13.「めんどくせえけど、あんたにこき使われてやる」
町長室のなかにリサの楽し気な笑い声が広がる。
エリスアレスはふん、とそっぽを向いて「この話はまた今度ね」と重厚な机をぐるりと回り、すこしシンプルになった町長の椅子に腰かけた。
「それでどこまで聞いたのだったかしら。そう、あなたがこの町に来た理由までだったわ」
「はい。チロックではこのごろ思念伝達機を導入したばかりで、通信手を探しているということで。それに、同じ職場の子のおばあさんが就業中の子守りをかって出てくれて」
エリスアレスの「また今度」ということばにイクサがおののいているうちに、彼女らの会話は進んでいく。
「けれど、そのおばあさんが一昨日から腰を痛めてしまって。ナオを預かってくれるひとが見つからないまま、仕事も休めないし働かないと食べていけないしで、どうしたらいいのかわからなくなっているときに、町長さまからの通達を同僚が教えてくれて」
「通達?」
イクサが首をかしげれば、エリスアレスが引き出しから出した紙をひらりと振って見せた。
ちらちらと動く紙面に見える几帳面な文字は、ランタナのものでもエリスアレスのものでもないようだ。
「これ。生活のなかで困っていること、手助けが欲しいと思っていることがあったら町長まで、っていう文書をつくったのよ。まずは郵便屋なんかの大きいところに配って、個人の家に配る分はこの建物のなかで蒸気印刷機が大量に刷ってるところだわ」
「え、というとことは、これからリサみたいな依頼が増えるってことか……?」
「そうね。増えないほうが良いけれど、困っているひとはリサさんだけじゃないもの。ほかにも、町として見過ごせない相談があればあなたにどんどん行ってもらうことになるわよ、何でも屋さん」
そうなれば、稼ぎは各段に良くなるだろう。いつあるともわからない仕事を待ってぼうっと座っていることもない。
これまでのイクサならばほどほどに働いてほどほどに稼げればいい、と断っていただろう。
「はあ……。めんどくせえけど、わかった。やるよ。あんたにこき使われてやる」
「ふふ。素直でよろしっくてよ。がんばって稼いで、あなたの家のみんなの暮らしをより良くしてちょうだいな」
エリスアレスはイクサの働く動機が墓守の家だけだと思っているようだった。確かに、補助金を断ったウォルフへの気持ちもあるにはあるが。
「あんたの目指す町はきっといい町だから。あんたを手伝うのも悪くないかな、って思ったんだよ。めんどくさいけど」
嘘偽りないイクサの本心をこぼせば、エリスアレスはぴたりと固まった。
イクサを見つめたままぱちぱちと瞬きする彼女は、見ている前でみるみる顔を赤くしていく。
「どうした? 顔が赤い」
「っあ、あなたがそういうことを急に言うから!」
「そういうこと? 思ったことを言っただけなのに」
「もうっ、だから! そういうことです!」
不思議に思ってたずねてみれば、なぜかエリスアレスは怒ったように眉を吊り上げた。けれど勝気な瞳がうるんでふるふると揺れるものだから、すこしも怖くない。
ますますわからなくて首をかしげるイクサに、エリスアレスはほほをぷっくり膨れさせてしまう。
「ふふふ。本当に、おふたりは仲良しですね」
楽し気に笑うリサの腕のなか、赤ん坊が元気な笑い声をあげる。
「ナンナン」
なぜかナナンまでもうなずきながら鳴くものだから、町長室は一層にぎやかになるのだった。
リサとイクサの契約は、ひとまず期間を定めないことに決まった。
同僚の祖母が腰さえ治れば、とやる気でいるらしいのと、エリスアレスが「イクサにはほかにも頼みたい仕事があるのよね。それに、町が手を貸すのは自分でどうにもならないひとを優先にしたいの」と言うのでそうなった。
イクサとしては何でも屋の仕事はいつも単発なので、とくに問題ない。
「あなたのおかげで、明日からは通信手の仕事のほうに入れそう」
町長の家を出るとすでに陽の落ちた町は他人通りが減り、昼間の熱気も薄れてきた。リサの声はそんななかにあってもはずんで聞こえる。
エリスアレスが「リサを家に送り届けるまでがあなたの業務よ」と手渡してきた蒸気燈に照らされたリサは表情がぐっと明るくなっていた。
「そういや、今日は窓口にいたっけな」
「そう。通信手は赤ん坊が泣いたからって、途中で抜けるわけにいかないでしょう。基本的には窓口にいて、思念伝達機を使うときだけ通信手をすれば良いように、って上司が考えてくれたの」
職場のひとたちとの関係も良好なのだろう。ナオの世話係が決まってからのリサは、ずいぶんと表情がやわらいだ。
いまも腕に抱えたナオの顔をのぞきこんでは幸せそうに語り掛けている。ナオはそのたびきゃっきゃと笑い声を立てて、ご機嫌なナナンまでが「ナン、ナン」と鳴くものだから、ひと気のない夜道だということを忘れそうになる。
「ふふ、ナオもとってもご機嫌。あなたが昼間、たくさん抱っこしていてくれたからね。ありがとう」
「あー、まあまだちっこくて軽いからな。それに抱っこしてればすぐ寝るし。起きるまではすることもないし。楽なもんだ」
たしかにナオはすぐ泣くけれど、大泣きする前に抱っこしてしまえばすぐ泣き止む。機嫌よく起きていたと思ったら眠ってしまい、そうなれば揺りかごで揺らしていればしばらく起きないのだから手がかからないほうだ。
墓守の家のちびたちが赤ん坊のころなんて……と思い出してうんざりするイクサに、リサはうれしそうにほほえんだ。
「あしたから、いろんなことがうまくいきそうな気がするな」
幸せそうなリサの声が夜闇にじわりとしみたころ。
「ナン!」
イクサの肩でナナンが鋭く鳴いた。
つぶらな瞳がきっとにらむ先には、建物と建物のあいだに生まれた深い影。イクサが蒸気燈で照らしたその影から、ぬっと姿を現したのは山高帽を被った男だ。
「リサ、となりの男は誰だい?」
男は薄気味悪い猫撫で声で問いかけて、にたりと笑みを浮かべたのだった。




