振って返し、イクサが向かうのは飲み屋だ。
表向きの看板は飯屋だが、真っ昼間から酒を出す店として労働者たちがよく集まる。
そうなると当然もめ事も多くなって、イクサとしては出来る限り近寄りたくない店だがそうも言っていられない。
愛玩動物探しを引き受けた以上は、目撃情報を探さないわけにいかないだろう。
とは言え、イクサが張り切るわけではない。相変わらずやる気のない様子で町のなかをとろとろと歩いていく。
しばらく行くと、目的の店から「あ!」と声があがった。
「何でも屋! ちょいと給仕係しておくれ!」
そう言ってイクサに駆け寄ってきたのは料理屋の女将だった。
「え、いや今はちょっと」
「寝床に帰りたいとか言うんだろ? ほんのしばらくでいいからさ! 働いてぐっすり寝たほうが気持ちいいもんさ。さあさあ急いだ急いだ!」
有無を言わせぬ女将に捕まえられて、イクサは引きずられるようにして料理屋の裏手に向かった。