17.「―――どっちも最低だな」
にたにたと笑う男は、けれどイクサにとびかかって来ることはない。
イクサごとき逃げたところですぐ追いつけると思っているのか、それとも逃げる獲物を遠くから撃って遊びたいと思っているのか。
男がなにを考えているのかわからないが、知りたくもないのでイクサは音をたてないようにじりりと後退する。
―――このままゆっくり後ずさってから走れば、逃げられるか。
イクサがそう考えた瞬間、ナナンが長い耳をぴくりと動かした。すぐに、抜けて来たばかりの家の合間からどたどたと騒がしい足音が聞こえて来る。
「おお! すげえな、お前の言うとおり本当にこのガキここに出て来たぜ!」
間も無く姿を見せたならず者その二は、イクサの背後を取ってうれしそうに声をあげた。
その発言の意味がわからなくて眉を寄せれば、ゆっくりと歩み寄ってきていたもうひとりの男が眼前でにぃっと唇をつり上げる。
「お前はひとのすくない道を通ると思ったんだ。そういう、かっこつけの顔してる。それに、行き先はさっきの女が逃げたのとは別の方向だろう? だったらこのあたりに出るはず、と思ってな」
イクサが町の細い通りに詳しいように、男もまたひとの逃走経路に詳しいようだった。ぺらぺらと語られる分析の通りの行動を取った自分に歯噛みするが、いまさら遅い。
男二人から逃げきれるほどの俊敏さも体力も持ち合わせていないイクサは、嫌らしい笑みを浮かべる男をにらみつけるほか何もできない。
にらみつけたところで、男は一層うれしそうに笑みを深めるばかりだ。
「お前みたいな、弱いくせに英雄を気取るやつはときどきいるんだ。おれはそういうやつを踏みにじるのがだーいすきでなあ」
男は手にしていた拳銃をホルスターに戻して、太ももに巻かれたベルトから短剣を抜き取った。
明らかに手入れされていない歯こぼれした短剣の刃を何気ないしぐさでイクサの頬にすりつけてきた。ざりざりと短剣が触れた箇所が熱を持ち、ぴりぴりと痛む。何よりも、刃物が皮膚を壊していく感触が気持ち悪い。
男はわざと傷口に息を吹きかけながら笑った。
「なあ。お前の逃げる経路に正解したんだから、ご褒美くれよ」
「っ!」
浅く傷つけたイクサの頬ににじむ血を舐めながら、男が熱い息を吐いた。
傷口を舐められて、気持ちの悪さと痛みとに思わず顔がこわばるのを男はさもうれしそうに見下ろして、ささやく。
「ご褒美はお前の命。なあ?」
「ンーナンッ!」
男の振る舞いに我慢ならなかったのか、ナナンが鳴いて前脚をふるった。
イクサの肩のうえから繰り出されたそう長くない前脚が男に当たるけれど、威力などないに等しい。ナナンの爪は丁寧にやすりがかけられ、いつだって丸く短く整えられているからだ。誰がしているかは、言うまでもないだろう。
そんなわけでナナンの肉球に頬を叩かれた男は、わずかに身体を逸らしただけでまたにたにたと笑う。
「おおっと。この獣、ご主人さまを守ろうってか? いいねえ、おれそういうの大好きなんだよ。健気に頑張るか弱い生き物をいたぶるの!」
「お前、相変わらず趣味悪いのなぁ」
背後に立っていた男が嫌そうな声をあげる。ガラは悪いが、こちらのほうがまともな感性を持っているらしい。男たちがふたりそろって嗜虐趣味でなかったことにイクサはすこしだけほっとした。痛いのは好きじゃない。
「こんなやつ一発ズドンと撃って、そこの獣の皮を剥いで売った金でさっさと一杯やりに行こうぜ!」
「ナンッ!?」
ガラの悪い男のひと言で、ナナンがぶわりと青い毛並みを逆立てた。
前言撤回。こちらの男もまともな感性は持っていない。気が短くて自己中心的な考え方をする男もお断りだ。嗜虐趣味と比べればすこしマシ程度だ。
―――どっちも最低だな。
イクサは胸のなかで吐き捨てながら、現実にはそろりと両手をあげた。
「あんたら、暇なら俺に構ってないで逃げたら? 大地主のところから逃げ出してきたんだろ。のんびりしてていいのか」
こんなとき、非力な何でも屋にできるのは時間を稼ぐことだけだ。現状を打破できる妙案もなければ助けが来る予定もないけれど。
「ああ!? くそっ。それというのもお前がおれたちを妙な技で眠らせて、縛り上げやがったせいだろう! おかげでおれたちゃこき使われて……安心しな。この恨みを晴らしたら、こんな町からはさっさと出て行くぜ」
「そうそう。気持ち良い旅にするために、わざわざお前を探しに来たんだよ。喜べ、今夜はお前をいたぶるためだけに来てやったんだ」
残念ながら男たちの目的は一致しているらしい。イクサが選べるのはひと思いに殺されるか、いたぶり尽くして殺されるかのどちらかだけ。
―――死ぬのが怖くなくとも、この男たちを満足させるために死ぬのはごめんだな。
イクサがぼんやりとそんなことを考えたとき。
視界のすみに青い光がじわりとにじんだ。
驚いて首を巡らせれば、夜闇にじわりと広がる青い光が目にはいる。
けして強い光ではない。蒸気燈のように眩しくはない、やさしくやわらかい青い光。
その光はナナンの額の石を中心にして、にじむように広がっていた。
「な、ナナン?」
額の石を輝かせたナナンは、イクサの声に応えずちいさなくちをぱかりと開けた。
その姿を見て、イクサは思い出した。
ナナンの額の石が光るのは、これがはじめてじゃない。
ならず者の男たちに追い詰められた丘でも、ナナンの額の石は光っていた。あのときは陽光を跳ね返しているだけかと思っていたが、いま目の前のナナンは夜闇のなかで明らかに光を放っていた。
そして、光をまとったナナンはちいさな体いっぱいに空気を吸い込んで一層、額を光らせる。
―――石が光って、それでナナンが鳴いて男たちが眠って……。
以前の出来事を思い出したイクサは、ナナンの動きを見守った。
ナナンは石の光にきらめく瞳で目の前の男をにらみ、吸い込んだ息に音を乗せて―――!




