14.「服なんて着られりゃいいけどさ」
山高帽を被った男は、飾りボタンがやけに目立つシャツに主張の激しい蝶ネクタイを締め、派手な模様のベストのうえにジャケットを着ていた。
シルエットだけを見れば紳士然としているが、服の仕立てはさほど良いとは思えない。エリスアレスやランタナの服を見慣れてしまったイクサには、男の着ているものはどうにも洗練されていないように見えた。
「リサ。探したよ。急にいなくなるから驚いた」
「あ、あなた……」
親し気に笑みを浮かべる男に見つめられて、リサはじりりと後ずさりする。
ゆっくりと距離を詰めた男は、リサの腕のなかの赤ん坊を見つめてにっこりと笑う。
「ああ、良かった。僕の息子は元気そうだね。君がそんな勝手をするとは思わなかったよ。赤ん坊に無理をさせてまで、僕の元から奪っていくなんて」
当てつけがましい男の物言いに、けれどリサは傷ついたようにぐっとくちを引き結んだ。
リサが傷つくだろうことばを的確につかう男の正体にイクサは見当をつけて、男とリサのあいだにするりと割り込んだ。
「君、邪魔だよ。ひとが話しているのがわからないのかい。リサも、僕から乗り換えるならもっとましな男にすればいいものを」
イクサを見下ろした男は、明らかな侮蔑を視線に込めて吐き捨てた。
冷たい視線に晒されて、イクサの肩でナナンが毛を逆立てて唸り声をあげる。
イクサはなにを言われようと気にもならないが、リサは耐えられなかったらしい。
「ちがうっ、そのひとは!」
「あんた、その飾りボタンはないな」
悲鳴のように叫びかけたリサを遮って、イクサは男の恰好をまじまじと見た。
「服なんて着られりゃいいけどさ。でも、赤ん坊を抱っこするつもりで来てるならそんな馬鹿でかい石のついたシャツはやめとけ。ナオが怪我する」
「なッ」
ファッションのことなどわからない。イクサにとっては服など、せいぜい穴が開いているか開いていないかくらいの差でしか判断できない。
けれど、赤ん坊を抱っこするときは尖ったものを身に着けていてはいけない、ちいさな装飾品も危ないということは知っている。
「それに、指輪もだめだ。尖ってるやつは刺さるかもしれないし、石がはずれそうなやつは危ない。赤ん坊はなんでもくちに入れるからな。石ころが取れてナオのくちに入ったらどうする」
「なにを!」
いずれも墓守の家で子守りをしたときに覚えた教訓だ。赤ん坊にちいさいもの、だめ絶対。やつらは何をしでかすかわからない。
イクサなりに学んだことを伝えただけなのだが、男はなぜか顔を真っ赤にしてことばに詰まっている。
肩のうえではナナンが「ナン、ナン」と深く頷いているから、きっとイクサは間違ったことは言っていないはずなのだが。
「リサ、帰ろう」
「え? え、ええ」
固まってしまった男を置いて、イクサはリサに向き直った。
はやいとこ彼女を送り届けて、部屋に帰って布団をぎゅっと抱きしめたい。本日は口やかましいランタナがいなかったから、ナナンはこのままイクサの部屋に連れて帰ればいい。
戸惑いぎみのリサの肩を押して歩き出したところで、後ろからうなるような声が聞こえた。
「待てよ……僕を馬鹿にして、そのまま行かせると思ってるのか」
山高帽のしたの影から、絞り出すように男が言う。わずかに見えるくち元は、ぎりぎりと食いしばられているようだ。
「別に、馬鹿にするつもりで言ってない。赤ん坊に対する付き合い方を言っただけ」
「それが馬鹿にしているっていうんだ!」
吠えるように発せられた男の怒声に、リサが肩をびくりとすくめた。その腕のなかでナオの顔がくしゃりと歪み、真っ赤になってくちを大きくあける。
「ぎゃああぁぁぁ!」
「うるさい! はやく泣き止ませろよ!」
腕のなかで反り返り全力で泣く赤ん坊を落とさないよう、必死で抱え直すリサにも男は怒鳴りつけた。
体を固くしたリサを隠すように、イクサは男の正面に立つ。
「赤ん坊は泣くものだ。うるさいと思うならあんたが耳ふさいどけ」
「お前も! お前も、なんなんだよその態度は! 僕はフラートの町のスミス商店の息子、マイケル・スミスだぞ!」
つばを飛ばして怒鳴り散らす男、マイケルにイクサは首をかしげた。
「いや、知らないけど」
「ンナーン」
ナナンも肩でうんうん、とうなずいている。
フラートと言えばリサが最近まで暮らしていた隣町、ということしか知らない。イクサは町と墓守の家以外の場所に行ったことはないし、異国からやってきたナナンもチロックの町しか知るはずがない。
そのことを正直に告げれば、マイケルはますます激高したらしい。煮えたぎるような瞳でイクサを射抜いて、体をふるわせている。
「リサ、これ」
「え」
男の怒りがすべて自分に向いているのを確認したイクサは、後ろ手で蒸気燈をリサに差しだした。
「エリスアレスのところ、行けるだろ。走らなくてもいいから、できるだけ急いで」
「でも、あなたが!」
「俺はまあ、大丈夫だろ。ナナンは自分で逃げられるし、俺もあんたが逃げ切ったら走って帰るから」
はやく逃げろ、と伝えるも渋るリサに、イクサはちらりと視線を向けた。
怯えの見える彼女の目には、けれどナオを守りぬこうという強い意思も同時に宿っている。
その目を見て、イクサはくちの端を歪めた。
「あんたの一番大切なものはなんだ。俺か? ちがうだろ。あんたはあんたの大切なものを守れ。俺は俺で、自分を守って生き延びる」
イクサのことばにリサはわずかに目を見開いた。彼女が震えるくちびるで何かをつむぐより早く、イクサの前で男が笑う。
「そんなこと許すはずがないだろ。その女は僕の嫁だ。その赤ん坊は僕の子だ。逃げるなんて、許すわけがない!」
「何言ってんだ。あんたがリサを捨てたんだろ」
「ああ、そうさ! 通信手をしていたからって偉そうに、働きに出たいなんて言う女は僕にふさわしくないからね! だけど、町を出るなんてありえない。僕の姿を遠くに見ながらみじめに暮らさなきゃいけないのに、その女は逃げたんだ!」
支離滅裂なマイケルの発言に、イクサはいよいよ布団が恋しくなった。これは、事態が落ち着いたらまた町長の家の客間で寝させてもらってもいいくらいだ。
「あー、わかった。いや、わからないけどもういいや。リサ、行け。あんたはナオを守ってやれ」
「……ありがとう」
呆れてため息交じりに告げれば、リサは短く言って駆け出した。
「まて!」
追いかけようとするマイケルの脚を引っかけて転ばせて、イクサは背中の布袋に手を突っ込んだ。
「さて。赤ん坊に見せられないおもちゃの出番かな」
取りだした回転式拳銃を構えて、マイケルに向ける。
蒸気燈が遠ざかり闇に包まれたなかで、回転式拳銃が静かに黒光りしていた。




